映像サンフランシスコヘイワジョウヤク V1H2027200998

サンフランシスコ平和条約

撮影年月
1951年(昭和26年)
コレクション(提供者)
ユニバーサルニュース(Universal news)
撮影
発行
製作
配給
時間
4分33秒
米国国立公文書館オリジナル番号
UN-UN-24-489
視聴可 色彩無 音声有 貸出可
内容

ナレーター:サンフランシスコは国際連合が誕生した地であり、再び、歴史的な和平会議の開催地となりました。プレシディオで、政府は、太平洋地域の防衛条約への署名に向けた準備を初めて整えました。この条約によって、合衆国、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンが手を結んで、この広大なエリアへの武力侵略に対抗することになります。フィリピンはすでにこの条約に署名しています。そして、今、オーストラリア大使のパーシー・スペンダーが自国を代表して署名しています。この条約によって強力な防衛関係が築かれるのです。次に署名するのがニュージーランド代表のサー・カール・ベレンゼンです。アメリカのディーン・アチソンが最後に署名し、太平洋地域の関係に新たな章が書き加わり、この地域に隣接する自由国家間の新しい絆を形成しました。この後、サンフランシスコのオペラハウスの幕が開きます。そこでは、日本との平和条約に関する討議が51カ国の代表団を前にしてすでに始まっています。そのなかには、日本との戦争状態を終結させることになるこの条約の主たる立案者であるジョン・フォスター・ダレスの姿があります。アチソン国務長官が、この開会式の主たる講演者であるトルーマン大統領を紹介しました。会合を称賛する前に、大統領は、連合国軍の前で初めて演説したときのことを思い出しながら、条約の早急な批准を訴えました。
・トルーマン:本日、我々は、平和に向けたさらなる一歩を踏み出すためにここに再び集いました。1945年に我々が戦っていた国と平和条約を締結することが今回の我々の目的です。我々は、我々のかつての敵国を平和国家からなるコミュニティに再び参加させるべく集まっています。ここに集まり、署名しようとしている条約は、復讐の精神を取り入れたものではありません。この条約は、われわれが戦争を続けた精神を反映しています。これは、過去を清算したという意味ではありません。合衆国は、パールハーバーとバターンを忘れていません。そして ここに代表を送った他の国家の多くもまた、簡単には消すことができない同じような記憶があります。新しい日本は、世界全体が友好的で、信頼を寄せているとは限らないことがわかるでしょう。日本は、今後何年もの間、他の人々の友情と信頼を得るために努力し続けなければならないでしょう。今、われわれの前にあるこの条約は、和平交渉以上のものを提供してくれます。平和のための行動です。そのため、この会議は、誰が和解しようと努力するのか、誰がそれを阻止しようとするのか、誰が戦争の終結を希望しているのか、そして、誰が戦争を続けたいと思っているのかを明らかにするでしょう。我々は今、世界の関心を引いている緊張の緩和を心から希望するすべての国家の支援を得るものと信じています。私は、より良い調和と理解に向けて今回前進するなかで全員が団結することを祈っております。我々は和平交渉のテーブルに着こうとしているのです。ですから、悪意や憎しみを捨てましょう。そして、これからは、我々の間には勝者も敗者もなくなるでしょう。あるのは、平和のためのパートナーシップにおける平等だけです。
・ナレーター:翌日、共産主義グループの国家と、早急な批准を支持する国家との間の激しい議論がありました。ロシアのアンドレイ・グロムイコ率いる国々は、議会での駆け引きによってこの条約に関する行動を阻止しようとしています。ソビエトのこの経験豊かな代表は、条約の規定に関して辛辣に批判し始め、この条約を攻撃の手段として利用していると西側諸国を非難しています。しかしながら、本当の闘いは、 発言者1人の発言時間を1時間に制限するとした動議が可決されたときでした。共産圏の遅延戦術が最悪の敗北を経験したのがこの場でした。票数が数えられ、グロムイコは外交上の最も辛辣な失敗を被ったのです。48票対3票で、この会合の常任議長であるアチソン国務長官が集会の主導権を維持し、早期和解に対する期待が高まりました。

原文

PEACE TREATY SAN FRANSISCO