中日ニュース第355号
消えゆく湾内漁(大阪)
工業都市へと衣がえを急ぐ埋めたて工事のかげに、ここ大阪の湾内漁民は全く見捨てられ、ようしゃなく押しよせる砂の波に追われています。
沿岸から追われて数キロ沖合でイトの様なうなぎとり。しばづけという原始的な漁法も埋めたてが終ればもう出来なくなってしまいます。
身を切るような思いをして得た収入がわずか三百五十円。これではとても生活出来ないのが現状ですが、しかし長年なじんで来た海を頼りに生きてゆく外はなくここの漁師たちは貸し船と漁で細々と生活をつづけているので す。
カメラ・スケッチ
鉄砲かついで
盛場はどこを見ても殺し屋スタイルの犯罪映画にあふれています。
それが子供達の間にも直輸入され、三千円もする高価なピストルが飛ぶようにうれていきます。そして今や大人の世界にも、ガン・ブームという物騒な現象をもたらしています。特に若い世代には人気があり禁じられた魅力 はスリルと解放感を同時に満喫させてくれます。
狩猟人口は全国で二十五万人と言われ、待ちに待った十一月一日は、狩猟解禁の日、午前0時を期して狩場へ自家用車をとばします。
“カモ猟銀座”と言われる茨城県渡良瀬川には三千人が押しかけました。銃声が市街戦さながらにこだまするものの獲ものはさっぱり。
それにしても、足の先から一式揃えるのに軽く十万円はかかるこの道楽に獲物一匹とは高価なお土産のようでした。
日本の群像
奥能登の人びと(石川)
能登半島の北の部分は奥能登と呼ばれる半農半漁の貧しい地方で、耕すにも土地がない農民たちは、幾世紀にもわたる苦斗のすえ、千枚田と呼ばれる段々畑を築きました。
漁をするにも漁港のない漁師たちは、揚浜式塩田という昔ながらの塩づくりで生活の糧をえる状態で、中には、地区ぐるみ左官屋に転向したところもあります。
本業の農産漁業では生活ができず、奥能登の男たちは殆どが遠く関西地方へ出稼ぎに行き、女たちは、魚や野菜の行商をしています。
シベリアの寒波が訪れる十一月の初め、奥能登の女たちは、新しい仕事を求め季節労務者として、関西地方へ旅立ちます。
かつて豊作を知らなかった奥能登の人びとは豊作の農村に住みこみ、正月までの賃労働にはげむのです。
Chunichi news No.355