中日ニュース第348号
池田さんお国入り(広島)
けっこうづくめの新政策をひっさげて自信満々登場した池田さんは、低姿勢を看板に九月八日から全国遊説の旅に出ました。
十一日には満枝夫人同伴でお国入り、提灯をかざしてぞくぞくと押しかけるお祝のお客に夫人は皆様のおかげですと内助の功の低姿勢ぶりです。
翌日は竹原小学校の祝賀歓迎会に出席。わが生涯最良の日と首相になった感激をしみじみ味う一日でした。
日本の群像
ヤマを追われる一、二〇〇人(東京・福岡・熊本)
九月六日、東京板橋の区民会館で開かれた炭労大会は千二百名の首切りを認めたのです。“日本最強の組合”と謳い“輝ける活動家”と讃えたのは誰れだったでしょうか。敗北の承認は涙なくして聞かれなかったのです。
八日、大牟田で中央委員会がもたれえんえん十四時間の難航の末、斡旋案の受諾に踏切ったのです。その中には親子揃って解雇を受けた人もいます。
人口二十万の大牟田は、古くから“三井様”の町といわれてきました。同時にまた、日本一失業の都市でもあるのです。その数は五千人といわれ、六割までが三井関係の前歴を持っています。
こうした中で、離職の為に訓練所が設けられ、石田労働大臣を迎えて、開所式が行われました。“何んな思想であっても飢えさせてはならない”と言った石田さんなのです。
かつては黒ダイヤの戦士として国策を担い、ドル箱三池の命脈を支えてきた人々の運命に景気の変動は余りにも大きな明暗を点じたのです。
ローマオリンピック終る
さんさんとふりそそぐ南欧の強烈な太陽のもと世界の若人が民族を越え国境を越えてくりひろげた十八日間にわたる美と力の祭典。
米ソを中心とする東西両陣営の激しい力と力の戦いに加え、何よりも大きかったのは、アフリカ大陸からの新興国の参加であり、それはスポーツを通じ真の平和を求める強いきずなでもありました。
そして大会終美をかざるマラソンにかつてのイタリヤに植民地支配を受けたアフリカエチオピアの青年が優勝、それはあたかも一九六〇年、黒い年を物語る様な劇的シーンを最後にオリンピック史上最大、最高をうたわ
れたローマ大会も四年後の東京大会を約して永遠の都ローマに別れを告げたのです。
Chunichi news No.348