映像チュウニチニュースゴウガイ「ドロウミノヒゲキーイセワンタイフウー」 №1691-1 V1H2520200594

中日ニュース号外「泥海の悲劇ー伊勢湾台風ー」 №1691-1

撮影年月
1959年(昭和34年)10月
コレクション(提供者)
中日ニュース
撮影
発行
中日ニュース映画社
製作
中部日本新聞社 中部日本ニュース映画社
配給
時間
21分24秒
米国国立公文書館オリジナル番号
館内限定公開 色彩無 音声有 貸出不可
内容

伊勢湾台風 記録映画
泥海の悲劇
  本州中部を襲った台風十五号の破壊力は広島原爆の一〇〇万個分に相当するといわれ愛知、三重、岐阜を中心に関東大震災をはるかにしのぐ被害をもたらしました。理不尽な悪魔は五十人を超える尊い生命を呑み、いたると ころに悲劇を残していったのです。
  魔の二十六日、知多半島の半田市は高潮に襲われ、アッという間に二五〇戸の家が流され、三〇〇に及ぶ人びとが海の彼方へ、流木の下に、呑まれてしまいました。
 両親を一瞬の間に失った娘さんは、ぼうぜんとドロ海の彼方をみつめるばかり。おびただしい遺体は、基地の大穴に並べてダビに付され、失なわれた生命の呪いのように、空しい焔は赤々と夜空をこがしていったのです。
  長良川と木曽川にはさまれたデルタ地帯、三重県桑名郡一帯と、愛知県海部郡一帯は洪水と高潮で一面二メートル以上の濁流の中に孤立、死者行方不明は一〇〇〇名を教えました。
  逃げるひまもなく高潮に呑まれた人びとの遺体は、ドロ海の中にただよい、数知れぬ肉親を失った人びとは、なすすべもなく、飲まず食わずの一週間を過ごしたのです。
  一方、名古屋市内の臨港地帯も、軒をこす水におおわれ、都心からわずか八キロの町が、孤立無援の有様で、悪夢のような数日を過ごしました。あとからあとから数限りなく収容される変わり果てた犠牲者の遺体。誰をうら
 むこともできない。だが、どうすることもできないドロ海の中で人びとは不安から焦燥へ、焦燥から怒りへ、そして、疲労から、もの言わぬ虚脱の気持へ、絶望的な道を辿っていったのです。
  排水のメドもたたない海部郡一帯には、日を追って、危険が増大し、ついに老人と子供の集団避難を決意。日米協力のヘリコプターと上陸用舟艇がしのつく雨の中を決死の救出作業を展開しました。
  水に沈んだとはいえ父祖伝来の田畑を離れることのできない農民、行く人もそして送る人も悲嘆の涙にくれています。
  にわかづくりの避難所にたどりつき、やっと温い食事にありついても、子は両親を失い母親は夫と子を失い、お年寄りは孫と息子夫婦を失いどうすることもできない絶望、明日から、何を望みに生きてゆくのでしょうか。い
 ぜんとして水のひかぬ被災地に、又しても台風十六号と無情の雨が降り注ぎます。
  無惨にこわれた家々、ドロ海にただようおびただしい流木、そして死嗅をただよわせて流れる遺体、その一つ一つが底知れぬ人間の悲しみと呪いをこめているのです。
  見渡すかぎりのドロ海、そしてそこここに点在する死の町。
  伊勢湾台風のもたらした惨状はわたしたちに何を訴えているのでしょうか。

原文

Chunichi news extra