新日本ニュース第31号
1.あれから一年
降伏後1年、8月8日の「占領兵力削減」のマッカーサー発言が新聞に載るほど焼け跡に民主社会の建設が順調に進み、記念行事は何もなかった。
ミズーリ号艦上降伏文書調印。GHQビルと外出するダグラス・マッカーサー元帥。
2.東京裁判
法廷では満洲事変から支那事変にかけての真相暴露が続き、国民は日本軍の残虐さに目を見張った。
8月1日、2日 証人台の森島守人元奉天領事が満洲事変について重光被告に有利な証言を行う。
8月5日、6日 ジョン・B・パウエル氏元チャイナ・ウィークリー主筆は、張作霖暗殺、第1次上海事変の取材体験を証言。
8月7日 多田駿元大将の証言「事変拡大に政府部内に反対意見があった」。不利な証言の続く板垣征四郎被告と被告席。
みなさんの声
3.各都市は復興したか(広島・大阪・京都・東京)
(広島)原爆被災から一周年。観光都市としての復興に米軍政府も力を尽くし、ようやく人間の住める街になってきた。
山と広島市街全景。復興著しい住宅群。豊作の家庭菜園。
(大阪)大阪・東京の住宅再建は最も遅れた。ヤミ値でなければ家が建たないからだ。特に大阪の復興で目立つのはヤミ市であった。
国鉄大阪駅の俯瞰。焼け跡の見えなくなった駅前商店街。繁盛するヤミ市と雑踏。8月1日、取り締まる警官と人の消えたヤミ市。
(京都)米軍の空襲から除外された都市京都は、昔ながらの華やかな夏祭りのシーズンを迎えていた。
八坂神社前の七夕祭り行列。祗園芸者の行列。
(東京)東京の住宅再建も大阪同様3%だったが、中心部、繁華街は賑わいを取り戻していた。
修理の進む東京駅。銀座4丁目で交通整理をするMP。きれいになった日本橋(俯瞰)。浅草仲見世、六区の賑わい。住宅地の焼け跡越しに目立つ議事堂。
4.スポーツ 都市対抗野球
第17回都市対抗野球大会が8月3日、4年ぶりに後楽園球場で行われた。
満員のスタンドとアナウンス席。入場行進と選手の人文字。決勝戦(8月9日)桐生対岐阜の試合。両軍ベンチ。4回裏 岐阜先取得点。9回裏 桐生最終バッター三振。3対0で岐阜優勝。スタンドの歓声。
時の話題
5.当時の首相 鈴木貫太郎氏(千葉)
終戦内閣の首相鈴木貫太郎氏(海軍大将)は今、千葉で晴耕雨読の生活を送っている。
鈴木貫太郎氏の話「敗軍の将、郷里に帰って畑を相手に生活しております」。玄関と家屋。菜園の手入れをする鈴木氏。トマトを収穫する鈴木夫妻。
6.グルカ兵 宮城警備(東京)
18世紀グルカ王朝(現・ネパール王朝)建設以来、イギリス・インド軍に雇われ、太平洋戦争ではビルマ戦線の華と言われたグルカ兵が宮城を警備した。
二重橋前で歩哨に立つグルカ兵。身長5尺たらず精悍なグルカ兵の行進。見物席のロバート・アイケルバーガー米第8軍司令官夫妻。
7.一年目の労働戦線
民主化の混乱は労働戦線にしのびよっていた。国鉄が7月24日、7万5千人の人員整理発表で揺れ始め、一方、増産の期待を受けた炭鉱労組はまちまちの動きをしていた。
国鉄労働組合のビラ「8月5日13字から1分間汽笛吹鳴のこと:分会長」。山間部で、田園で、操作場でSLの一斉汽笛吹鳴。
九州三菱炭鉱 7月31日ストライキの掲示ビラ。操作場とボタ山。止まった炭車。8月5日スト解決で電源盤入る。動き出したベルトコンベアー。
全炭 高萩支部8月1日ストに入る(この後内部分裂)。支部の作戦会議。炭鉱住宅の子ども。家族のビラ張り。労組の文化活動。沖電気富田工場の労働学校、演劇、グループ、洋裁教室、コーラス活動。
New Nippon news No.31