中日ニュース第271号
“金しゃち”お国入り(名古屋)
“城でもつ”とうたわれる尾張名古屋のシンボル金のシャチは戦災で焼けてから十四年目にオスの方がこの程完成し、三月二十日、輸送費四十三万円を費して大阪から名古屋へ到着。
首を長くして待っていたお城では、製作費二千八百円という貴重品だけに徹夜で見張るというものものしさ。
十八金の胴体に純金のハクをかぶせたシャチは、パレードをつらねておひろめに廻り、市中は大変な賑わいでした。
ソ連から初の観光団(東京)
戦後はじめてというソ連からの観光団二十四人が三月二十三日羽田空港につきました。
一行はソビエト文化労組の募集で集った科学者や技術者ばかりのグループ。
見学場所も病院や学校・工場と他の観光団と較べて、たいへん変りだね。しかしデパートでは盛り沢山の売場に目をみはりながら帰りのおみやげ探しに楽しそうな表情をみせていました。
日本の群像 みちのくの子ら(宮城)
海抜千米、こゝ宮城県の「鬼首」は深い山合いに埋れ、言葉通りの貧困に閉ざされた“陸の孤島”である。
人々は点々と集落を作り、そこにはひなびた生活がみられる。
炭焼きがこの土地の生計を支えている。こうした環境に育つ子供たちは、中学へ進むともう一人前。一家総出で働かなければならない山寒僻地のきびしさがあるからだ。
そこで、一人でも多く口をへらすため、中学を卒へた二男、三男は都会へ出る。みぞれの降る三月二十三日、同じ環境に育った青森、岩手、宮城らみちのくの子ら千名は、父兄や在校生の盛んな声援に見送られて故郷を出発した。翌朝上野に着くと下谷小学校へ案内され、主人と仰ぐ雇主に引渡されていく。
こうして一粒の生命は、下積みの生活をしながらやがて社会の大きな力と発展していくことだろう。
Chunichi news No.271