中日ニュース第239号
一、軽井沢のプリンス
軽井沢テニスコートの華やかな観衆に迎えられて八月十日皇太子さまはスキーの猪谷選手と国際テニス・トーナメントに出場、スポーツマン皇太子の名のとおり鮮やかな腕前をお見せになりました。
然し前の日からの熱戦で手のひらにマメが出来大変痛そうでしたが、6-1 6-2 と成蹊大学チームにストレート勝ちされました。
試合後早速手の手当を受けられ外では学友達と和やかな一刻を過されました。
カメラ・ルポ
一、原爆十三年
赤道海流の調査船、拓洋、さつまの両船が八月七日、アメリカの水爆実験で強い放射能にさらされて東京港に帰って来ました。乗組員は早速健康診断を受けましたが、放射能線障害がなかったことは不幸中の幸でした。
しかし、三重県立大学でのハツカネズミの実験により、放射能雨のおそろしい影響がはっきりしました。
こうした折、六月二十日に広島を出発した平和行進が東京に到着。十二日から開かれた第四回原水爆禁止大会に入り盛んな拍手をうけました。
原水爆禁止の願いで一杯の会場では、遥々長崎から上京した半身不随の渡辺千恵子さんが登壇、涙ながらに訴えました。
平和都市ヒロシマは失業都市ともいわれニコヨンのうち二割は原爆症の人びとです。職にあぶれた人は附近の血液銀行に殺到していますが、治療はおろか血を売らなくては生きてゆけない現実なのです。
同じニコヨンの一人広田さんはその日暮らしの生活に追われて働いているうちに、とうとう原爆症が悪化、奥さんが子供を連れて働いていますが、奥さんの方も苦痛を訴えています。
中川君は六才の時に被爆し顔のケロイドを苦にして職場で自殺を図りました。今整型手術をうけていますが、“鬼かわら”という仇名の中川君に生きる望みを与えてやれるでしょうか。
脳のおできで十三年寝たきりの中村さんは、すべてに見放されドクダミの葉をせんじて飲んでいる有様、十七を頭に五人の子どもを抱えた中村さんは、死の床でその苦しみを訴えています。
特報
一、全日空機下田沖で墜落
八月十二日夜乗客三十人と三人の搭乗員を乗せ羽田から名古屋に向う途中行方不明となり安否が気遣われていた全日本空輸のC.D.三型旅客機は海上保安庁の巡視船や海上、航空各自衛隊も出勤し空と海からの必死な捜査のかいあって十三日午後零時半頃伊豆七島の利島沖で機体の座席や破片を発見しました。
発見現場に急行した捜査船は早速遭難者の発見につとめましたが、つめたいむくろとなった遺体がつぎつぎとあげられて来るばかり、当時の惨状を忍ばせています。
発見された遺体は直ちに下田保安部に運ばれ、駆けつけた遺族達と悲しい対面です。
この事故の原因は片エンジンが故障したため近くの飛行場え引返えそうとし、木更津と羽田のどちらへ戻ろうかと迷っているうち針路を見失い墜落したものと見られています。
Chunichi news No.239