中日ニュース第231号
一、ゆき悩む第二次岸内閣
六月十二日組閣本部を首相官邸に移して僅か三時間、赤城官房長官から第二次岸内閣の閣僚名簿が発表されました。ごった返す組閣本部はまるで映画のセットを見るような騒ぎです。
現職に留ったのは藤山さんただ一人。佐藤さんに大蔵大臣のイスをとられた池田さんはさすがに面白くないようです。
こうして第二次岸内閣はその夜のうちに誕生しましたが、複雑な派閥や数え切れない公約をかかえて新しい政局に臨むことになったのです。
越えて十七日には衆議院本会議で日中問題な所信表明を行いましたが、相変わらず静観のようです。然し、商社や船舶会社の打撃は大きく、味噌や醤油の原料である中共大豆も次第に底をつき、九月頃には庶民の台所にもひびいてくるとのこと、また輸出の面でも倒産する会社もあり、長野県飯田のカルニュー光学では八千万の借金をかかえこんで首切りの話も出ています。それでも組合員たちは自分たちで注文を取り歩きはほぞぼそと内職をつづけていますが、行き詰まった外交のシワ寄せは貧困と失業をもたらしてきたのです。
週間話題
☆最大の人工地震
岐阜県白川村の御母衣ダム工事現場で百五十トンのダイナマイトと爆破、我国最大といわれる人工地震の観測が行われました。
耳をつんざく巨大な轟音と共に崩れ落ちた。この山津波は東は筑波山から西は淡路島まで、五百キロにわたる十ヵ所の地点で観測されました。
☆日ソ文化交流
日本とソ連の文化交流を促進する会議が六月五日モスクワで開かれました。門脇駐ソ日本大使や岡田嘉子さんも参加して行われたこの会議では、全員一致でソ連に日ソ文化交流機関の設立を決議しました。
折からモスクワでは日本写真展が開かれましたが、さすが共産国のお国柄、日本の町や村、畠での働く人々の姿が中心に紹介されています。
最近ではレニングラード交響楽団の来日と淡路人形芝居の訪ソなど日ソ文化交流も軌道にのって来たようです。
カメラ・ルポ
一、恵まれぬ医療地帯
梅雨から夏にかけて毎年多くの伝染病犠牲者がでます。六月はじめ愛知県上野町で学校給食の手落ちから集団赤痢を出し、発見が遅れたためたちまちひろがってしまいました。患者は六百人を超え、街の病院は超満員、やむなく学校を臨時の隔離病舎に指定、先生と生徒が枕を並べて医療をうけるという有様です。
一方東京では隅田川を中心に、はしけの船頭とその家族三千人が水上生活を送ってします。汚れた流れ、鼻をつく悪臭の中での生活は絶えず病に対する不安に悩まされます。しかし仕事と共に絶えず移動せねばならぬという不安定な生活では街の医療施設も容易に利用できません。
都内のある医科大学が廃船を利用して無償奉仕の夜間診療所を七年間もつづけ、水上生活に暖い手をさしのべれば、又ボートにのって巡回診療をつづける街のお医者さんも程んど報われることのない奉仕をつづけています。水上生活者はこうした篤志家の暖い手に支えられているのが現状といわれ、貧しい医療施設への社会保障が切に望まれているのです。
Chunichi news No.231