中日ニュース第205号
一、この一年――一九五七年の歩み――
★ソヴェトからテボシャン初代大使がやって来ると、アメリカも、マッカーサー大使を送りこんでこれに対抗。石橋さんの発病で思いがけない政権を拾った岸さんは三悪追放をひっさげ岸ブームを拵えようと派手な全国遊説。こうして五七年はスタートしました。
★ことしも台風のために九州北西部や東海地方に大きな被害を出しました。“神武景気”もドル不足から不景気に一変。戦後最大といわれた春斗は国民の足を奪ったことから、世間の風当りも国鉄労組には強かったようです。
また、先生の勤務評定実施強行は政府と日教組との対決として注目されています。
★相次ぐ汚職事件の中でも、全購連の肥料代金にからむ不正。売春禁止法をめぐる汚職。いずれも又かという国民の大きな不評をかいました。
腰のかるい岸さんは三度にわたって外遊。アイクとゴルフ会談では、米軍撤退とひきかえに自衛力の増大を約束してきました。
★大国の原爆実験は次々と続けられましたが、夏には反対運動も最高頂にたっし、モスクワの世界青年平和友交祭、広島の原爆慰霊祭、原爆禁止世界大会と何度も抗議はつづけられました。十二年前のいまわしいあの一瞬のために、いまもなお尊い生命が失われていくのです。
★ことし一番のニュースはソ連のスプートニク打上げの成功です。生物が宇宙を飛んだとこは画期的なことで、人類は宇宙時代の第一歩をしるしました。
これに対しアメリカのバンガード・ロケットは無惨にも失敗。アメリカはソ連に軍事力でもだし抜かれたのです。
★この重大事態に対処するためにNATO首脳会議が十二月パリで、アイゼンハワー、マクミランら各国首脳が集まり開かれました。アイクはミサイルや核兵器を提供したいとのべソヴェトに対抗するために、団結を強調しました。こうして宇宙時代を迎えた東西対立の谷間でやがて一九五八年は始まろうとしています。
Chunichi news No.205