映像チュウニチニュースダイ203ゴウ V1H1920000006

中日ニュース第203号

撮影年月
1957年(昭和32年)12月頃
コレクション(提供者)
中日ニュース
撮影
発行
中部日本ニュース映画社
製作
中部日本ニュース映画社
配給
時間
6分17秒
米国国立公文書館オリジナル番号
館内限定公開 色彩無 音声有 貸出不可
内容

一、岸首相帰る
 十二月五日、岸首相はオーストラリヤのメンジース首相と通商協定に署名し貿易量をふやすことが決まりました。最後の訪問地フィリピンのマニラには繁華街から一歩踏み込むと生々しい市街戦の跡が残っています。
ねっから子供が好きな岸さんは戦災孤児に囲まれて楽しそうです。
 こうして東南アジア訪問を終った岸首相一行は八日朝、羽田空港に帰って来ました。大野副総裁らに出迎えられた岸さんは日やけした顔で元気一杯です。十日には入院中の社会党鈴木委員長や鳩山、石橋元首相らに帰国挨拶をしました。
一、共産圏との通商へ
 三ヶ月にわたった、日ソ通商交渉がまとまり、十二月六日、日本の広瀬代表とセミチャストノフソヴエト代表によって調印式が行われました。またこの夜羽田空港に中国紅十字会の李徳全女史らの一行が三年ぶりで来日しました。国府系の反共グループ三十人がビラをまくなど警官との間で小ゼリ合いがありましたが、ロビーにあらわれた李徳全さんは盛んな歓迎の花束を受けました。
一、彗生さんらついに心中
 十二月四日朝から姿を消した元満洲国皇帝薄儀氏のメイ、学習院大学二年生の愛親覚羅彗生さんと学友の大久保武道君はその後、伊豆天城方面に行ったことが判明。
 天城山一帯に警官、消防団、学友らが大がかりな捜索を続けていましたが、十日朝、天城峠北方の山中でピストル心中した二人の遺体を発見。生きていてくれと願った友達や家族の願いもむなしく終わりました。湯ヶ島派出所に移された遺体はかけつけた家族や、学友と悲しみの対面、遺髪などから覚悟の心中と見られています。二人の死の原因として特殊な生い立ちと環境などがあげられています。

原文

Chunichi news No.203