本所区(現墨田区)石原町に住んでいた堀切正二郎さん(当時20歳)が描いた東京大空襲前の石原町一丁目の様子。 眼鏡屋、味噌屋(看板には「全国味噌」とある)、精肉店、生花店、糊屋、精米店、飲み屋、煮豆屋、バーなど、様々な種類の商店が並んでいた。 堀切さんの実家は糊屋を営んでいたが、空襲の際に燃えてしまった。