本所区(現墨田区)石原町に住んでいた堀切正二郎さん(当時20歳)が描いた東京大空襲直後の石原町一丁目の様子。 当時の家屋は木造が多く、家同士が隣接して建っていたことが重なって、焼夷弾による空襲は下町を中心に大きな被害を出した。 焼け跡からはまだ煙が立ち上って火が消えきっておらず、道路の上には黒こげになった遺体がいくつも横たわっていた。 堀切さんは、家族の無事を確かめに帰宅した際、この交差点の真ん中で焼死体と対面した。 町の左側の通りは清澄通り。