その他トウキョウダイクウシュウマエノイシハラチョウ1チョウメノヨウス 「ホリキリショウジロウサク トウキョウダイクウシュウタイケンガ」 K1H1670400032

東京大空襲前の石原町一丁目の様子 「堀切正二郎作 東京大空襲体験画」

作者
堀切正二郎
コレクション
堀切正二郎絵画作品
サイズ・形状
377×536mm
内容

昭和20年(1945年)3月10日未明、東京に344機(焼夷弾搭載機は279機)の米軍爆撃機B29が飛来。0時8分から2時間40分にわたって焼夷弾1万2202発(1665トン)を投下し、絨毯爆撃を行った。
本所区(現墨田区)石原町に住んでいた堀切正二郎さん(当時20歳)は、空襲当日、働いていた足立区千住緑町の日本皮革(軍需工場)で当直に当たっていたため火難を逃れたが、自分以外の家族全員(母・妹4人・弟)を喪った。
これは、堀切さんが描いた東京大空襲前の石原町一丁目の様子。
ロウソク屋、薪炭屋、生花店、八百屋、味噌屋、精肉店、精米店、飲み屋、煮豆屋、料亭、ウナギ屋、パン屋、今川焼屋、タバコ屋、質屋、眼鏡店、病院、製本所、印刷所、古本屋、メリヤス製造所、機屋、糊屋、大工、ガラス工場、鉄鋼所、畳屋、左官、石工、とび職、下駄屋、小間物屋、軍手製造所など、様々な職業を営む人々が集まって町をつくっていた。
堀切さんの実家は糊屋を営んでいたが、東京大空襲で燃えてしまった。