オーラルヒストリージョガクセイノセンゴ、カンゴフトシテヒキアゲセンニノルマデ~ナカジマトモコサンノタイケンダン~
V1R0400202162
女学生の戦後、看護婦として引揚船に乗るまで~中島知子さんの体験談~
撮影年月
2022年(令和4年)10月
コレクション(提供者)
オーラルヒストリー(証言映像)
時間
30分31秒
視聴可
貸出可
内容
中島知子さんは昭和5年(1930)、東京に生まれた。女学校3年生15歳のときに横浜大空襲を体験し、疎開先の秋田県で終戦を迎えた。その後、埼玉県の親戚宅や秋田県の祖母の元へ移り、自分の生きる道を模索する中で秋田赤十字病院に「生徒募集」の看板と出会い、看護の道へ進んだ。疎開先での苦悩、看護婦として奮闘し、戦後13年の樺太(サハリン)からの引揚船に看護業務で乗船したまでを語る。
・横浜から秋田へ疎開
・母の顔が浮かんで
・友達に恵まれた学校生活
・母は横浜の児童養護施設へ
・秋田から埼玉へ
・継ぎの当たった制服を着て
・母と過ごす時間
・女学校を卒業し社会へ
・仕事も生活も充実していた矢先
・自分の生きる道を探して
・看護婦として懸命に働いた
・最後の引揚船に乗船
・戦争を知らない世代へ
(昭和5年生)