調査報告書(仙台市歴史民俗資料館) 第36集(2018年3月)
【研究報告】
青葉神社の創建期、および社格昇格運動と瑞鳳殿への奉祀運動等について
はじめに
1 青葉神社創建期に関わる資料について
(1)藩祖政宗の祭典の許容を願う建言
(2)藩祖政宗の社檀の設置と神祭の実施、神号、社号の選定、造営地所の払い下げ
(3)青葉神社創建の経緯と青葉社(講)の社則、組織等について
(4)青葉神社と祖霊社
(5)青葉神社の神号、由緒、祠官選挙状について
(6)青葉神社創建後のこと―小泉長善『明治十九年日誌(抜書)』より―
2 青葉神社の社格昇格運動
(1)宮城県知事森正隆による藩祖政宗の顕彰運動
(2)大正3年(1914)の県社青葉神社の昇格運動
(3)別格官弊社と旧藩祖の祭祀
3 青葉神社の瑞鳳殿への奉祀運動
おわりに
戦時体制下の東北振興政策(6)―東北振興政策の変貌とその終焉―
1 敗戦と東北興業(株)
(1)敗戦の衝撃
(2)国策会社としての庇護の喪失
(3)戦後の事業転換策
表1 戦後の事業転換の会社数と投資額
表2 戦後の事業転換分野の戦時中の事業内容
2 GHQの経済民主化政策とそれへの対応
(1)GHQの民主化政策の具体的な展開
(2)GHQの民主化政策と東北興業(株)
(3)GHQへの東北興業(株)の提出資料
(4)各年度別明く事業分野別投資額について
表3 各年度別各業種部門別投資額一覧表
3 東北興業(株)の各年度「事業計画」
(1)昭和17(1942)年度
表4 東北興業(株)各年度「事業計画書」にみる軍需品製造の記述(例)
(2)昭和18(1943)年度
(3)昭和19(1944)年度
4 各投資会社の軍需品生産の実態
(1)決戦下の新規事業の展開
(2)各投資会社別軍需生産
(3)各投資会社別軍需生産とその生産高
表5 各事業別・各投資会社別生産製品・生産能力・生産高(例)
5 東北経済、殖産興業、そして広義国防
(1)岡田首相の「諮問第1号」とその意味
(2)東北振興調査会の「殖産興業」方策
(3)東北興業(株)の産業組合の株未納問題
(4)広義国防としての東北振興政策
6 東北振興政策の変貌とその終焉
【論文】
満洲事変における軍馬について―第2師団を中心に―
はじめに
1 満洲事変前の日本軍の軍馬準備状況
2 満洲事変における日本軍の軍馬使用と補充の実態
表1 満洲事変当初の日本軍の戦力
(1)第2師団における軍馬使用の実態
(2)補充馬について
①「支那馬」
表3 第2師団部隊別「支那馬」保管数異動状況(昭和6年9月~昭和7年12月)
②日本馬
表4 国内からの軍馬補充
表5 第2師団の部隊別馬種別軍馬保有数(昭和7年12月)
③補充馬の問題点
3 帰還時および帰還後の軍馬について
(1)第2師団の帰還
(2)第2師団帰還後の軍馬に関わる諸行事
①軍馬慰霊祭
②軍用動物の表彰
③軍馬碑の建立
(3)「無言の戦士」について
おわりに
表2 第2師団野砲兵第2連隊第1大隊本部『陣中日誌』(昭和6年9月19日~昭和7年12月29日)の軍馬関係記事
【調査報告】
満洲事変時における野砲兵第2連隊第1大隊の作戦遂行に当たっての困難点―野砲兵第2連隊第1大隊本部の『陣中日誌』に見る事態への対処のしかた―
1 はじめに
2 作戦出動や戦闘行為に当たって直面していた事態
(1)列車輸送の編成確保の問題
(2)連隊や支隊の作戦による戦闘行為の遂行における事態
①嫩江橋梁修理援護作戦での状況
②哈爾賓郊外での反吉林軍との戦闘での状況
(3)作戦行動中の兵馬の食糧糧秣の確保が難しい問題
(4)酷寒、降雨、泥濘、悪路などの厳しい自然条件の下での事態
(5)偵察隊や出動部隊への攻撃と公安隊への対処の仕方
(6)現地住民の協力を得ることの難しさ
(7)中国側の鉄道や電線などの破壊活動への対処の問題
(8)海城の残留部隊が攻撃を受ける事態
3 おわりに
野砲兵第2連隊第1大隊本部の佐生線出動概略地図
略地図1 野砲兵第2連隊第1大隊本部の作戦出動略地図 第1回出動(自昭和6年9月18日 至昭和6年11月30日)
略地図2 野砲兵第2連隊第1大隊本部の作戦出動略地図 第2回出動(自昭和6年12月21日 至昭和7年1月7日)
略地図3 野砲兵第2連隊第1大隊本部の作戦出動略地図 第3回出動(自昭和7年1月29日 至昭和7年9月29日)
略地図4 野砲兵第2連隊第1大隊本部の作戦出動略地図 第4回出動(自昭和7年10月9日 至昭和7年12月17日)
第2師団野砲兵第2連隊第1大隊本部『陣中日誌』に記された兵の戦士について
はじめに
1 『陣中日誌』に記録された戦死者について
(1)『陣中日誌』に記録された6名の野砲兵第2連隊第1大隊戦死者
(2)第1大隊の兵6名はどのような状況下で戦死したか
(3)戦死者の処遇。告別式、火葬、慰霊祭、内地還送など
(4)遺骨の内地帰還とその慰霊
(5)兵の給与と戦死に関わる弔慰金・一時金などと遺族の暮らし
2 『陣中日誌』に記された最初の戦死者・鈴木儀平治について
(1)装甲列車要員を命ぜられるまで
(2)第2師団野砲兵第2連隊第1大隊の動静 9月19日~9月29日
(3)通遼餞家店方面の戦い 鈴木儀平治戦死地の状況
(4)鈴木儀平治の行方不明・戦死
(5)鈴木儀平治上等兵の遺骨発見 その後の慰霊と遺骨の内地還送
(6)鈴木儀平治に関する新聞報道
(7)故鈴木儀平治伍長の遺骨 白石大鷹沢村へ帰還
おわりに
仙台市歴史民俗資料館における出前授業の方法について
1 はじめに
2 出前授業の実状
3 当館での出前授業案
4 おわりに
【資料紹介】
日中戦争の『陣中日誌』について(2)―第2師団第1架橋材料中隊『陣中日誌(其2)』より―
はじめに
(1)第2師団第1架橋材料中隊『陣中日誌』について
(2)『陣中日誌』関連用語の解説
(3)第2師団第1架橋材料中隊『陣中日誌(其2)』(昭和12年12月1日~昭和13年4月30日)の記録による動静概要
図1 第2師団第1架橋材料中隊『陣中日誌(其1)・同『陣中日誌(其2)』に見る出征経路(略図)
図2 「宿営区分要図」(昭和12年12月13日)
図3 「中隊配宿要図抜歯」(昭和12年12月13日)
図4 「入浴場位置要図」(昭和12年12月14日)
図5 「敵情略図」(昭和13年2月12日)
図6 「別紙 宿営地要図」(昭和13年2月21日)
図7 「別紙 梧桐村中隊宿営要図」(昭和13年2月22日午後7時)
図8 「濟源中隊宿営要図」(昭和13年3月30日)
図9 「懐慶東関宿営要図」(昭和13年3月31日)
図10 「待王鎭宿営要図」(昭和13年4月9日)
図11 「獲嘉宿営要図」(昭和13年4月10日)
図12 「別紙 第二梯隊配宿要図 於汲縣」(昭和13年4月30日)
図13 「別紙 中隊宿営配備要図」(昭和13年4月30日)
1 第2師団第1架橋材料中隊『陣中日誌(其2)』の原文紹介
昭和12年(1937)12月
昭和13年(1938)1月
昭和13年(1938)2月
昭和13年(1938)3月
昭和13年(1938)4月