雑誌イワ ト ユキ 160001687

岩と雪 第53号-第56号(昭和52年)

サブタイトル
著者名
出版者
山と渓谷社
出版年月
1977年(昭和52年)2月
大きさ(縦×横)cm
27×
ページ
1冊
NDC(分類)
786
請求記号
786/I97/53
保管場所
地下書庫和雑誌
内容注記
和書
目次

第53号 昭和52年2月
アンデス-3つの壁の記録(岡山クライマース・クラブ)
アンデス屈指の難ルートといわれたワンドイ南壁を
はじめチャクララフ南壁イェルパハー北西壁と3つ
の初登攀に成功した1976年6月~8月の記録
アプサラサス初登頂(大阪大学カラコルム遠征隊1976)
テラム・カンリ、シンギ・カンリなど日本隊の初登頂が
つづく東部カラコルムのシアチェン氷河で、またひとつ
日本隊の初登頂が加えられた
ムルキラ6517m(稜朋会ヒマチャル・プラデシュ登山隊)
セントラル・ラホールの盟主ムルキラに日本人として
初めて入山し第3登に成功した4人の小登山隊の記録
谷川岳幽ノ沢3つの初登(瀬戸進)
開拓しつくされた谷川岳の岩場にあくまで初登攀を求め、
ノコ沢奥壁、大氷柱正面ルートほか2つの登攀を行なった
1975年~76年の記録
高所における眼底出血(浅野俊樹)
高所障害のなかで見すごされてきた眼底出血は脳に
近いだけにより大きな障害を予測させる。1976年
夏パミール国際キャンプでの検査はショッキングな
データをもたらした
国際岩登り大会の教訓(田村俊介)
1976年10月西カフマズのユプシャラ渓谷で開かれ
た世界初の岩登り競技会は抜群の技術を示したソ連クラ
イマーの圧勝に終った。完敗した日本の岩登りに欠けて
いたものはなにか
研究-マカルーのバリエーション・ルート
ヒマラヤ巨峰のなかで最も活動的な登攀がくりひろげ
られたマカルーはすでに5つの異なったルートから登
られた。ヒマラヤ・バリエーション時代の典型的な姿を
この山に見ることができる
「日本の登攀に関するひとつの見方・考え方」その後(柏瀬祐之)
輸入アルピニズムの行きづまり状況から抜け出すために、
と本誌50号で示した考えは誤謬であったか?
寄せられた批判を機にあらためて問題を提起する
現代カラコルム事情
昨秋、愛知県蒲郡市で開かれた第8回・日本ヒンズー・
クシュ/カラコルム会議のレポートと最新情報
氷壁の履歴書≪最終回≫(ヴァルター・セキネル/鈴木勝・訳)
1974年6月ハング・グライダーでのアクシデントと
それを乗り越えてなしとげたダン・デュ・ルカン北壁の
冬期初登攀をつづる
ヒマラヤ登山年表Ⅴ1970/付・登頂峰一覧表1961-1970(馬場勝嘉)
ビッグ・イベントがあいついだ1970年のネパールは
きたるべきヒマラヤ・ラッシュのはじまりであった
バルトロ、コンダス地域 折込地図解説「カラコルム」③(宮森常雄)
盟主K2をはじめとする巨峰の集まったバルトロ氷河
周辺とK6、シェルピ・カンリなど地形の複雑なコンダスの山々
カラコルム3色刷地図③(宮森常雄・綴込)
岩・雪・友・街・ひとりごと5(イラストと文・小泉弘)
岳界展望〈海外クロニクル、国内クロニクル、話題、人ひと、追憶〉
新刊紹介
メイル・ランナー
岩と雪バックナンバー
編集後記・原稿募集
To Foreign Subscribers
本誌掲載広告索引
旭屋書店
ICI石井スポーツ
石井スポーツ(伊勢崎)
エア・インディア
片桐
カンナベ商会
京都ムラカミ
好日山荘
神戸・好日山荘
山洋スポーツ
山友社たかはし
四季書館
シャモニ
秀山荘
スズキ徽章
スタック大倉
聖教新聞社
青穂山荘
ダイワスポーツ
日本用品
平凡社
ホープ
楽山荘
ヤマカ商会
山の店
リーベルマン
(表紙・目次レイアウト・小泉弘)
(英訳・高増寛治)
(地図製作・千秋社)
《表紙写真》ドリュ北東クーロアールでのユマール登攀(ヴァンサン・メルシェ撮影)

第54号 昭和52年4月
ハードクライム新連載《ザ・ビッグ・スクープ》(ダグ・スコット/新島義昭・訳)
現代英国登山界のエース、ダグ・スコットが綴る
6つの大岩壁登攀記。
第一回は1969年に行なわれたスコットランド
北西部アウター・ヘブリディーズ諸島のルーズ島
にあるストローン・ウラディール北西壁の初登攀
誰も書かなかったヨセミテ(吉野正寿/林泰英)
ペルー・アンデス遠征の帰途に立ち寄ったヨセミテで
体験したものは?
エル・キャピタン・ノーズをはじめハーフドーム北西壁、
リーニング・タワー西壁などのビッグルートを登って触
れたヨセミテ・クライミングの真髄
座談会:ヒマラヤ登山は変わったか
1975年を契機としてヒマラヤ登山は大きく変わりつ
つある。極地法に代わって台頭してきたアルパイン・
スタイルはヒマラヤ新時代を告げるか?ナンダ・デヴィ、
ジャヌー、チャンガバン、パミールなど1976年の主
要登山隊関係者が語る現代のヒマラヤ登山
北面からのナンダ・デヴィ(H・アダムズ・カーター/吉沢一郎・訳)
初登頂40周年を記念して北西壁から北稜の新ルートに
挑んだアメリカ隊は登頂成功と隊長の愛娘の死という
栄光と悲劇を同時に味わった
ドゥナギリ北稜(牧野内昭武)
未知の領域と伝えられた北面から、混成チームと心配さ
れながらも抜群のチームワークを発揮して頂上に立った
若い学生チームの記録
キシュトワール・ヒマール見てある記(渡辺幸夫)
北西インドの辺境、ヒマチャル・カシミールの旅行記。
草原と湖の美しいキシュトワールから乾燥しきった
ラダックへの気ままな旅で見たものは
渓谷登攀について その②(牧恒夫)
前号の批判にこたえて再びこのテーマを考える
K12登頂その後…(山本良彦)
1975年、カラコルム東部のK12に登頂した
市川山岳会隊は、前年初登頂した京大隊の痕跡を
発見しえなかった
ネパールにおける医療教育(川原啓美)
数多くの患者とあまりにも少ない医師と施設。
ネパールの医療協力はその社会環境をヌキに
しては考えられない
続・国際岩登り大会の教訓(田村俊介)
岩登りはロマンではない、スポーツなのだ。既成の
叙情的登山観を打破し新たな岩登りの”道”を進む…
我が国岩登り界に与えた教訓の多かった今大会である
谷川岳宙吊り遭難の残したもの
衝立岩で発生した2件の宙吊り遭難は、期せずとして
遺体収容隊の機械力の差を見せてしまった
いま、ワイヤー技術の必要性が再確認されるときでは
ないか
カナディアン・ロッキーへの招待 新連載(黒川恵)
観光客のさらしものにしておくのはロッキーを
愛するものにはがまんできない
クライマーの立場でながめたロッキーへの招待、その1
ヒマラヤ登頂峰一覧表Ⅱ1961-1970(馬場勝嘉)
ヒマラヤ登山年表の総括。エベレストで始まり
202山の登頂峰を一覧にした完結編
シアチェン、リモ氷河流域 折込地図解説「カラコルム」④(宮森常雄)
連載の最終回はテラム・カンリ、アプサラサスを擁する
シアチェン氷河とリモ、マモストン・カンリさらに
サセール・カンリとインド国境までを含む
カラコルム3色刷地図④(宮森常雄・綴込)
DUNAGIRI(日本山岳会学生部ドゥナギリ登山隊)
岩・雪・友・街・ひとりごと6(イラストと文・小泉弘)
岳界展望〈海外クロニクル、国内クロニクル、話題、追悼〉
新刊紹介
メイル・ランナー
岩と雪バックナンバー
編集後記・原稿募集
To Foreign Subscribers
本誌掲載広告索引
ICI石井スポーツ
石井スポーツ(伊勢崎)
エア・インディア
片桐
カンナベ商会
京都ムラカミ
好日山荘
神戸・好日山荘
山洋スポーツ
山友社たかはし
四季書館
シャモニ
秀山荘
スズキ徽章
スタック大倉
聖教新聞社
青穂山荘
ダイワスポーツ
トラベルメイト
日本用品
平凡社
ホープ
楽山荘
ヤマカ商会
山の店
リーベルマン
ローレックス
(表紙・目次レイアウト・小泉弘)
(英訳・高増寛治)
(地図製作・千秋社)
《表紙写真》浜川悠・撮影
谷川岳一ノ倉沢二ノ沢右俣の登攀
ヴェルト針峰の恐ろしいYクーロアールの登攀に、
ママリーたちはどれほど興奮したことだろう。
ぼくらは二ノ沢右俣にそのCouloir en Yを思い浮かべ
ながら、最後のバットレスの登攀にとりかかった。

第55号 昭和52年6月
山岳年鑑’77
世界登山界の動向
ネパールNEPAL
インドINDIA
パキスタン/アフガニスタン
PAKISTAN/AFGHANISTAN
北アメリカN.AMERICA
南アメリカS.AMERICA
ソ連/オセアニア/その他
U.S.S.R/OCEANIA/etc.
ヨーロッパEUROPE
日本JAPAN
岳界展望1976.1.1~12.31
1976年の新刊から
山域別入山事情と文献
ヒマラヤ登頂峰一覧表1970~1976
カラー口絵/ジャヌー北壁
カラー口絵アラスカ/ユーコン
アート/海外登山ハイライト
岩・雪・友・街・ひとりごと7(イラストと文・小泉弘)
岩と雪総目次47~54号
岩と雪バックナンバー
編集後記
To Foreign Subscribers
(表紙・目次レイアウト・小泉弘)
(英訳・高増寛治)
(地図製作・千秋社)
《表紙写真》ジャヌー北壁C4~C5にて(山学同志会ジャヌー登山隊撮影)

第56号 昭和52年8月
AUGUST、1977
ひとりぼっちのカラコルム(マイクル・ケルシー/吉富亨・訳)
衣食住いっさいを50kgの荷物にまとめ、単身
マッシャブルムに挑んだアメリカ青年の記録
追悼ドゥーガル・ハストン(クリス・ボニントン/ダグ・スコット)
1977年1月、スキー中の雪崩事故で35歳の生涯を
終えたアンナプルナ、エベレストの勇者ハストンの
知られざる一面
ナイロンザイル事件21年の軌跡(岩稜会)
1955年1月、前穂東壁での切断事故に端を発した
ナイロンザイルの岩角欠点問題も『山日記』昭和52
年版の”おわび”掲載によって一応の終止符を打った。
ここに至るまでの論争の跡をふりかえる
DOPHUNGY(海城高校OB会隊)
パキスタン、デオサイ山群ドフィンギー試登
高山病の本質を考える(中島道郎)
その正体を知ることこそ、死の恐怖を克服できる
唯一の方法である
烈風の暗い壁(ジェフ・ウェイアット/坂下直枝・訳)
1975年ポスト・モンスーン、日本隊にさきがけて
ジャヌー北壁に挑んだニュージーランド隊は、北壁を
抜け頂稜に達しながら涙を呑んだ
《連載》ハードクライム2
深遠なる軌跡にて(ダグ・スコット/新島善昭・訳)
エル・キャピタン、サラテ壁登攀
剣岳2つの遡行(上島康嗣/片岡泰彦)
壮絶な池ノ谷ゴルジュと剣沢幻ノ大滝、剣の
”秘境”挑戦記
研究レポート
新氷壁登攀用具の考案と用途(広島登攀装備研究グループ)
より高度な氷壁登攀技術の確立をめざしてその研究
成果報告
シェルパ稼業の考現学(青木とおる)
カトマンズの裏街で
地域研究
コムニズム峰のバリエーション・ルート(田村俊介)
ソ連邦の最高峰、7495mのこの山には16本の
ルートが拓かれ、世界で最も活発に登られている
7000m峰となっている。1933年の初登以来
40年間にわたる各ルート開拓の歴史と解説
雪岳山土旺城氷瀑1976年2月の記録(畠山參四郎)
韓国に最後まで残されたビッグ・ルート2段200mの
氷瀑に挑んだ広島山岳会隊は下段を完登、上段1/3まで
達した
ヒマラヤを越える渡り鳥(松田雄一)
驚異の生物現象とヒマラヤ登頂時間の関係を探る
≪連載2≫
カナディアン・ロッキーへの招待(黒川惠)
コロンビア大氷原にそびえる山々の紹介とカナディアン・
アルパインクラブの歴史を中心に
岩・雪・友・街・ひとりごと8(イラストと文・小泉弘)
岳界展望
海外クロニクル
国内クロニクル
話題
追悼
新刊紹介/新刊山岳図書
メイル・ランナー
岩と雪バックナンバー
編集後記/次回予告/原稿募集
To Foreign Subscribers
(表紙・目次レイアウト・小泉弘)
(英訳・高増寛治)
(地図製作・千秋社)
≪表紙写真≫甲斐駒ガ岳ダイヤモンドA
フランケのユマーリング(戸田直樹撮影)