雑誌イワ ト ユキ 160001686

岩と雪 第47号-第52号(昭和51年)

サブタイトル
著者名
出版者
山と渓谷社
出版年月
1976年(昭和51年)2月
大きさ(縦×横)cm
27×
ページ
1冊
NDC(分類)
786
請求記号
786/I97/47
保管場所
地下書庫和雑誌
内容注記
和書
目次

第47号 昭和51年2月
氷壁登攀=その歴史・技術・記録
氷雪のエースたち(青木正樹)
一九世紀後半から今日まで、アルプスを舞台に活躍した男たち
スコットランドの冬期登攀《マウンテン特約》(アレン・ファイフェ)
氷壁・雪壁における登攀技術の変遷をふり返る
氷壁登攀技術の実践とアドバイス(小川信之)
最新技術の紹介と用具
日本の氷壁ルート(板垣克夫)
氷河のない日本の氷壁登攀はどのように行なわれてきたか
越後駒ガ岳佐梨川第四スラブ(今野和義)
黒部大タテガビン・丸山三つのルンゼ(岡山クライマース・クラブ)
南アルプス荒川出合の氷瀑群(ヤル・クライマース・クラブ)
エギーユ・ブランシュ北東クーロアール(鈴木勝)
外国人の見た日本の登山(マルティン・ルッターヨハン/高増寛治・訳)
ドイツのⅥ級クライマーの目に映った日本の登山あれこれ
ヨセミテ!シンプル・ライフ(黒田薫)
クライマーのメッカでの二カ月半にわたる生活体験
韓国登山界の近況(小原和晴)
登山人口一〇〇万を数える韓国の野心的クライマーたち
ドリュ西壁登攀とシャモニ針峰群全山縦走(大阪山旅会/大阪あなほり会)
ハンター東稜初登攀(大阪鋭峰会)
ワガルンチョ北東稜全員登頂(高松勤労者山の会)
ベルトーネ、アルプスを語る
アルプスの現役ガイドであり、デメゾンのよきパートナーである氏の横顔
第七回ヒンズー・クシュ/カラコルム会議レポート(編集部)
多大の成果をおさめた七五年の総括と今後の展望
氷壁の履歴書《連載3》(ヴァルター・セキネル/鈴木勝・訳)
ドロワット北壁ラガルド・クーロアールの冬期初登攀
地域別登行記録抄⑮谷川連峰(宮沢嘉宏/佐藤勉)
幻の内陸海-オーストラリア探検史《最終回》(木崎甲子郎)
パタゴニア3色刷地図④イエロ・パタゴニコ・スール北部(岩田修二・綴込)
私の足あと(23)嵐のプラン針峰北壁にて(近藤等)
岳界展望=ひざハンガーによる人工登攀の試み(古門幸男)
ニュース
新刊図書〈Mountain Medicine and Physiologyほか〉
登攀記録〈海外クロニクル・アラスカ=ユーコン/インド〉
登攀記録〈国内クロニクル〉
折込地図解説=パタゴニア④イエロ・パタゴニコ・スール北部(岩田修二)
英文解説
岩と雪バックナンバー
編集後記/原稿募集
(表紙構成・秀雄)
(カメラ・今野和義〈谷川岳幽ノ沢ノコ沢〉)
(イラスト・加藤真紀子/蔦健三)
(地図製作・千秋社)
本誌掲載広告索引
ICI石井スポーツ
伊藤忠商事
インド政府観光局
片桐
京都ムラカミ
K2/山幸
好日山荘
神戸・好日山荘
ゴロー
山友社たかはし
シャモニ
秀山荘
スズキ徽章
スタック大倉
聖教新聞社
ダイワスポーツ
東京トップ
平凡社
ホープ
楽山荘
ヤマカ商会
山の店
吉田テント

第48号 昭和51年4月
山岳年間’76
カラー口絵/アート口絵
海外登山ハイライト1975年
ネパール、カラコルムを中心に世界の山々を舞台とした
日本隊の活躍をカラーで再現する
BIG WALLS Baintha Brakk,Latok Mts.
中部カラコルム、ビアフォ氷河の東につらなるこの山群
は、そのすべてが未踏峰である。1971年以来5度に
わたる日本隊の偵察試登によってようやくベールをぬい
だ巨大な岩壁群
EVEREST:SOUTH WEST FACE
英国隊執念の南西壁はついに登られた!
登頂者ダグ・スコットによる迫真の登攀記
TERAM KANGRI(静岡大学カラコルム遠征隊)
カラコルム東端、はるかシアチェン氷河をこえて未踏の
頂に見事登頂した1975年夏の記録
第Ⅰ部=論説編
ヒマラヤ登山の動向
エベレスト南西壁、マカルー南壁などの課題が果たされ
たいま、ヒマラヤ登山の興味はカラコルムへと移りつつ
ある。また日本女子隊や中国隊のエベレスト登頂も話題
を呼んだ
ダウラギリⅠ峰雪崩遭難を考える(高橋善数)
1975年プレ、東京都岳連隊の遭難は一登山隊のレベ
ルにとどまらず、ポーターの死亡補償金や岳連との関係
など、日本の海外登山隊に共通するいくつかの問題点を
浮き彫りにした
第Ⅱ部=記録編
ネパール
日本女子隊、中国隊とエベレストで明けたが、英国隊の
南西壁につづくユーゴ隊のマカルー南壁、プレのオース
トラリア探検隊によるヤルン・カンなど名実ともにビッ
グルートの年だった
インド
フランス隊は念願のナンダ・デヴィ縦走に失敗したが、
日本隊はマイナー・ピークながらカランカなど数峰に
初登頂。ドゥナギリ南壁が英国の2人によってラッシュ
で登られた
パキスタン/アフガニスタン
解禁3年目のカラコルムに世界各地のクライマーが殺到
し、日本隊もテラム・カンリ、カンピレ・ディオールほ
かに初登頂。メスナーら2人のGI登頂はヒマラヤ新時
代を予測される
北アメリカ
アラスカにおいて、日本隊がいくつかの新ルートを登攀。
一方岩壁登攀では、ヨセミテの”新しい波”がロッキー
など各地におよび、フリー・クライムの限界が次々と打
ち破られた
南アメリカ
ペルー・アンデスを中心に多くのバリエーション・ルート
が試みられ、日本隊もワガルンチョ北東稜に成功した。パ
タゴニアでは15年ぶりにトニー・エガーの遺体が発見さ
れた
アルプス
比較的好天に恵まれ冬期初登攀が数多く行われたが、
遭難も多かった。トリオレ北壁とドロワット北壁に
新ルートが拓かれたほか、プトレイ大岩稜が集中的
に登られ話題となった
ソ連/オセアニア
オーストラリアでもフリー・クライムが流行し、ニュー
ジーランドでは氷のクーロアールが盛んに登られている。
カフカズのベゼンギ氷河に新潟大隊が入りディフタウに
登頂
国内主要登攀
冬のルンゼ登攀はブームを迎え、質量ともにすざまじい
登攀が行なわれた。3月の一ノ倉は毎週のラッシュを記
録したが、他の山域で新しいルートを模索する動きも出
てきている
第Ⅲ部=資料編
ヒマラヤ登山へのアドバイス(大津昭言)
各国登山規制について
山岳年表1975.1.1~12.31
主要山岳図書一覧1975.1.1~12.31
岩と雪41~46号総目次
To Foreign Subscribers
本号では執筆・写真提供・アンケート調査などに御協力
いただいた個人や各登山隊関係者のほか、以下の方々の
御協力をいただきました。井口邦利、大内尚樹、大宮求、
柏瀬祐之、勝見幸雄、雁部貞夫、ken Wilson、小西正継、
佐内順、浜川悠、広島三朗、宮下昭、森田洋、吉沢一郎
〈敬称略・50音順〉
《本誌掲載広告索引》
ICI石井スポーツ
伊藤忠商事
インド亜語学教室
インド政府観光局
エア・インディア
片桐
京都ムラカミ
K2/山幸
好日山荘
神戸・好日山荘
山友社たかはし
シャモニ
秀山荘
スズキ徽章
スタック大倉
聖教新聞社
ダイワスポーツ
平凡社
楽山荘
ヤマカ商会
山のテント
リーベルマン
ロッキーツアーズ

第49号 昭和51年6月
ヒマラヤの文献を読む(薬師義美)
デスク・ワークとフィールドの間
ヒマラヤ登山年表Ⅰ(馬場勝嘉)
全隊の概要を解説する労作第1回 1961~1963年を収録
ヒマラヤにおける縦走の試み(鹿野勝彦)
ナンダ・デビィ計画を例として
カンジロバへの道(月稜会ヒマラヤ登山隊)
ムグ・カルナリ河からルカ・コーラへ
グラン・シャルモ西壁冬期初登攀(中野融/鈴木勝)
アルプス1976年2月の記録
フレネイ中央岩稜冬期第2登(利岡誠/松村久義)
アルプス1976年1月の記録
ヨセミテ’75
シンプル・ライフ・パートⅡ(ヨセミテ・チーム)
憧れのヨセミテを登る(骨と皮同人)
いよいよ5.12の時代へ-1975年の主要登攀
アッシニボイン北壁登攀(名古屋溪稜会)
カナディアン・ロッキーズ1973年7月の記録
アラスカ/ルース氷河周辺(骨と皮同人ALASKA’75)
1975年7月の記録
積雪期初登攀1975/76
越後駒ガ岳佐梨川奥壁第三スラブ(新島孝司/和田昌平)
1976年2月の記録
甲斐駒ガ岳赤石沢2つの新ルート(岡山クライマース・クラブ)
1975年12月~1976年1月の記録
仙丈ガ岳南西壁広島ダイレクト・ルート(広島山の会)
海谷山塊1975年12月~1976年1月の記録
源治郎尾根第Ⅰ峰平蔵谷側上部フェース(日本クライマース・クラブ)
剣岳1975年3月・継続登攀の記録
不帰Ⅱ峰東壁三角形岩壁登攀倶楽部ルート(登攀倶楽部・岐阜)
後立山1975年12月~1976年1月・継続登攀の記憶
地域別登行記録抄⑯(坂本知忠)
那須・猪苗代湖南山地および南会津駒止高原山地
アンデスぶらりぶらり(川下肇)
無謀な自己弁護と小児病隠蔽のためのノート
パタゴニア3色刷地図⑤(岩田修二・折込)
イエロ・パタゴニコ・ノルテ
カラー口絵=フレネイ中央岩稜冬期第2登(山学同志会)
カラー口絵=YOSEMITE(ヨセミテ・チーム)
ガルワールの友へ〈カルロ・マウリの言葉〉(イラストと文・小泉弘)
折込地図解説=パタゴニア⑤イエロ・パタゴニコ・ノルテ(岩田修二)
ニュース
海外登山計画一覧(1976.4.25現在)
メイル・ランナー=読者ルーム
《社告》第16回山渓山岳賞発表
編集後記/原稿募集
岩と雪バックナンバー
To Foreign Subscribers
本誌掲載広告索引
IBS石井スポーツ
ICI石井スポーツ
エア・インディア
片桐
京都ムラカミ
K2/山幸
好日山荘
神戸・好日山荘
山友社たかはし
シャモニ
秀山荘
スズキ徽章
スタック大倉
聖教新聞社
ダイワスポーツ
平凡社
ホープ
楽山荘
ヤマカ商会
山の店
リーベルマン
ロッキーツアーズ
吉田テント
(カメラ・黒田薫〈ヨセミテ=エル・キャピタン・ノーズ))
(イラスト・加藤真紀子)
(英訳・高増寛治)
(地図製作・千秋社)

第50号 昭和51年8月
AIGUILLE DU DRU(アンドレ・コンタミヌ/近藤等・訳)
モン・ブラン山群7つの新ルート〈上〉ドリュ西壁《ドラチシム》ほか
モン・ブラン山群の冬期登攀(鈴木勝)
1975年/76年のシーズンは寡雪と好天に恵まれ、多くの記録が生まれた
ブレンバ・フェースにおける2つの冬期単独登攀(鴫(長崎)満則)
1976年2~3月、マジョール、ポアール両ルートの記録
ヴェルト針峰北西壁冬期登攀(早野雅雄)
1976年1月ナン・ブラン・フェース、シャルレ・ルート冬期第4登
ラインホルト・メスナーのこと(原真)
昨夏のカラコルム以来一年ぶりで再会した筆者の”超人”印象記
ザイルの衝撃特性テスト・レポート(SCT研究会)
衝撃荷重に対してザイルはどうなるか、500回以上にわたる実験報告
清水峠付近の山々 地域別登行記録抄⑰(岡崎廉)
ヒマラヤ登山年表Ⅱ(馬場勝嘉)
1964年~1965年、ギャチュン・カン、ゴサインタンなど巨峰の初登攀がつづいた
「岩と雪」をめぐる回顧と展望(みなみ・かずお)
創刊50号に寄せて
「岩と雪」総目次1~49号(編集部・編)
特集《日本の登攀》
日本の登攀に関するひとつの見方・考え方(柏瀬祐之ほか)
輸入アルピニズムの実践から海外登山の隆盛そして日本の山はどうなる
図説・現代クライマーの生態をさぐる(編集部)
本誌49号「クライマー・アンケート」調査より
グレード改定にあたって考えたこと(須田義信)
日本の岩場の現状と岩登りの今後
登山評論にどのように対するか(岩崎元郎)
代表的論文3篇を柱として日本のアルピニズムを考える
戦後日本主要登攀史年表(佐内順/高橋寛明・編)
記録 谷川岳5つの単独登攀(細貝栄)
記録 谷川岳一ノ倉沢一ノ沢右壁左方ルンゼ(河合明)
主要岩場における冬期登攀達成状況①谷川岳
別冊付録=ヒマラヤ・トレッキング
カラー口絵=JANNU(山田圭一/嶋村幸男)
岩・雪・友・街・ひとりごと=2(イラストと文・小泉弘)
岳界展望〈海外クロニクル、国内クロニクル、出来事、話題、物故者、人・ひと〉
新刊紹介
メイル・ランナー=読者ルーム
編集後記/原稿募集
岩と雪バックナンバー
To Foreign Subscribers
本誌掲載広告索引
IBS石井スポーツ
ICI石井スポーツ
エア・インディア
学習研究社
片桐
京都ムラカミ
K2/山幸
好日山荘
神戸・好日山荘
山友社たかはし
シャモニ
秀山荘
スズキ徽章
スタック大倉
聖教新聞社
ダイワスポーツ
平凡社
ベースボール・マガジン社
ホープ
楽山荘
ヤマカ商会
山の店
リーベルマン
ロッキーツアーズ
(表紙・目次構成・小泉弘)
(カメラ・小須田義治〈谷川岳一ノ倉沢衝立岩〉)
(英訳・高増寛治)
(地図制作・千秋社)

第51号 昭和51年10月
CHANGABANG(チャンガバン登攀隊"1976")
ガルワール・ヒマラヤの尖峰のバリエーション・ルートに
挑んだ若い6人の記録
ジャヌーへの長い道(山学同志会ジャヌー登山会)
4日間に16人、北壁からのビッグ・クライムに成功した
男たちの物語
ナンダ・デヴィ初縦走(日印ナンダ・デヴィ登山隊)
あまりにも有名なこの双耳峰の縦走は1951年以来、
ヒマラヤの「夢」であった
モン・ブラン山群7つの新ルート〈下〉(A・コンタミヌ/近藤等・訳)
グランド・ジョラス北東壁、ドロワット北壁新ルートなど
4つの登攀を解説
マウント・ケニヤ単独登攀(藪並武士)
赤道直下にあって氷河を有する5000m峰を1ビバークで
単独登頂した記録
5.11クレイジー!(大蔵喜福)
バンクーバーを起点に南下しながら見聞したアメリカの
登山現況ア・ラ・カルト
バトゥラ折込地図解説「カラコルム」①(宮森常雄)
地理的に不明の部分の多かったこの山域を各種の分析で
解明した
西ネパールの謎の山(末田達彦/堀田誠三)
6940mという高度を持ちながら、なぜか注目されずにいた
未踏峰ジェティボフラニ
ヒマラヤ登山年表Ⅲ1966-1968(馬場勝嘉)
ネパールの登山禁止によって興味は主にインドと
トレッキングに移っていた
ダウンワード・バウンドの世界(高田直樹)
"バッツォ"ハーディングの痛快なアンチ・フリー・クライミング論
ビッグウォール・クライミングの時代(蔵田孝哉)
世界の大岩壁をまとめて紹介、ダグ・スコットによる話題の書を解説する
富士山における高山病遭難(松永敏郎)
76年3月富士山内院で死亡した国学院大生の行動から、
高山病への新たな問題を提起する
谷川岳マチガ沢および南面の沢と屋根(佐藤勉)
地域別登行記録抄⑱
岩・雪・友・街・ひとりごと3(イラストと文・小泉弘)
岳界展望〈海外クロニクル、国内クロニクル、話題、追悼、人・ひと〉
新刊紹介
メイル・ランナー
岩と雪バックナンバー
編集後記・原稿募集
To Foreign Subscribers
本誌掲載広告索引
石井スポーツ・伊勢崎
ICI石井スポーツ
エア・インディア
片桐
カンナベ商会
京都ムラカミ
K2/山幸
好日山荘
神戸・好日山荘
山友社たかはし
シャモニ
秀山荘
スズキ徽章
スタック大倉
聖教新聞社
ダイワスポーツ
日本用品
平凡社
ホープ
楽山荘
ヤマカ商会
山の店
リーベルマン
ロッキーツアーズ
(表紙・目次構成・小泉弘)
(英訳・高増寛治)
(地図製作・千秋社)
≪表紙写真≫チャンガバン南西岩稜の登攀
ガルワール・ヒマラヤにあって、特異な尖頂をもたげる
この山は、1974年C・ボニントンらの英国隊により
東稜から登頂されたが、西面の大岩壁は誰も手をふれて
いなかった。今春、この南西岩稜に挑んだ戸田直樹隊長
ら6人の日本隊は、33日間の戦いの末、ついに全員が
登頂した。

第52号 昭和51年12月
特集・カラコルム1976
やってきたカラコルム・エイジ
残された未踏峰があいついで登られる一方新しい傾向もいくつかあらわれてきた
SKYANG KANGRI7544m(学習院カラコルム登山隊1976)
ゴドウィン・オースチン氷河最奥の頂上からは貴重な角度のパノラマが得られた
SHERPI KANGRI7380m(神戸大学第2次カラコルム遠征隊)
コルコンダスの女王といわれるこの山に1974年につづく試みでついに初登頂した記録
SINGHI KANGRI7202m(東北大学カラコルム遠征隊)
シアチェン氷河左岸に秀麗な山容を見せるこの山の課題は長大なアプローチだった
CHARKUN6620m(飯田山岳会カラコルム登山隊)
カラコルム東端に近いこの山に挑み6500mの南峰に初登頂した記録
中国・パキスタンの国境問題(吉沢一郎)
印パ紛争もからんでカラコルムの山々は微妙な政治情勢下にある
カラコルムの話題2つ(アンデルス・ボリンダー)
世界第2の高峰K2の新高度問題と複雑な地形を持つK6周辺について
ヒスパー氷河周辺 折込地図解説「カラコルム」②(宮森常雄)
8000m近い3つの高峰と個性ある7000m峰を擁する中部カラコルムの一大氷河地域
パミール速攻 2つの7000m峰登頂(原真・文/白旗史朗・写真)
第3回パミール国際キャンプにおけるコミュニズム、コルジェネフスカヤ両峰の記録
マッキンリー南壁カシン・リッジ登攀(アッセント・クラブ)
1976年4月~5月アラスカの記録
チョーク登攀倫理考
この摩訶不思議な白い粉が岩登りの世界にもたらすものはなにか
ひざハンガーによる人工登攀(伊藤達夫)
黒部・丸山東壁縁ルートで試みた新しい登攀法
氷壁の履歴書≪連載4≫(ヴァルター・セキネル/鈴木勝・訳)
1973年冬、アルプス最後のビッグ・クライムといわれたドリュ北東クーロアール登攀
ヒマラヤ登山年表Ⅳ1969-1970(馬場勝嘉)
登山禁止の解けたネパールには各国の偵察隊が入り、来たるべき新時代を予測させた
谷川岳幽ノ沢・芝倉沢・万太郎谷(樋口和哉)
地域別登行記録抄⑲
カラコルム3色刷地図②(宮森常雄・綴込)
ヒスパー、ビアフォ氷河流域
スキャン・カンリ頂上からのガッシャブルム山群〈カラー〉(学習院カラコルム登山隊)
岩・雪・友・街・ひとりごと4(イラストと文・小泉弘)
岳界展望〈海外クロニクル、国内クロニクル、話題、人・ひと、追悼〉
新刊紹介
メイル・ランナー
岩と雪バックナンバー
編集後記・原稿募集
To Foreign Subscribers
本誌掲載広告索引
IBS石井スポーツ
ICI石井スポーツ
エア・インディア
片桐
カンナベ商会
京都ムラカミ
K2/山幸
好日山荘
神戸・好日山荘
山友社たかはし
四季書館
シャモニ
秀山荘
スズキ徽章
スタック大倉
聖教新聞社
ダイワスポーツ
日本用品
白水社
平凡社
ホープ
楽山荘
ヤマカ商会
山の店
リーベルマン
ロッキーツアーズ
(表紙・目次レイアウト・小泉弘)
(英訳・高増寛治)
(地図製作・千秋社)
≪表紙写真≫スキャン・カンリからのK2
(学習院カラコルム登山隊)
ゴドウィン・オースチン氷河最奥に位置するスキャン・
カンリの東稜は、つねにK2の巨大な北東面を見ながら
の登攀である。彼我の直線距離5km足らず。K2北東峰
に挑んでいるポーランド隊の動きが、まさに手に取るよ
うにわかった。