雑誌イワ ト ユキ 160001681

岩と雪 第20号-第23号(昭和46年~47年)

サブタイトル
著者名
出版者
山と渓谷社
出版年月
1971年(昭和46年)4月
大きさ(縦×横)cm
22×
ページ
1冊
NDC(分類)
786
請求記号
786/I97/20
保管場所
地下書庫和雑誌
内容注記
和書
目次

第20号 昭和46年4月
目次絵(岡部一彦)
扉(大谷一良)
カット(磐広)
特集=自由登攀
登攀考
ロック・クライミングの真髄とは-(水野祥太郎)
登攀-その展望
多様化の道をたどりつつある登攀を予測する(編集部)
人工登攀再考
高度成長した日本アルピニズムへの提言(二宮洋太郎)
自由登攀の限界について
自己の登攀限界をどう見極めるか(小森康行)
フリー・クライマーの系譜
ウェストンから現代までの足跡をたどる(斎藤一男)
日本のフリークライミング・ルート10
谷川岳一ノ倉沢烏帽子沢奥壁(飯塚誠一)
谷川岳滝沢第三スラブ~ドーム壁(飯塚誠一)
谷川岳幽ノ沢中央壁(桜井正巳)
谷川岳幽ノ沢V字状岩壁(桜井正巳)
北岳バットレス第四尾根(松田昭)
前穂高東壁右岩稜~Aフェース(永井照一)
穂高岳屏風岩第一ルンゼ(島岡清)
穂高岳滝谷クラック尾根(湯浅道男)
穂高岳滝谷第四尾根(湯浅道男)
剣岳チンネ左稜線(松田昭)
登攀用具の強度をテストする
カラビナ、埋込みボルトとザイルなど(兵庫岳連技術委員会)
登山用品の安全基準と指導要領〈上〉
スポーツ用品安全対策委員会の決定事項より(編集部)
チューレン・ヒマール
主峰初登頂と韓国隊の東峰初登頂への疑問(静岡大学山岳会)
ナンガ・パルバット-赤いのろし
西ドイツ隊ルパール壁初登の栄光と悲劇(R・メッスナー)
ヒマラヤに人工登攀家の楽園はあるか
アンナプルナⅠ峰南壁初登攀者が語る新たな展望(T・フロスト)
冬期グランド・ジョラス北壁
酷寒と風雪との闘い(小西政継)
アルプス越冬日記抄
アルバイト捜しにもふれて(星野隆男)
御神楽岳山群東面
五年間にわたる未開山域の地域研究(こまくさ山岳会)
≪プロ・ガイド誕生≫
山案内人の職業倫理
わが国における一つの試みとその可能性についての考察(橋村一豊)
私の選んだ"素晴らしい"道
理想とするアルプス・ガイドの生き方(高田光政)
カラー口絵=登攀(小沢通男)
アート口絵=CHUREN HIMAL
中央峰からのパノラマ(静岡大学山岳会)
山のことば-三大北壁
岳会展望〈一九七〇年一~二月〉
一九七〇年ヒマラヤ登頂記録〈標高順〉(吉沢一郎/薬師義美・編)
海外の記録/国内の記録
ダイジェスト-海外の刊行物から
ダイジェスト-日本の刊行物から
二冊の本〈ブック・レビュー〉(阿部恒夫)
編集後記/原稿募集
父・藤木九三のこと
その生涯とありし日の想い出をつづる(藤木高嶺)
上田哲農氏のこと
他にやさしく、自分に厳しかった-氏の想い出の断片(左内順)
高みへの序曲〈4〉
山とは何かを問う筆者会心の連載創作(安川茂雄)
表紙のことば
上田哲農さんの悲報を聞く数ヵ月前、ある遠征隊の報告
会で、私は隣席の小森康行さんの肩越しに上田さんを見
ていた。威風堂々とした大きな体を少し前に丸めて、楽し
そうに話しておられたのを思い起す。
私のように、日頃、イラストとかデザインをしているもの
にとって、上田さんの、あの渋い俳画にも似た作品の世界
は魅力であった。
上田さんは、よく山の道具をモチーフにされて、実に温か
い目で絵を描いておられた。表紙のピッケル(へスラー)は、
そうした上田さんの愛蔵の一つです。(加藤・記)
(表紙構成・加藤秀雄/カメラ・武藤昭)
本誌掲載広告索引(五十音順)
アイガー
アート・スポーツ
IBS石井
ICI石井
イイズカ・スポーツ
イワタ
エバニュー
欧州山荘
小川テント
好日山荘
片桐
さかいや
サクライ
山晴社
秀山荘
シャモニ
ジョッキー・スポーツ
スバル・スポーツ
ダイワ精工
ダイワスポーツ
チョゴリザ
デュコ貿易
東京トップ
ニチレイ・スポーツ
フェザー産業
ミヤコ・スポーツ
吉田テント
ワタナベ

第21号 昭和46年7月
目次絵(岡部一彦)
扉(大谷一良)
カット(磐広)
特集・ヒマラヤ-記録と諸問題
"氷河情報センター"構想
ぼう大なヒマラヤ情報の収集管理への提案(樋口啓二)
ダウラギリ登頂にみるスポーツ・アルピニズム
"ヒマラヤ鉄の時代"への提言(同志社大学隊)
K6(七二八一メートル)-一九七〇年カラコルムの記録
隊長コプルミュラーからの特別寄稿(オーストリア隊)
大気圏外からみたヒマラヤの気象
エッサ気象衛星がとらえた写真から考察する(飯田睦治郎)
急性ウィルス性肝炎について
ヒマラヤ訪問者への警告(赤井寿紀)
エベレストを眺める
グループ・ツアー団長のヒマラヤ日記抄(吉沢一郎)
シェルパのガイド・サービスについて
インドのヒマラヤ登山基地マナリの場合
アルプス アルジャンチェール氷河周辺の北壁郡(1)
トリオレ、クルト、ドロワット登攀の記録(山岳同志会)
奥秩父・鶏冠山周辺の谷
三年間にわたり未知の山塊を追求した地域研究(溪嶺会)
登山用品の安全基準と指導要領〈下〉
スポーツ用品安全対策委員会の決定事項より(編集部)
カラー口絵=DHAULAGIRI Ⅰ(同志社大学隊)
アート口絵=K6-一九七〇年カラコルムの記録(オーストリア隊)
山のことば-直登
岳界展望〈一九七一年三~五月〉
ネパール・ヒマラヤ登山申請状況(五月三十日現在)
一九七〇年とヒマラヤ登頂記録〈標高順)(吉沢一郎/薬師義美・編)
海外の記録/国内の記録
ダイジェスト-海外の刊行物から
ダイジェスト-日本の刊行物から
二冊の本〈ブック・レビュー〉(阿部恒夫・他)
ポスト・ランナー=オピニオンのページ
新製品プロフィル(堀田広治)
岩と雪バックナンバー
編集後記/原稿募集
深田久弥さんのこと
共に山旅を愉しんだ山仲間を哀惜する(望月達夫)
深田久弥著作目録
作家として、登山家として常に前進していった氏の足跡(岩瀬皓祐)
ギュンター・ハウザーの回覧状
西独著名クライマー、ハウザー家の一九七〇年(G・ハウザー)
高みへの序曲〈5〉
山とは何かを問う筆者会心の連載創作最終回(安川茂雄)
『岩と雪』総目次一号-二〇号(能勢信二・編)
表紙のことば
冬期グランド・ジョラス北壁で、カチカチに凍てついた
氷とたたかったこのアイゼンは、植松直巳さんが日本隊
として初めて登ったときにつかったドイツ製のものです。
写真に撮ってしまうと氷壁から生命を守った本来の姿と
はちがって、きびしかった山での生活も、今となっては
暖かく使用した植松さんとの深いつながりをもって、伝
わってくるようです。
私には爪のキズも、皮ベルトのボロボロになった切れそ
うな姿も、快適な美しさとして感じられます。(加藤)
(表紙構成・加藤秀雄/カメラ・武藤昭)
本誌掲載広告案引(五十音順)
アイガー・スポーツ
ICI石井スポーツ
イイズカ・スポーツ
イワタ
AC松本
エバニュー
欧州山荘
小川テント
片桐
好日山荘
さかいや
山晴社
ジャヌー
シャモニ
秀山荘
ジョッキー・スポーツ
スバル・スポーツ
ダイワスポーツ
ダイワ精工
田中フォト
チョゴリザ
デュコ貿易
東京トップ
東洋羽毛
ニチレイ・スポーツ
原株式会社
フェザー産業
フレンド
ミヤコ・スポーツ
山の店
吉田テント
芳野満彦東京事務所
ワタナベ運動具店

第22号 昭和46年10月
目次絵(岡部一彦)
扉(大谷一良)
カット(磐広)
特集・ヒマラヤ’70-71
登山とナショナリズム
国際エベレスト登山隊を例として(平林克敏)
マナスル西壁登頂
一九七一年プレ・モンスーンのビッグ・クライム(マナスル西壁隊)
カンジロバ・ヒマール周辺の山群
その遠征史と地理的解明について(大阪市立大学隊)
ロールワリン・コーラ流域の山々
一九七一年プレ・モンスーンの記録(高野山大学隊)
一九七一年度海外登山隊一覧表
一九七〇から七一年にかけての日本隊の動向(吉沢一郎)
カラコルム最新情報
ラワルピンディ、ギルギット周辺のことなど(小沢貢)
ヒマラヤン・クラブ情報
ガルワール/カラコルム/ヒンズー・クシュ一九七〇年
アンナプルナ南峰隊の真相
今春の連絡官をめぐるトラブルの顛末(吉沢一郎)
ナンガ・パルバット事件その後
なおもくすぶる一九七〇年西ドイツ隊の内紛
北ア縦走=宇奈月から西穂
一九七一年春の記録(日本大学山岳部)
錫杖岳の岩場
一〇年間にわたる開拓ルートと積雪期の登攀記録(登攀倶楽部)
ドロワット北壁ダバイユ・ルート登攀
アルプス=アンジャンチェール氷河周辺の北壁群②(山学同志会)
カラー口絵=API/NAMPA(松本登高会隊)
アート口絵=KANJIROBA HIMAL(大阪市立大学山岳会)
ROLWALING HIMAL(高野山大学ネパール学術調査会)
DHAULA HIMAL(GHM・J隊)
山のことば-ヒマラヤン・ソサエティ
岳界展望〈一九七一年六月~八月〉
ネパール・ヒマラヤ登山申請状況(九月四日現在)
ダイジェスト-海外の刊行物から
ダイジェスト-日本の刊行物から
二冊の本〈ブック・レビュー〉
カール・グロース追悼
ヨーロッパ・アルプス高度表〈四〇〇〇メートル級五〇座〉
パミール周辺地名関係言語1ページ辞典
社告
岩と雪バックナンバー
編集後記/原稿募集
東欧二国の登山界
意欲的なポーランド
創立一〇〇周年を迎えた”高山山岳会”
チェコスロバキアの登山界
登山五〇年小史(S・シムコ)
パイオニア・ワークとは
一つの考え方として(小野健)
アルプスに微睡む
今夏五〇日間遊んだ筆者のアルプス記(安川茂雄)
表紙のことば
「戦ったものはすべてゆがむ。その中で成長した
ものは力強く美しい。個性のゆがみの強さだ」と、
織部焼について陶芸家唐九郎が語っている。
いま、十五年前、日本隊がはじめてマナスル登攀に
使ったアイス・ハーケンを手にしてみると、さながら
古武士の風格。デコボコした表面から木槌の音が聞こ
えてくるよう。真っ赤に焼けた鉄を打った人の願いが、
重みのある表情で生きものに見えてくる。現在の量産
品と見くらべてみてください。(加藤)
(表紙構成・加藤秀雄/カメラ・武藤昭)
本誌掲載広告索引(五十音順)
アイガー・スポーツ
IBS石井スポーツ
ICI石井スポーツ
イワタ
A・C松本
エバニュー
欧州山荘
小川テント
片桐
好日山荘
さかいや
山晴社
ジャヌー
シャモニ
秀山荘
スバル・スポーツ
ダイワスポーツ
ダイワ精工
タカダ貿易
チョゴリザ
デュコ貿易
東京トップ
東洋羽毛
ニチレイ・スポーツ
ハヤシ
フェザー産業
二葉
ミヤコ・スポーツ
山の店
吉田テント
ワタナベ運動具店

第23号 昭和47年1月
目次絵(岡部一彦)
扉(大谷一良)
カット(磐広)
総特集=トランシーバ(芳野赳夫)
そのすべてを解説する登山用トランシーバ事典
一、はじめに
二、山岳地無線通信の発達史
三、日本山岳協会の通信規定
四、山岳地における電波強度の計算法
五、トランシーバの選択と購入時の注意
六、低温時の取扱い法
七、トランシーバの取扱い上のヒント
八、市民バンド・トランシーバに関する法規
九、遭難時の通信方法の実例
"運命の山"エベレスト スター・ランサンブルの悲劇
初めて発表したIHE一九七〇年隊長手記(N・Gディーレンファース)
シェルパの死亡事故 阪大P29隊一九七〇年の場合
Ⅰ 処理(住吉仙也)
Ⅱ シェルパの死と賠償について(水野祥太郎)
イストル・オ・ナール新ルート登頂
一九七一年ユーゴ隊々長の特別寄稿(イヴォ・ヴァリク)
サラグラール西壁登攀
一九七一年ヒンズー・クシュの記録(静岡登攀クラブ)
ワンドイ南峰南壁稜初登攀
一九七〇年アンデスの記録(京都山岳会)
アジア広域登山探検隊一九七一年の記録
イラン・ダマバンド峰初滑降
トルコ・タウルス山脈アラダー山群踏査
イラン・中央ザクロス山脈踏査
付・西アジア山岳文献ノート
カラー口絵
ROCK NOIR/ANNAPURNAⅡ(田口耕一)
アート口絵
GANGAPURNA(八王子ヒマラヤ登山隊)
ISTOR-O-NAL(ユーゴスラビア隊)
PUNJAB HIMALAYA(慶応大学山岳部隊)
KALDI/ZAGROS(西アジア登山探検隊)
MANASLU(高橋照)
山のことば -グレード
岳界展望
ネパール・ヒマラヤ登山申請状況(12月3日現在)
ダイジェスト-海外の刊行物から
ダイジェスト-日本の刊行物から
二冊の本〈ブック・レビュー〉
岩と雪バックナンバー
編集後記(原稿募集)
論文「スポーツとしての登山」について
本誌18号掲載の浜野吉生氏論文への疑問点(大森義彦)
"スポーツ"とは何か
第三者の意見として(徳久球雄)
仏領ケルゲレン島での経験
特別寄稿-亜南極圈での見聞記(G・Cブラット)
四たびマッターホルンに登頂して
登るたびに変わった顔をみせる名峰(脇坂順一)
表紙のことば
ゲタのオバケのようなワカンはオブジェとしてもオモ
シロイ。私の幼なごころに夢をいだかせた。いまでも
ワカンを見ると、雪国の"ろばた"を想い、新雪を胸に
画く。山の用具を表紙にして4回。用具の表情はそれ
ぞれに違うけれど、そこに流れているものは、どれも
あたたかな手作りの情緒と、そこにあふれる自然と
素朴な味である。用具を作った人、用具を使ってきた
人のこころが伝わってくる。このワカンは、小西政継
さんが10年来国内の山行きの友として歩き廻った
ものです。(加藤)
(表紙構成・加藤秀雄/カメラ・武藤昭)
本誌掲載広告索引(五十音順)
アイガー・スポーツ
イイズカ・スポーツ
IBS石井スポーツ
ICI石井スポーツ
イワタ
エバニュー
欧州山荘
小川テント
片桐
好日山荘
さかいや
サンエイ
山晴社
ジャヌー
シャモニ
秀山荘
スバル・スポーツ
ダイワスポーツ
ダイワ精工
タカダ貿易
チョゴリザ
デュコ貿易
東京トップ
東洋羽毛
ニチレイ・スポーツ
ハヤシ
フェザー産業
二葉
フレンド
ミヤコ・スポーツ
山の店
吉田テント
ワタナベ運動具店