歴史読本 臨時増刊号 第25巻第12号(1980年9月)
終戦35年特集
[遠く異郷の地にて]
満州-内心恐れていた敗戦が現実となって…(田中義夫)
その日、初めて銃弾を浴びる!(野田享)
夫のあとを追って大陸へ-そして敗戦(長谷川しげ)
引揚げの途中、過労で倒れた夫は異郷の土に…(深山小百合)
僅かの食糧から衣類殆んど取られて、目先真っ暗に(渡辺伯子)
玉音放送は砲弾飛びかう前線には伝わらなかった(阪田泰正)
祖国敗れたりという熱い想いは少しもなかった(海野政一)
あの日、死を決して黙々と敵と対峙していた(湯治万蔵)
三歳で渡満、三十数年にしてやっと祖国へ(清野進)
中国-敵が白旗をかかげて近づいてきた!(和田明)
衡陽の野戦病院で死人の指を切る!(鈴木三夫)
戦傷兵収容所内は敗戦の報にただ涙、涙-(東野大八)
突然列車が停まり、便衣の中国兵が乗り込んできた-(高野倉寛)
突然中国人が日の丸の旗を中国旗に取りかえていった(石井公代)
台湾-敗戦後も玉砕戦覚悟の命で戦闘訓練が続いた(田嶋新一)
高砂族に相すまない!(鈴樹忠信)
使わずに済んだ青酸カリの白い包み(水野シヅ)
日本人になりきった村の人々も泣いてくれました(立川愛雄)
タイ-九ヶ月にわたった捕虜生活(鈴木今朝一)
トラック島-あの日あの時、私は自決を思い立っていた(奈良本芳夫)
レイテ島-ジャングルをさ迷い、七〇キロあった体重が二九キロに(高橋敬三)
ラバウル-さあ、内地に帰ったら嫁を貰うぞ!(野中太郎)
朝鮮-校庭には日の丸にかわって韓国の旗が翻る(根本富貴子)
追われるように去った最後の街・光州(樽井美保子)
おまえの国は駄目なんだ。身のしまつを考えろ!(高杉うめ)
[空襲]
実際に見た者でなければ理解出来ない(宍倉寛人)
「死ぬ時は家族揃って…」(木下留代)
紅蓮の炎が恋人を包み込んだ(浅野英男)
熱い、助けて、お母さん(野末妙子)
大阪の空はオレンジ色に焼けた(平井良昌)
もう今夜からガンガン電気つけて寝られるで!(清水保)
終戦前夜の秋田空襲(藤田三郎)
その日、高山の街は無政府状態だった(大森清男)
亡き学徒の面影(早田輝雄)
[疎開先にて]
落たんした父の姿(堀井好子)
ギョクオンホーソーってなんだっぺ?(寺沢幸夫)
抗戦のビラをやぶりすてる(阿久根星斗)
砂糖のかわりに水彩絵具をなめた(駒井瞭)
周囲がみな敵だった(鈴木英夫)
九十九里少年隊出動す(柳田静男)
母の大島紬だけは渡したくなかった(海老名重雄)
我々にとっての敗戦は三月十日!(佐々木直剛)
疎開児童を引率して(今喜代一)
[少国民]
父にも言えなかった秘密(飯野布志夫)
おばあちゃんが声をあげて泣いていた(下妻彩子)
その日は弟の葬儀の日(岡部長正)
敗けたことよりも食べ物や着る物のことの方が…(吉田一郎)
ひそかに、半ば本気でB29の来襲を祈願した(志田次郎)
新聞少年の八月十五日(安河内弘)
祖母が目にいっぱい涙ためて(津田政松)
健康を害して疎開先から一足先に帰宅(大沢みゆき)
最後は生徒と一緒に開墾に精出すだけだった(雫石太郎)
子ども心にも天皇陛下が無性に可哀想に思えた(竹沢尚志)
左こめかみに三発の銃弾を浴び、一発が右眼を貫通!(新川トミ子)
[八月六日午前八時十五分]
ノーモア・広島!と叫び続けたい(秋山幹雄)
死とのとなり合わせで(水田九八二郎)
被爆した体には終戦の報など無意味だった(藤森親良)
[さまざまの八月十五日]
その晩は、終戦記念に久しぶりにうどんを打って
家中で舌鼓を打ちました(野本かね代)
感激も感懐も起こらない…。
このまま死んでしまえばよいとさえおもった(江本清)
私は中年の男に「この惨敗兵!」と罵られ、
石をぶつけられて言い様のない淋しさを感じた(対馬定男)
昭和二十年八月十五日は、
私にとっては貴重な結婚記念日(古田砂津子)
戦争が終わってよかったね。それにしてもうちの亭主は
いつ帰れるのかね(桜井福督)
祈る気持でシャッターを押す-私に写真を写される兵隊は
死の宣告を受けたのと同じであった(上平忠)
その日、部隊の象徴である軍旗を焼く。
菊の紋、紫のひものかかった桐の箱の中身はなんと…(森井友吉)
火の海は暗夜をこがし、着弾ごとに火柱がたった。
日立も多賀も勝田もやられた…(後藤順一郎)
長い長い灯火官制が解けて、電灯の覆をとる。
その夜は明るすぎて眼が痛かった(橋本義夫)
無条件降伏を内外に宣言しただけの玉音放送。
そして悔悟も反省もない終戦処理に終った-(横山篤美)
朝鮮人初年兵が「俺はどうなるんだ」と不安げにつぶやいた。
それが今だに耳に残っている(斎藤登喜)
世話になった診療所であるが、多少なりとも
戦争に荷担した身。これ以上は居られなかった(栗栖義元)
暮れて行く夕陽は赤々としていた。その赤く映える
夕焼までが無しょうに腹立たしかった(波多野篤子)
あれはね、敵が沖縄あたりから放送したもので、
陛下の声をまねたにせの放送らしいのよ(小林重雄)
玉音放送は四国まで届かなかったのか、
それとも古兵が故意にいんめつしたのか(中岡雅晴)
軍から木製特攻潜水艇の試作設計の命令。
しかしそんなものは実戦に役立つ代物ではなかったんだ!(加藤護)
長い忍従の生活に終止符を打ったという安堵感からか、
むしろ表情は明るかった(寺下慶男)
その一瞬ぼうぜんと…栄養失調の脳天にギラギラしみ込む
炎天の下でただうずくまって泣いた(土居長平)
「明日から自分の仕事が自由に出来る」と漁夫が喜ぶ。
長い長い不自由な時代が終った(大槻芳男)
何で戦死したんだ兄貴。何故死んだんだ敗け戦さに。
死ぬことなんかなかったんだよ…(福田義矩)
[学徒の夏]
その日は記念すべき入隊の日(阿久沢博幸)
軍需工場となった女学校(小松辰蔵)
人間魚雷にハンマーが投げつけられた(森山俊英)
二度と騙されたくはない(宮脇光三)
その日まで風船爆弾を作っていた(鵜飼礼子)
真剣に生きようと模索していた(折井文人)
辞世の書と一枚の辞令が思い出の証(小林政司)
前線に知らせは届かず(宮崎道衛)
敗戦とは知らず作業を続けた(真木たかし)
敗戦直後の動員日誌(井塚雅千)
何かにおびえなくてもよくなった(三浦千鶴子)
異例の特年生が卒業を迎えた日(早瀬順造)
空襲のあと生きた人達に会えた嬉しさ(林妙子)
[従軍看護婦]
戦地でむかえた敗戦(津金近野)
上海陸戦隊病院にて(大嶽康子)
今にして思う(松木房子)
私と赤十字との出会い(橋本祐子)
[父や母から聞いた戦争体験]
あの日のこと(奥川弘幸)
母の青春時代(関根恵子)
それはある月のある一日のこと(小野隆司)
祖父の敗戦体験(青山明美)
伯母から聞いた東京大空襲の話(森砂樹夫)
父の雑記帳(酒井明)
母から聞き、そして今わが子へ(久間久恵)
[一枚の写真から]
父との別離(小野一雄)
皇軍慰問団前線へ(佐山佐太郎)
村をあげて兵士歓送(井塚茂)
学業生活最後の写真(清水保)
先生も出陣(加藤敏子)
国防婦人会も食糧増産に励む(雫石太郎)
[詩・短歌]
藤重静子
旭千代
佐藤正治
宮田友江
中野良規
中村秋夫
永井フサ子
平尾統一
堀中周
細木勲
浅野英男
金子新蔵
[たべもの]
はしは腰に(田中晴恵)
一升瓶で米つき(中島芳子)
母の味噌むすび(林美鈴)
忘れぬぼた餅の味(平岩千代子)
■証言記録/敗戦直下に綴られた生々しい昭和史の記録!
敗戦下の日本人(福島鑄郎・編)
屍とともに(石川節子)
涙の対日放送(伊藤愛子)
愛宕山籠城の尊攘義団(石岡実)
近衛はなぜ自殺したか?(的場健次)
本間雅晴はなぜ死んだか(本間富士子)
獄中に歌う川島芳子の“君が代”(林逸郎)
■戦後史の再検証
八月の青空の雲は…(内村剛介)
35年目の小さな慰霊祭(井出孫六)
少国民の八月十五日(田宮裕三)
特別企画 戦友会一覧
■カラー口絵■
ある学童疎開の記録
■特別グラビア■
私の肉親を探して下さい!
-帰国願う中国残留日本人-
奉納された出征兵士の写真
■特集グラビア■
敗戦下の暮らしと生活用品
■「肉親探し」のい世話をして(山本慈昭)
暮らしの年表
■奉納された写真(佐伯治典)
*編集後記