オホーツクの女たち 第5号
体験を現実の場にひき寄せる(菊地慶一氏)
小清水飛行場強制移転の人々
もぎとられた私たちの農地(富樫はるのさん)
水上に移って(曽我部キクさん)
あの戦争には甲乙がありました(久保ケサさん)
荒山をもらっても手がつけられなかった(内藤キヌさん)
小清水のききとりを終えて
沖縄
石ころ一つになった兄のこと(後藤広子さん)
〈資料〉沖縄戦・私は亡き戦友に生かされています(江口留八さん)
空襲
三人の息子を戦争にとられて(竹野朝江さん)
私の戦争体験〈大阪から網走へ〉(分部米子さん)
東京大空襲〈東京から大阪へ〉(佐竹キミさん)
教育資金は、チリ紙一帖にもなりませんでした(秋山文子さん)
釧路で空襲にあって(内山シゲ子さん)
昭和二十年七月十四日のこと(福田アサさん)
敗戦と引揚げ
戦争をはさんで(石川ミヤさん)
二度と戦争だけはごめんこうむる(三原愛子さん)
朝鮮から引揚げて(森野喜子さん)
原爆・ヒロシマ・ナガサキ
原爆が私の人生を変えたのです(定安雪江さん)
あの戦争がなかったら(徳永フジ子さん)
戦争の日々
戦争中は不自由な思いをしました(西脇コトさん)
息子は、気持のやさしい良い子だったです(田野島シゲさん)
二人目の子がお腹にいる時、おとうちゃんは出征した(山口ハツさん)
灰色の青春(中村トミ子さん)
〈資料〉網走航空機株式会社と当時のようす(広川六治郎氏)
父さんが兵隊に行った後、私は畑を守った(原田スエさん)
戦時の流れの中で(竹内アヤさん)
従軍看護婦(鈴木菊枝さん)
憲兵隊の賄いをたのまれて(吉井常子さん)
キリストのキの字も言えない時代を信徒として生きて(林美代子さん)
〈資料〉戦争と協会(甲斐博邦氏)
〈資料〉戦時下の網走聖ペテロ協会(須貝隆氏)
あとがき
会員・協力会員名簿・発行所在地
表紙撮影(鈴木功)
題字(分部米子)