雑誌ニホン イゾク ツウシン 100019576

日本遺族通信縮刷版 第2巻

サブタイトル
第301号-第471号(昭和51年2月-平成2年3月) 日本遺族会機関紙
著者名
日本遺族会 編者
出版者
日本遺族会
出版年月
1990年(平成2年)12月
大きさ(縦×横)cm
37×
ページ
706p
NDC(分類)
369.37
請求記号
369.37/N71/301
保管場所
地下書庫和雑誌
内容注記
和書
目次

日本遺族通信縮刷版 昭和五十一年二月第三〇一号-平成二年三月第四七一号
第三百一号(昭和51年2月15日)
比島カリラヤに慰霊園が完成 日本遺族会主催の追悼式を挙行
30年の思いを込めて比島慰霊巡拝の旅
第三百二号(昭和51年3月15日)
参議院全国区推薦候補者に徳永正利氏に決定
青年部幹部 千葉県成田で研修
50年度後半の遺骨収集団相ついで帰国
第三百三号(昭和51年4月15日)
英霊にこたえる会近く発足
硫黄島で戦没者追悼式
日遺通信 第一号より三百号までの縮刷版を刊行
第三百四号(昭和51年5月15日)
婦人部研修大会開く 当面の問題点を解明
遺族処遇と靖国神社問題(日本遺族会専務理事 佐藤信)
青年部第二次五ケ年計画について 遺族会の継承と発展を
第三百五号(昭和51年6月15日)
英霊にこたえる会6月22日に結成大会
日本遺族政治連盟衆議院推薦候補者を決定
第三百六号(昭和51年7月15日)
英霊にこたえる会会長に石田和外氏
厚生大臣表彰 援護事業功労者三十名
第三百七号(昭和51年8月15日)
婦人部長会にて敬老の日を中心に父母の実態調査を実施することを決定
英霊にこたえる会 靖国カレンダーの刊行を決定
第三百八号(昭和51年9月15日)
昭和52年度政府予算の概算要求に公務扶助科の月額
八万円の支給実現、特弔の支給範囲の拡大等の要求提出する
英霊にこたえる会 靖国神社にて第一回慰霊大祭を執行
要望貫徹を期し戦没者遺族大会を開催
第三百九号(昭和51年10月15日)
英霊にこたえる会 地方組識結成の要領を決定
政府主催の遺骨収集団 ソロモン諸島一、三七九柱、マリアナ諸島一、二八七柱が帰国
第三百十号(昭和51年11月15日)
いよいよ総選挙 要望実現のため全組識をあげて取組む
天皇陛下 御在位五十年を奉祝
第三百十一号(昭和51年12月15日)
第34回総選挙 自民党過半数割れに 新しい時代への胎動
本会主催のビルマ戦跡巡拝団十一月十七日出発する
第三百十二号(昭和52年1月15日)
昭和52年度政府予算 公務扶助料月額六万円増額決まる
一月十四日第30回全国戦没者大会を開催 十五日以後滞京運動で党本部に抗議の座り込みを決行する
第三百十三号(昭和52年2月15日)
われらの“徳さん”参院本会議で代表質問に立つ
比島カリラヤ霊園にて本会主催の戦没者慰霊祭を挙行靖国神社神職が奉仕
比島遺骨収集二、六〇〇余柱収集、本会から五十五人が参加
第三百十四号(昭和52年3月15日)
日本遺族政治連盟 参院選挙対策など決定
昭和51年度会長表彰に一九三人が表彰される
青年部初の東部ニューギニア戦跡巡拝を実施する
第三百十五号(昭和52年4月15日)
参院選挙特集 日本遺族政治連盟推薦(徳永正利氏)
英霊に捧げる追悼詩(元海軍中尉 水野正典氏作詩)
第三百十六号(昭和52年5月15日)
賀屋興宣会長逝去される
婦人部中央研修大会開催 参院選挙の必勝を期す
第三百十七号(昭和52年6月15日)
故賀屋会長 追悼慰霊祭を執行
英霊にこたえる会 地方組識の結成進む
第三百十八号(昭和52年7月15日)
徳永正利氏参院選全国区に第十九位で当選
世界恒久平和を祈願 沖縄で平和と慰霊の行進
第三百十九号(昭和52年8月15日)
最高裁にて津地鎮祭は合憲判決
迫水久常副会長逝去される
墓参団の名誉回復をコレラ禍で島本氏県会で質問
第三百二十号(昭和52年9月15日)
政府予算53年度概算要求に公扶料月額七一、〇〇〇を
青年部幹部研修会の一環として英霊に関する各党懇談会開催 戦没者の慰霊は全党賛成する
ソ連墓参の記
第三百二十一号(昭和52年10月15日)
日本遺族会会長に村上勇氏、副会長に佐藤、吉富、中井氏を推載
九段会館別館改造が決まる
よみがえった釣鐘 滋賀湖東町青年部員八人の手で
第三百二十二号(昭和52年11月15日)
靖国神社 秋の大祭に皇族方のご参拝が続く
英霊にこたえる会 一千万署名で靖国神社で呼びかけ
婦人部比国に初の訪問団併せて巡拝も
第三百二十三号(昭和52年12月15日)
天皇陛下ご臨席で創立30周年記念式典開催
ブーゲンビル地域遺骨収集 グリーン島で初の収骨
英霊にこたえる会 順調に進む県組識
第三百二十四号(昭和53年1月15日)
53年度政府予算 本会の要望ほゞ達成
フィリピン・沖縄遺骨収集団、マリアナ諸島戦跡巡拝団帰国す
第三百二十五号(昭和53年2月15日)
英霊にこたえる会 公式参拝実現めざし
一、〇〇〇万人署名運動を展開
フィリピン戦跡巡拝記
後世に伝えたい 遺稿掲示板の設置 愛知県青年部
第三百二十六号(昭和53年3月15日)
日本遺族会53年度活動方針など決まる
相つぐ遺骨収集 インド、タイ
英霊にこたえる会 事務担当者初の会合
第三百二十七号(昭和53年4月15日)
英霊にこたえる会 初の全国代表者会議開催
青年部 初のビルマ巡拝実施
英霊にこたえる会 運営委員会新委員長に広瀬氏を
第三百二十八号(昭和53年5月15日)
靖国神社春の大祭に総理、閣僚そろって参拝
英霊をしのぶ都民の集い 九段会館ホールで開催
マリアナ諸島遺骨収集に戸井田厚生政務次官も参加
西独海軍三たび靖国神社表敬参拝
第三百二十九号(昭和53年6月15日)
生存者叙勲藍綬褒章に本会関係六氏に栄誉
千鳥ケ渕墓苑で拝礼式、八、八七九柱新たに納骨される
第三百三十号(昭和53年7月15日)
英霊にこたえる会で8月15日戦没者慰霊の日として半旗を掲げて黙祷をすることを推進
「公式参拝」は違憲ではないと公式見解を発表する英霊にこたえる会
九段会館別館建設 順調に進む工事
第三百三十一号(昭和53年8月15日)
参院選全国区に板垣正氏を推せん
第三十二回全国戦没者遺族大会開催
本紙コラム欄をまとめ「声なき声」として10月刊行
第三百三十二号(昭和53年9月15日)
英霊にこたえる会 靖国神社で全国戦没者慰霊大祭挙行
全閣僚から生花、駐日武官も参列
板垣正後援会近く発足
第三百三十三号(昭和53年10月15日)
沖縄に人類の恒久平和を祈る平和祈念堂が完成
英霊にこたえる会 沖縄県結成で全国が完了
元号法制化にめざす二万人のつどい武道館で
第三百三十四号(昭和53年11月15日)
福田総理大臣 靖国神社秋の大祭に参拝
「板垣正後援会」発足 会長の村上勇氏
御製の碑が完成 群馬県護国神社境内に
第三百三十五号(昭和53年12月15日)
政府予算編成は新春へ 新年早々に代表者議開催へ
叙勲褒章の受章者 本会関係五氏に
欧州の戦没者慰霊、西ドイツ・フランス視察から
第三百三十六号(昭和54年1月15日)
54年度政府予算公扶料月額八二、五〇〇円、特弔12万6年国債増額に
日本遺族政治連盟 初の総決起大会開催、板垣正氏支援を決議
第三百三十七号(昭和54年2月15日)
日本遺族政治連盟 地方選推せん候補者を決定
日本遺族会主催のフィリピン戦跡巡拝を実施
第三百三十八号(昭和54年3月15日)
栄えある会長表彰 53年度功労者百九十五人に
地方選に仲間を選出しよう 青年部代議員会で
第三百三十九号(昭和54年4月15日)
示した遺族の底力 統一地方選各地で善戦
パコダの国ビルマへ 日本遺族会ビルマ戦跡巡拝団
マリアナ諸島から一、四六一柱帰る
第三百四十号(昭和54年5月15日)
大平首相が靖国神社に参拝 就任後初めて
ヨーロッパ戦争犠牲者に初めて代表を派遣
台湾の戦没者遺族が靖国神社に参拝
第三百四十一号(昭和54年6月5日)増刊
55年度政府予算要望事項決まる
要求は月10万円(公扶)初めて遺児にも国の慰籍を
遺族さんとヒザまじえて 全国行脚する板垣正氏
第三百四十二号(昭和54年6月15日)
偉大な指導者に惜別 石田和外氏告別式しめやか
あたたかな友情に包まれて 板垣正氏を激励する会開く
千鳥ケ渕墓苑の拝礼式 三千余柱を納める
第三百四十三号(昭和54年7月15日)
九段会館新館が竣工7月11日オープン
阿波丸の遺骨帰る 中国から34年ぶり
沖縄学徒顕彰会戦没学徒しのんで三十四年祭執行
第三百四十四号(昭和54年8月15日)
要望貫徹めざして34回全国戦没者遺族大会開催す
積年の思いこゝに 遠い北国を訪ねてソ連墓参団
板垣正氏猛暑の中の遊説行
第三百四十五号(昭和54年9月15日)
来年度の概算要求そろう 遺児記念館に調査費
全閣僚、議長の生花登場を飾る英霊にこたえる会第4回慰霊大祭挙行
帰ってきた“英霊”遺族たちの願いかなう津島市追悼式
第三百四十六号(昭和54年10月15日)
35回総選挙終る 推せん候補者235人当選
靖国神社公式参拝 地方各議会で次々に採択
支給対象者が拡大されました 特別弔慰金の請求手続き
第三百四十七号(昭和54年11月15日)
大平首相二度目の参拝 靖国神社秋季例大祭
英霊にこたえる会 会長に井本台吉氏を推載
亡き父をしのんぶ“あゝモンタルパン”ミノフォンの南比渡志さん
第三百四十八号(昭和54年12月15日)
新役員きまる 会長村上氏 副会長浦野、伊藤、中井三氏
日本人にも責任がある!比国店頭に並ぶ遺骨や遺品
手編みの贈り物、小出市婦人部敬老の日心こめて
第三百四十九号(昭和55年1月15日)
公務扶助料 月額九万四千五百円6月から
“談笑のうち解決”と大平首相あいさつ 35回遺族大会で
第三百五十号(昭和55年2月15日)
重要課題抱えて新体制きまる 青年部代議員会
散華の跡を訪ねて フイリピンへ百十七人
三千人の人でにぎわう二十回目の婚礼展示会
第三百五十一号(昭和55年3月15日)
永年の功績に二百一人の方々に 佐藤、吉富両氏に特別表彰
硫黄島から一〇二柱帰る
急げ!都道府県議会の靖国神社公式参拝決議
第三百五十二号(昭和55年4月15日)
参院地方区推せん候補者決まる 日本遺族政治連盟
旧満洲へ初の慰霊団 東北地区死没者遺族訪中団
必勝を期して板垣氏支援団体一堂に
九段会館結婚式四万組が誕生
第三百五十三号(昭和55年5月15日)
英霊の日制定を推進 英霊にこたえる会
大平総理靖国参拝へ 相変らず“私人”として
靖国神社公式参拝請願署名を総務長官に提出
第三百五十四号(昭和55年7月15日)
やった!遺族の底力 板垣氏参院全国区で上位当選
村上会長衆院選大分一区でトップ当選
遺児記念館いよいよ本格化 特別委員会がスタート
第三百五十五号(昭和55年8月15日)
遺協内に遺児記念館委を設置 委員長に橋本氏
鈴木総理が靖国へ8月15日閣僚とそろって参拝
“われらが徳さん”参院議長に就任
第三百五十六号(昭和55年9月15日)
56年度政府予算概算要求そろう 公務扶助料十万三千円に
35年目の夏に祈る 閣僚19人靖国参拝
植樹や遺骨収集 青年部20周年記念にサイパン島で
第三百五十七号(昭和55年10月15日)
靖国神社問題 伝統、英霊祭祀を堅持 党に正式機関設置求む
公式参拝決議 二十五県会 五百三十二市町村
ラバウルに慰霊碑竣工
第三百五十八号(昭和55年11月15日)
鈴木総理靖国へ 公式参拝定着に一歩前進
週刊サンケイ10/30号に怒りの声 遺骨収集中傷記事に
金城氏の胸像立つ 沖縄・糸満市に
第三百五十九号(昭和55年12月15日)
青年部結成20周年記念式典を挙行する
永年の労苦に感謝 援護事業功労者本会36人に
靖国公式参拝を決議 英霊議員協議会総会で
英霊にこたえる会中央本部事務局長に森田次夫氏就任
第三百六十号(昭和56年1月15日)
公務扶助料8月から十万三千円に 56年度政府予算
概算要求ほゞ実現 厳しい財政下運動みのる
第三百六十一号(昭和56年2月15日)
情けない総理の答弁 靖国問題進展せず
さようなら紅露さん 素敵なおばあちゃん逝く
さあ一緒に帰りましょう フィリピン戦跡巡拝記
第三百六十二号(昭和56年3月15日)
公式参拝・英霊の日ことしこそ実現の年 56年度事業計画決まる
本会顧問臼井荘一氏当選 参院千葉地方区補選で
公式参拝八月までに決着を 英霊にこたえる会運営委
第三百六十三号(昭和56年4月15日)
今後の遺骨収集に「赤信号」 北マリアナ政府入域を一時不許可に
肉親散華の地求めて涙と共にビルマ慰霊の旅
遺骨収集声なき帰国10年の足跡
第三百六十四号(昭和56年5月15日)
公式参拝へ動き活発 議員二百人そろって靖国神社春の大祭へ
初めて中国、西部ニューギニアへ本会で参拝を計画
阿波丸の遺骨帰る
第三百六十五号(昭和56年6月15日)
公式参拝実現を英霊にこたえる会総決起大会
新たに三千柱納骨 千鳥ケ渕戦没者墓苑に
収骨の継続を要望 北マリアナ政府アダム局長と懇談
第三百六十六号(昭和56年7月15日)
インドネシア閣僚が公式参拝
責任を果すために内容濃く中央で研修会 婦人部
第三百六十七号(昭和56年8月15日)
自民党靖国公式参拝を党議決定
本会要望必らず概算要求に 党本部に代表集う
第三百六十八号(昭和56年9月15日)
国会議員は「公式参拝」首相は“私”のまゝ
公式参拝請願署名七回目を提出 一千万人にあと一歩
57年度概算要求恩給増はゼロ回答 今後の推移に注目
第三百六十九号(昭和56年10月15日)
永年の悲願みのる“鎮魂の旅”中国へ
北方領土高まる返還願う声 青年部現地視察実施
東部ニューギニア遺骨収集120柱40年目に無言の帰国
第三百七十号(昭和56年11月15日)
戦跡巡拝団初めて西部ニューギニアへ
首相、議員も参拝 靖国神社秋の大祭 新たに619柱合祀
北マリアナ政府副知事を招く 収骨の継続を再度要望
第三百七十一号(昭和56年12月15日)
新役員がきまる 正副会長など留任
本会顧問佐藤信氏が逝く
参院選全国区に徳永正利氏を推せん
第三百七十二号(昭和57年1月15日)
公務扶助料月額11万5・8月に分けて実施 57年度政府予算
たゆまぬ運動実る処遇改善運動37回大会皮切りに
第三百七十三号(昭和57年2月15日)
戦没者遺児記念館 児島案提出さる
特別給府金継続・増額目ざし 婦人部具体策決める
浦野副会長「私の足跡」を出版
第三百七十四号(昭和57年3月15日)
創立三十五年秋に記念事業を
五十六年度会長表彰に一九一人
幾多の辛さんを経て 会結成三十年沖縄県式典挙行
第三百七十五号(昭和57年4月15日)
戦没者追悼・平和記念の日 閣議決定で制定
絶対容認できない!箕面忠魂碑違憲判決 本会近く反論へ
玉串料の公金支出は憲法上何ら問題がない
第三百七十六号(昭和57年5月15日)
特別給付金継続・増額のため婦人部中央研修大会開催
断乎反対の声明発表 箕面市全面支援に
57年度戦跡巡拝 ソロモン諸島初めて実施へ
第三百七十七号(昭和57年6月15日)
「斉館」「社務所」が竣工 靖国神社
公式参拝実現政府の決断に 7・7に実行要求大会
二千八十一柱納める 千鳥ケ渕墓苑で拝礼式
第三百七十八号(昭和57年7月15日)
靖国神社参拝“私的”とは言わない 鈴木首相が言明
要望事項実現へがんばろう 夏の陣スタート
首相に公式参拝要請 英霊議員協が総会開く
第三百七十九号(昭和57年8月15日)
地方は問題ない 玉串料公費支出 官房長官発言
靖国公式参拝の要望書 国会議員三八七名が署名
ついに達成一千万請願署名 英霊にこたえる会
第三百八十号(昭和57年9月15日)
“私的”から抜けでる首相無言のまゝ靖国参拝
特別給付金予断許さぬ中婦人部陳情行なう
みたまに感謝の祈り 英霊にこたえる会慰霊大祭挙行
第三百八十一号(昭和57年10月15日)
創立35周年記念事業細目決まる 11月29日式典挙行
ソ連・モンゴル地区墓参記
日遺通信配布方法など検討 青壮年部中執委で
第三百八十二号(昭和57年11月15日)
58年度政府予算越年必至に 要望事項に影響大
待望の地踏みしめ 中国華中地区巡拝記
陸・海・空自衛隊代表部隊も参列 千鳥ケ渕墓苑慰霊祭
第三百八十三号(昭和57年12月15日)
研鑚の日々積み重ね創立35年の式典挙行
先達の功績たたえ 物故者慰霊祭厳かに執行
二、〇六六柱声なき帰還 ソロモン・フィリピンから
第三百八十四号(昭和58年1月15日)
特別給付金父母60万、妻120万継続・増額が実現
九段会館操業25周年を祝う
特給 大臣接衛で決着 全組織あげた運動の成果
第三百八十五号(昭和58年2月15日)
吉富幸助顧問逝く
一路悲願の地東部ニューギニアへ 戦跡巡拝記
地熱酸欠との闘い 硫黄島に遺骨収集団出発
第三百八十六号(昭和58年3月15日)
詭弁にみちた箕面慰霊祭判決
公式参拝春の例大祭を注目 全閣僚に要望書提出へ
九段会館本館改造に着手 6~9月は本館休業
第三百八十七号(昭和58年4月15日)
″慰霊祭″は″習俗″箕面判決に関連して文部省見解明示
戦跡巡拝概算要求決まる 58年度は四地域に
ビルマ・マリアナ・ガダルカナル収骨団相ついで帰国
第三百八十八号(昭和58年5月15日)
中曽根首相靖国へ公式参拝″総理大臣″を強調
推せん候補者各地で善戦 統一地方選
特給請求手続き間もなく始まります 支給法概要と手続方法
第三百八十九号 (昭和58年6月15日)
特弔60年以降継続・増額を 委員会設置し検討へ
春の叙勲本会は六氏 勲二等瑞宝章浦野副会長に
起工式厳粛に 九段会館改造工事の安全祈る
第三百九十号 (昭和58年7月15日)
徳永正利氏当選 新制度下の参院選
委員長に中井副会長選出 第一回特弔委員会開く
処偶実現など重点に 青壮年部ブロック研修会始まる
第三百九十一号(昭和58年8月15日)
公扶増額今年はどうしても実現7・27代表者会議開催
靖国公式参拝 首相発言きっかけに動き急
″法制局見解″見直す 首相初めて明らかに
第三百九十二号(昭和58年9月15日)
公人として参拝 中曽根首相春に続き
恩給、年金今後の措置待ち 人勧取扱い如何に
十月一日に新装オープン いよいよ総仕上げ本館改造工事
第三百九十三号(昭和58年10月15日)
九段会館本館改造が竣工 設備の近代化をはかる
シベリア鉄道を利用して ソ連墓参記
遺児の国会議員一心会を結成 浦野副会長が名付け親
″鎮魂の碑″硫黄島に完成
第三百九十四号(昭和58年11月15日)
年内解散総選挙必至 組織を再点検強化をはかる
靖国小委近く結論 有識者から意見聴取終る
積年の思いいまはたす 西部ニューギニア巡拝報告
第三百九十五号 (昭和58年12月15日)
新役員決まる正副会長・専務理事は留任
効果的な運動推進を 十一月九日に遺族大会を開く
″公式参拝″は合憲 靖国小委が見解まとめる
第三百九十六号(昭和59年1月15日)
中曽根首相 新春の靖国参拝 現職として戦後初
37回総選挙終る 推せん候補者二四九人が当選
本会から記念品贈呈 中国残留孤児六十人に
第三百九十七号(昭和59年2月15日)
公務扶助料月額一一四、一六七円 三、八月の二段階で
福祉対策の一環で 婦人部老人ホーム視察
兵隊さんの消息を知らせて ビルマの親日家から
第三百九十八号(昭和59年3月15日)
特弔の継続・増額実現の年に 組織をあげ推進はかる
先達の功績たたえ 百八十八人に会長表彰
硫黄島から一三五柱捧持三十九年ぶり遺族と無言の対面
第三百九十九号(昭和59年4月15日)
奥野見解の推進を!八月十五日にむけて
東太平洋戦没者の碑完成 マーシャル群島マジェロ島に
第四百号(昭和59年5月15日)
公式参拝は合憲自民党が正式見解
靖国神社に初の集団参拝 滋賀県自民党県議団
ラブアン平和公園が竣工 贈呈式に本会代表参列
戦没者の孫も認める遺骨収集で 青壮年部が今年から
第四百一号(昭和59年6月15日)
公式参拝実現求めて 青壮年部8月に断食祈願
板垣正氏を推せん 次期参院選比例代表候補者に
真宗高田派は賛成 公式参拝は当然と明言
第四百二号(昭和59年7月15日)
要望貫徹を期して 全国大会に千三百人参加
総務庁が発足初代長官に後藤田氏
委員長に中井副会長を選出 特弔実現推進委で
第四百三号(昭和59年8月15日)
靖国神社で断食祈願 戦没者遺児もう待てないと決起
「靖国懇」設置される 座長に林敬三氏が就任
全国代表者大会開く 靖国公式参拝を求めて
第四百四号(昭和59年9月15日)
戦没者遺児50時間の断食完遂
中曽根首相らが靖国神社参拝
概算要求提出さる 要望推進に総力の結集を
第四百五号(昭和59年10月15日)
「靖国懇」質疑に入る 首相官邸に第二回目開催
長島銀蔵顧問逝く 占領下遺族授護に尽力
全国各地で決起集会 特弔継続・増額求めて
第四百六号(昭和59年11月15日)
遺族記念館 基本構想策定なる
援護功労で厚相表彰 本会関係者は三十八人
知事を夫代わりに 高知県婦人部合同金婚式を祝う
第四百七号(昭和59年12月15日)
公務扶助料・特別弔慰金厳しい状況かわらず
遺児激励金制度一月から実施 常務理事会で決定
謹哀悼堀 兄さん逝く
第四百八号(昭和60年1月15日)
公務扶助料待望の月額十二万円実現八月から特弔三十万円10年国債
懸命な運動十日間″今年こそ″の意気込みで
第四百九号(昭和60年2月15日)
公式参拝決着本年にかける強力な運動展開
浦野副会長証人として出廷 箕面市補助金訴訟で
比島から五百五十一柱帰る 硫黄島、マリアナへも派遣団
第四百十号(昭和60年3月15日)
終戦40周年記念として秋に大慰霊祭
中国孤児へ毛布と基金贈る 岩手県遺族会に感謝状
長年の労苦に感謝 百八十七人に会長表彰
第四百十一号(昭和60年4月15日)
公式参拝実現運動いよいよ本格化 中央地方一体となって
板垣後援会強化を 参院比例区名簿登載基準きまる
積年の願い果す マーシャル・ギルバート諸島初めて巡拝
第四百十二号(昭和60年5月15日)
公式参拝実現を!もう論議のときではない英霊にこたえる会全国総決起大会開く
英霊にこたえる会全国総決起大会開く
西太平洋戦没者の碑 ペリリュー島に建立
中国孤児肉親探しの一助に 神奈川県婦人部が基金寄贈
第四百十三号(昭和60年6月15日)
春の生存者叙勲 本会関係者は七人
リレー陳情始まる 公式参拝実現向けて7月31日まで実施
終戦40周年を記念して婦人部が感謝の集い
第四百十四号(昭和60年7月15日)
板垣正氏が内定 参院選比例区候補者に
英霊にこたえる会 福井県本部東西本願寺に抗議
沖縄戦終結から四十年 千七百人参加慰霊の大行進
第四百十五号(昭和60年8月15日)
8月15日靖国公式参拝実現 情勢は優位に展開
遺児記念館国の立場で検討 懇談会座長に向坊氏
特弔の請求手続間もなく始まります
第四百十六号(昭和60年8月25日)増刊
中曽根首相靖国に公式参拝 四十年の悲願ついになる
第四百十七号(昭和60年9月15日)
靖国神社公式参拝なる 首相が英断、実行
悲願達成みたまに奉告 慰霊大祭厳粛に執行 英霊にこたえる会
“靖国懇”報告書の要旨
第四百十八号(昭和60年10月15日)
終戦40周年と公式参拝実現記念して感謝行事相つぐ
参院選対策着々と 後援会員は140万人突破
ソ連墓参の旅 40年の募る思い胸に
第四百十九号(昭和60年11月15日)
会長に長谷川竣氏を推載
靖国神社で大慰霊祭 終戦40年を記念して
村上勇前会長の銅像が完成 故郷大分県佐伯市に
第四百二十号(昭和60年12月15日)
61年度政府予算厳しさ一段と代表者大会12月25日に開催
初めて女性部員中心で 青壮年部幹部研修会
国鉄と特別契約結ぶ 乗車券、特急券など平均13%割引
第四百二十一号(昭和61年1月15日)
公務扶助料月額一二五、九一七円に 実施は七月から
沖縄開発政務次官に板垣正参院議員が就任
第四百二十二号(昭和61年2月15日)
青壮年部基本問題委 報告書を提出
靖国神社本殿解体修理着工 竣工は64年秋
第四百二十三号(昭和61年3月15日)
公式参拝定着を最大目標に 61年度活動方針決まる
参院選の必勝期す 選挙区候補者第一次推せんを決定
青壮年部25年目に第二次新体制へ記念式典を挙行
山野に眠る遺骨県民の手で たった一日で444柱収集 沖縄
第四百二十四号(昭和61年4月15日)
靖国神社仮殿が竣工 遷座祭執り行う
初めてトラック諸島を計画 61年度巡拝決まる
第四百二十五号(昭和61年5月15日)
陛下末長くお元気で 四月二十九日ご在位六十年の式典
参院選挙いよいよ迫る 必勝期し対策の徹底を
公式参拝で署名運動実施 青壮年部
第四百二十六号(昭和61年6月15日)
ついに衆参同日選挙 万全の体制を固め総力を結集し勝ち抜こう
公式参拝継続・定着強く要請
千鳥ケ渕で拝礼式 二千五百七十九柱を納骨
第四百二十七号(昭和61年7月15日)
連続十二回長谷川会長当選果す 示す遺族の力参院比例区代表板垣正氏は十一位
参院比例区代表板垣正氏は十一位
推せん候補者続々当選総力運動みのる
関係者を探しています 元日本兵の写真ビルマで預る
第四百二十八号(昭和61年8月15日)
公式参拝継続実行要求し決起大会
公式参拝実行12閣僚が確約 反面消極的な発言も
賛成署名に続き各地で対話集会 青壮年部が公式定着で
第四百二十九号(昭和61年9月15日)
中曽根首相靖国参拝せず 遺族の憤激その極に
公式参拝8月15日までの運動経過
恩給問題懇談会 総務庁に設置
第四百三十号(昭和61年10月15日)
恩給は国家補償 他の公的年金とは性格が異に
インド巡拝七年ぶりに 政府が明年一月実施へ
シンガポールへ慰霊訪問団 婦人部が実施
第四百三十一号(昭和61年11月15日)
靖国神社秋季大祭に七閣僚参拝首相またしても見送る
一年目途に要望、内容など研究 遺児特別委が初会合
試掘調査で確認 日本人戦没者墓地コレヒドール島に
第四百三十二号(昭和61年12月15日)
天皇在位六十年大奉祝まつり11月10日万才の声鳴り響く
浦野匡彦副会長が逝去
台湾人元日本兵援護実現を!請願陳情に本会も協力
第四百三十三号(昭和62年1月15日)
公務扶助料月額一二八、六一七円に 四、八月の二段階で
在りし日偲んで 故浦野副会長の追悼祭
第四百三十四号(昭和62年2月15日)
靖国神社銅板瓦6万枚余を奉納
肉親の面影偲んで 念願の地インパール、コヒマへ
明るい色彩を基調 九段会館新館ホテルの内装一新
第四百三十五号(昭和62年3月15日)
公式参拝は合憲 玉串料も当然の全面勝訴 岩手訴訟
地方選の必勝期そう 推せん候補者を決定
遺骨収集参加15年を記念して青壮年部が式典
第四百三十六号(昭和62年4月15日)
アンケート調査実施 公式参拝に関連して 英霊にこたえる会
国鉄みたま参拝券 民営後も利用できます
寄せ書きの「日の丸」ご遺族の手に42年ぶりにアメリカから
第四百三十七号(昭和62年5月15日)
公式参拝の定着めざす八月十五日にむけ具体的運動方法を検討
特弔請求手続きお早く 来年六月十三日で時効となります
遺児の女性県議誕生 鹿児島県遺族会尾辻のりさんが
第四百三十八号(昭和62年6月15日)
靖国神社公式参拝で見解まとめる 会員相互に徹底を
9月29日に式典挙行 創立40年記念事業大綱決まる
厚相から特別感謝状 遺骨収集の民間協力15年を記念して
第四百三十九号(昭和62年7月15日)
6月16日婦人が大会 靖国、処偶、特給など諸問題解を
8月15日英霊にこたえる国民の集い 英霊にこたえる会
北太平洋戦没者の碑 玉砕の島アッツ島に竣工
遺骨収集を支えた鶴田浩二さん逝く
第四百四十号(昭和62年8月15日)
箕面忠魂碑慰霊祭訴訟 市側が全面勝訴
閣僚の公式参拝実行重ねて要請 青壮年部特別陳情実施
遺骨収集早期完遂を記録集の作成もあわせて
第四百四十一号(昭和62年9月15日)
8月15日閣僚の靖国参拝相つぐ
戦没者追悼中央国民集会開く 初の試みに大きな反響
靖国の時計塔案内板新たに婦人部が真心こめ作製
第四百四十二号(昭和62年10月15日)
日本遺族会創立40周年記念式典を挙行
生前の功労たゝえ物故役職員慰霊祭を執行
第四百四十三号(昭和62年11月15日)
戦没者遺族に思いやりある政治を 竹下新内閣に期待
臼井壮一本会顧問が逝去
台湾人元日本兵遺族等に朗報 弔慰金支給へ
541柱を祖国に捧持 ソロモン諸島遺骨収集団
第四百四十四号(昭和62年12月15日)
新副会長に遺児の古賀誠氏 会長、二副会長は留任
予算編成運動総力あげ要望事項実現を
故臼井副会長を悼む しめやかにお別れする会 千葉県遺族会
第四百四十五号(昭和63年1月15日)
公務扶助料月額一三〇、一一七円 一・二五%増 四月から実施
処遇改善めざし連日陳情運動を展開
第四百四十六号(昭和63年2月15日)
戦没者遺児記念館懇談会が中間報告 設置の必用性認める 戦争の歴史客観的に伝承
九州靖国訴訟 原告の訴え棄却
硫黄島で遺骨収集 今回で地表部は概了に
第四百十七号(昭和63年3月15日)
徳永正利参議院員議員今期限りで勇退
戦没者遺児に関する特別委員会報告書
硫黄島で二百四柱を収集 地熱六十度の悪条件下で
第四百四十八号(昭和63年4月15日)
参院選挙対策きまる 党員確保は八月末まで
二千五百人が祝う 長谷川会長盛大に出版記念会
声なき帰還相つぐ タイ10年ぶり42柱 マリアナ、パラオ277柱収骨
第四百四十九号(昭和63年5月15日)
英霊にこたえる会 広瀬栄一氏逝去
参院内閣委で板垣議員が質問 恩給改訂のあり方等を
タイ・台湾を初計画 63年度の戦跡巡拝決まる
特別弔慰金時効迫る 6月13日までに請求を
第四百五十号(昭和63年6月15日)
尾辻秀久氏を推せん 参院選比例区代表唯一の候補として
自衛官合祀は合憲 明解な最高裁判決
奥野発言を強く支持 英霊にこたえる会国民集会を開く
第四百五十一号(昭和63年7月15日)
党員20万人獲得に全力を 政治連盟本部長、事務局長が会議
尾辻氏公認候補内定 自民党で選挙区も併せ決める
閣僚等の公式参拝を求めて青壮年部波状陳情開始
第四百五十二号(昭和63年8月15日)
要望事項の実現を!推進はかるため全国代表者会議開く
尾辻氏に内定書 次期参院議選で自民党竹下総裁から
恩給に受給権調査 毎年誕生月に実施 本年十月から
第四百五十三号(昭和63年9月15日)
特弔の支給事務費、遺児の巡拝 概算要求提出される
14閣僚が靖国参拝 8月15日前後首相の訪中控えた中
しのぎを削る各候補 参院比例代表選党員獲得など躍起に
第四百五十四号(昭和63年10月15日)
陛下の一日も早いご快癒を 願いを こめ記帳に長い列
今後の活動の一助にオーストラリアへ婦人部が訪問団派遣
大渕熊蔵さんを存知ですか 米国から血染めの日章旗
第四百五十五号(63年11月15日)
公費補助は合憲 箕面訴訟大阪地裁で
遺族会は宗教団体にあらず、原告の訴へ全面的に棄却
専門家会合を設置 遺児記念館懇談会中間報告に基づく
三百三柱を収集 ソロモン諸島で厳しい作業のなかで
第四百五十六号(昭和63年12月15日)
64年度政府予算編成越年必至に 政治日程に対応し運動方決める 12月22日には遺族大会
遺骨の一時預託拒否発言に怒り 外務省の猛省を求める
吉井惇一氏当撰を果す 出身地防府の市長に
第四百五十七号(昭和64年1月15日)
天皇陛下崩御 国民の祈り届かず 激動の「昭和」終わる
公務扶助料8月から月額一三三、〇二五円、特弔18万 6年国債 遺児の巡拝も三地域実現
第四百五十八号(平成元年2月15日)
靖国神社御本殿が修築竣工 厳かに遷座祭執行
尾辻候補を参議院に送ろう 青壮年部が励ます集い開く
タイ巡拝初めて実施 七千余のみたまに追悼の誠を捧げる
父の遺歌集“草の実”遺児たちが自費出版
第四百五十九号(平成元年3月15日)
大喪の礼厳粛に 安らかなお眠りを祈る
長年の苦労に感謝 百八十九人に会長表彰
声なき帰還相つぐ フィリピン硫黄島から
第四百六十号(平成元年4月15日)
初の遺児巡拝実施要領等決まる 居住地により募集地域わける
玉串料支出は違憲 愛媛玉串料訴訟 松山地裁不当判決
初めてバシー海峡で祈る 念願の台湾地区を巡拝
第四百六十一号(平成元年5月15日)
尾辻候補河本派に 名薄登載で高順位獲得に全力
後援会員名薄の確認作業四月二十二日に自民党が
旧友会訪中団に代表を二名派遣 今回は青壮年部から
第四百六十二号(平成元年6月15日)
特別委員会報告書を承認 本会役員は大幅に削減へ
参院選7月23日が投票 目的達成のため対策協議
拝礼式しめやかに千鳥ケ渕墓苑千四百七十五柱納める
第四百六十三号(平成元年7月15日)
尾辻候補10位に登載 地道な活動高い評価得る
”公式”定着を推進 英霊にこたえる会八月九日に全国大会
長谷川会長沖縄で慰霊の誠尽す 平和祈願大行進の先頭に立つ
第四百六十四号(平成元年8月15日)
第十五回参院選尾辻秀久氏比例区で初当選自民党に新風を徳永正利氏の後継者として期待大
板垣正参議員議員内閣委員長に
東部ニューギニアで158柱収集サラワケット地区本格的に実施
二万個の献灯九段の夜を彩る 靖国神社みたままつり
第四百六十五号(平成元年9月15日)
平成に平和を誓う 両陛下お迎えし全国戦没者追悼式
十六閣僚靖国神社に参拝 八月十五日とその前後
慰霊大祭厳粛に 日旺学校の生徒から今年も千羽鶴頂く
遺族会館が竣工 京都府遺族会 会員の願い実現
第四百六十六号(平成元年10月15日)
靖国神社創立120年迎える 秋の大祭に合せ奉祝大祭執行
特別委員会を設置 遺児記念館の建設促進で
初めてウラン・ウデ墓参叶う ソ連墓参シベリヤ鉄道の旅
第四百六十七号(平成元年11月15日)
勲一等旭日桐花大綬章 日本遺族会顧問徳永正利氏に
時局に思う(日本遺族会 会長長谷川峻)
創建三十周年を記念して慰霊祭執行 千鳥ケ渕墓苑で
中華全国青年連合会幹部と懇談 青壮年部代表北京で
第四百六十八号(平成元年12月15日)
年明け解散・総選挙必至の情勢
長谷川会長・古賀副会長の必勝を期す
靖国参拝抵抗なし 後藤法務大臣が答弁衆院法務委員会で
中曽根首相の公式参拝訴訟 大阪地裁で棄却される
千鳥ケ渕墓苑奉仕会と懇談 本会靖国担当常務理事
第四百六十九号(平成2年1月15日)
公務扶助料月額一三七、一一六円 実質三・三二%実現
政府・自民党へ連日陳情運動 国家補償での改善求めて
第四百七十号(平成2年2月15日)
政府主催ソ連墓参四地域にわけて計画
ビルマ女性が日本留学 滋賀県でホームスティ
第四百七十一号(平成2年3月15日)
自民安定多数を確保 正副会長見事当選を果す
正副会長は留任 理事会・評議員会合同会議で
海部総理が決意表明 第十一回北方領土返還要求全国大会で