雑誌ニホン イゾク ツウシン 100019575

日本遺族通信縮刷版 〔第1巻〕

サブタイトル
第1号-第300号(昭和24年2月-昭和51年1月) 日本遺族会機関紙
著者名
日本遺族会 編者
出版者
日本遺族会
出版年月
1976年(昭和51年)3月
大きさ(縦×横)cm
37×
ページ
624,26p
NDC(分類)
369.37
請求記号
369.37/N71/1
保管場所
地下書庫和雑誌
内容注記
第1号-第8号までの誌名:日本遺族厚生連盟会報 合本複製
第186号(p360)と第187号(p361)の間に第128号-第131号(p241-248、重複)が挟まっている。
和書
目次

日本遺族通信縮刷版 昭和二十四年二月第一号-昭和五十一年一月第三〇〇号
日本遺族厚生連盟会報
第一号(24年2月10)
発刊の辞(日本遺族厚生連盟会長 長島銀蔵)
会報の発刊を祝して(厚生大臣 林謙治)
第二号(24年4月15日)
国会議員と本連盟理事との懇談会を開催
未亡人の問題について東京新聞が世論調査
第三号(24年8月15日)
全国婦人代表懇談会 三十八府県より代表が参集して開催
遺族援護に関する決議 衆参両院で行なう
第四号(24年9月25日)
理事会と婦人部懇談会を開催
第五号(24年11月10日)
議会対策委員会の再報告
真に未亡人を救う者(北鬼助)(評論家)
第六号(24年12月25日)
全国遺族代表会議が全国三十七府県 代表百八十八名の出席により開催される
第七号(25年1月20日)
戦争遺族に特別考慮は現在困難 政府は議院決議に回答
母子福祉対策要綱を厚生省が決定
第八号(25年2月20日)
日本遺族厚生連盟の届出について
法務府特別審査局第三課が見解を表明し、本連盟に示唆
衆院厚生委員会で遺族問題について討議
阿波丸事件の遺族に対する見舞金の構想が決る
日本遺族通信
第九号(25年3月25日)
全国理事、評議員会を三日間にわたり開催
連盟はいかに在るべきかについて討議
全国未亡人大会が母子福祉対策中央協議会主催により開催さる
遺族援護の決議具現せよ 太田敏兄議員が参院本会議において緊急質問
第十号(25年4月25日)
生活保護法の全面改正を国会に提出
全国遺族会事務担当者会議を開催
第十一号(25年5月15日)
参議院議員の選挙に際して先づ我々の代表を選べ
やっぱり狭い育英資金の門 本年度は十五億円
遺家族議員連盟生る
第十二号(25年6月15日)
社会保障制度要綱試案が生る
「幸福なのは眠っている時だけ」追いこまれた未亡人の叫び
第十三号(25年7月15日)
全国理事会を開催、参院選に当選した長島会長が所信を披れき
復活した靖国献詠会
第十四号(25年8月15日)
阿波丸事件見舞金が犠牲者一人に七万円と決定
市町村民税の減免に関し 「特別事情は遺族をも含む」と国会で政府答弁す
第十五号(25年9月15日)
地方公共団体が遺族援護に動く 長崎、大分、兵庫の各県が突破口
年金、弔慰金の支給は当然 本連盟が各界の著名人にアンケート
遺族推定数は七五九万
第十六号(25年10月15日)
社会保障制度勧告案で無拠出年金の対象をひろげる
県費十二万円で遺族調査 奈良県が実施
しいたけ栽培事業で大分県遺族会が成功
第十七号(25年11月15日)
それぞれ特色ある援護状況(地方自治体の援護状況)
遺族援護を誤るな 厚生省が全国に通牒
国連軍戦歿将兵慰霊祭 奈良県遺族厚生会が東大寺大仏殿において行なう
第十八・十九号(26年1月1日)
理事会で新運動方針を決定 新年を期して猛運動を行なう
土居良子さんと八十万の遺児
第二十号(26年2月1日)
所得税の特別控除の設立 老人、未亡人に朗報
戦界未亡人の成長 ある手記から
三万八千世帯の実態は 大分県の遺族調査成果
第二十一号(26年3月1日)
第一回全国遺族代表者大会 三千余名の参会を得て東京の共立講堂で開催
講和前に何とかしたい 大会で黒川厚相言明
徹底した戦争犠牲者への補償 西独の連邦扶助法
第二十二号(26年4月1日)
遺族問題の解決考慮中 参院予算委員会で首相答弁
請願署名の中間報告
欧州の戦争孤児
第二十三号(26年5月1日)
遺族問題の解決は人道精神に立て 高橋議員衆院会議で説く
遺族補償に関する希望案を開係筋に提出
第二十四号(26年6月1日)
苦節六年の光明見ゆ 収穫多かった理事会
単独法を作りたい 高橋、山下両議員との懇談会
第二十五号(26年7月1日)
全国一斉に遺族抽出調査 七月下旬厚生省で集計
遺族補償 補正予算に組む 池田蔵相談
第二次希望を提出 遺族補償に関する希望案
第二十六号(26年8月1日)
補償金は年金、弔慰金の二本立 婦人部長協議会の結論
必ず具現する覚悟 橋本厚生大臣 婦人部代表に答う
第二十七号(26年9月1日)
遺族補償と講和問題 常務理事会で検討
政府、各党熱心に考究 国際情勢との関連微妙
抜本的措置を構ず 衆院厚生委で厚相答う
第二十八号(26年10月1日)
公葬等に関する通牒変更 公職者参列可能
遺族問題研究会 中国、四国地区で
第二十九号(26年11月1日)
遺族運動 第一期総決算の秋 十一月さらに理事会、遺族大会
基本年金四千円に 理事会で陳情
第三十号(26年12月1日)
決意みなぎる第二回全国大会 東京都神田共立講堂において盛大に開催 参集した代表四千余り 橋本厚相をは
第三十一号(27年1月1日)
旧軍人会館の譲渡 正式交渉の段階に入る
首相、我々の代表と初会談 一個の人間とし、真情を吐露
第三十二号(27年2月1日)
道義的精神を以て出直せ われわれはかく戦った
大磯を忘れるな
世を震がした八百万の叫び 第三回全国戦後者遺族大会
要求の線にそって協力首相に代り官房長官答う
第三十三・三十四号(27年4月1日)
情勢如何では第四回遺族大会 理人会で決定
戦後者感謝式典か 五月上旬国家主催で
見解の相違はここに至る
〔政府案〕年金、公債利子で二〇九億円 来年もこのままでか?
〔連盟案〕抜本的解決は来年度から 本年はあくまで暫定措置
第三十五号(27年5月5日)
全国戦没者追悼式に当り天皇陛下から賜った御言葉
戦傷病者戦没者遺族等援護法の大要
独立はじめての臨時大祭 靖国神社社頭昔の賑いにかえる
英霊ここにはじめて眠る 全国戦没者追悼式が天皇、皇后両陛下御臨席のもとに新宿御苑において政府主催で行
第三十六号(27年6月1日)
戦傷病者戦没者遺族援護法の適用について
第三十七号(27年7月1日)
今年度運動方針の大綱を決す 理事、評議員会
遺族問題の思い出(青柳一郎)
第三十八号(27年8月1日)
連盟今後の対策について 常務理事会の結論
平和を祈るみたま祭 靖国神社で
第三十九号(27年9月1日)
恩給法に対する要綱決定 常務理事会
恩給法特例審議会に対する陳情
沖縄につかいして(牛島君子)
遺児の育英に特別措置 日本育英会で六千万円の別わく
第四十号(27年10月1日)
注視せよ遺族扶助料の復活 焦点は二十八年度予算の編成
こうして生きた七年 戦争犠牲者の記録
第四十一号(27年11月1日)
天皇・皇后両陛下靖国神社へ 感泣にむせんだ三千の遺族代表
父は国のため死んだのに 各代表の悲痛な意見発表
天地を震駭した我々の叫び 第四回全国戦没者遺族大会はっきり掴んだ確約 法相、厚相ほか来賓数十名
はっきり掴んだ確約 法相、厚相ほか来賓数十名
第四十二・四十三号(28年1月1日)
最低兵長、平均倍率は四倍 遺族扶助料に関する理事会の決議
恩給法特例審議会建議案及び現行諸法と本連盟の要望との相違点
第四十四号(28年2月1日)
公務扶助料の政府案決定 九ヵ月予算で三六九億
食を断ち靖国の霊に祈願 岡山代表ほか上京の理事全員
第四十五・四十六号(28年4月1日)
解散後の諸問題を審議 三月二十日緊急理事会を開催
日本遺族会寄付行為全文
会長、長島銀蔵氏辞任す 後任決定まで理事長が職務代行
第四十七号(28年7月1日)
大将十四万、二等兵二万四千円 公務扶助料の政府案決定す
遺族のために使って下さい 在ブラジル邦人より慰問金
米駐留軍よりの返還後使用を許す 旧軍人会館貸付法案提出される
日本遺族厚生連盟解散す 六月四日の評議員会で決議
日本遺族会第一回評議員会 新任理事、監事を改選
第四十八号(28年8月1日)
公務扶助料の復活成る 下級者を兵長の線に整一 婚姻による失格規定は緩和
国鉄運賃を五割引 靖国神社参拝遺族
待望の合祀通知状発送
第四十九・五十号(28年10月1日)
恩給給与細則公布さる 請求は居住地の知事経由で
靖国神社奉賛会設立について
公務扶助料及び遺族年金に関する対照表
第五十一号(28年11月1日)
理事六十名以内で新発足 常務の運営は常務理事会で 改正寄付行為
公務扶助料の復活の奉告 伊勢の聖域で全国代表者会議
公務死の範囲を拡大せよ 恩給法、援護法等に関する要望決定
第五十二・五十三号(29年1月1日)
遺族処遇の新要望点を打出す 第五回全国戦没者遺族大会
新理事選任さる 第四回評議員会
第五十四号(29年2月1日)
非公務死に弔慰国債支給か 対象七万 額面は五万と三万の両説
靖国神社奉賛会発足す 会長に北白川祥子様を戴く
第五十五号(29年3月1日)
会長に高橋龍太郎氏 第五回評議員会で推戴副会長は館、林屋、逢沢の三氏
誠心誠意最善をつくさん 会長高橋龍太郎氏
第五十六号(29年4月1日)
戦務関連死に弔慰国債五万円 援護法改正案
恩給、年金担保で金融公庫が融資
第五十七号(29年6月1日)
新弔慰国債 五万円の支給実現す
十項目の要望事項を決議 婦人代表者会議
第五十八号(29年7月1日)
死因調査の省略きまる 援護法で年金、弔慰金を受ける場合
無名戦士の墓につき打合会 厚生省で各界関係者を集め
各国の無名戦士の墓
第五十九号(29年8月1日)
新要望事項など決定 第六回評議員会で
各支部より委員一名推せん 婦人部協議会規程きまる
第六十号(29年9月1日)
遺児青少年部を結成 京都府遺族会
遺族会今後の在り方 (根尾長次郎)
第六十一・六十二号(29年11月1日)
両陛下靖国神社へ
正副委員長を選出第一回婦人部協議会
南東太平洋地域で収集 第三回遺骨収集計画
第六十三号(29年12月1日)
扶助料増額、公務死拡大重点に全国大会
大会に先立ち一三八氏一団体を表彰
遺児、未亡人の就職に関し決議 衆議院労働、内閣両委員会で
第六十四号(30年1月1日)
各党遺族対策を公表 本会の要請に応えて
全遺族に呼びかけ資金募集
南東太平洋で遺骨収集 大成丸出帆す
第六十五号(30月2月1日)
各党再度遺族対策を表明
満場一致で資金募集可決 第十三回理事会
第六十六号(30年3月1日)
南東太平洋の遺骨還る 収集遺骨は約六千柱
遺児の皆さんへ 小泉信三氏が執筆
行き悩む沖縄への補償
第六十七号(30年4月1日)
第七回全国戦没者遺族大会 報いるところ尠く相済まぬ 首相挨拶
遺族代表二千名が両陛下に拝謁
第六十八・六十九号(30年6月1日)
号俸引上げと一万二千円ベースの原則成る 支給の実施は検討中
粘り抜いた二カ月 遺族総ぐるみ運動の成果
第七十一号(30年9月1日)
恩給法、援護法の細則きまる 改正法施行は十月一日
知事が遺児の身元を保障 神奈川県で身元保障の規則作る
第七十二号(30年10月1日)
運動方針を決定 参院選挙対策は次回に持越 第十九回理事会
法的背景の複雑な恩給法上の遺族(恩給局審議課長 青谷和夫)
第七十三号(30年11月1日)
要望事項を再整理 国対委の決定
戦没者遺族の処遇に関する要望事項
第七十四号(30年12月1日)
新運動方針を練る 第二次資金募集も決定 第二十回理事会
遺族就学の実態調査に乗り出す 第四回婦人部協議会で決定
沖縄に使いして(事務局長 徳永正利)
第七十五号(31年1月1日)
公務死亡範囲拡大の公約かちとる 第八回大会の成果
沖縄の遺族のため一円募金
年頭の運動を顧みて
第七十六号(31年2月1日)
靖国神社の国家管理は是か非か 靖国神社国家管理で意見をきく 衆院特別委で金丸、大石両氏を招き
現在の姿のままではかなり困難性がある 金森氏の陳述
特別法で処理すれば憲法違反とはならぬ 大石氏の陳述
第七十七号(31年3月1日)
政府反撃に出る 公務死範囲拡大の自民党要綱に対し
三六〇議員賛成署名す 六項目の本会要望に
第七十八号(31年4月1日)
内地等戦没者遺族に年金扶助料を支給 自民党要綱を決定
第七十九年(31年5月1日)
靖国神社問題で意見書を提出
沖縄の戦跡を巡る(吉富幸助)
第八十号(31年6月1日)
継続審議に持込まる 内地等戦没者への補償法案
八万の遺骨を収集 西部ニューギニア周辺
遺児高校生の授業料免除 高知県が本年度から実施
知事が母子家庭児童の身元保障 福岡県
第八十一号(31号8月1日)
運動方法を検討 第二十三回理事会
六名当選 本会関係の参院候補者
第八十二号(31年9月1日)
運動方針具体化す 四委員会の成果
要望事項九つを選択 国会対策委員会
第八十三号(31年10月1日)
戦没動員学徒等に年金を 対象者は約七万か
新たに祀られる十一万柱 戦後22回目の例大祭
第八十四号(31年11月1日)
特例法案衆院を通る 対象は約三万六千件
無名戦没者の墓を建立 敷地は元賀陽宮邸跡
“遺児の皆さんへ”を贈る 愛知県知事 県費三十万円で
第八十五号(31年12月1日)
特例法案 両院を通過、可決 内地等戦没者遺族に年金扶助料
靖国神社と対立するものでない 無名戦没者の墓で厚相が答弁
第八十六号(32年1月1日)
第九回戦没者遺族大会
代表六千名神域に集う 兵で五三、二〇〇円を要望
第八十七号(32年5月1日)
両陛下靖国敦社に御親拝 合祀は二十二万五千柱
恩給等調査会法案成立す
九段会館と名づく 今夏頃開館予定
再び沖縄の戦跡へ
第八十八号(32年6月1日)
本年後半の運動方針きまる 理事会、評議員会
顔ぶれ決定臨時恩給等調査会委員
待望の九段会館を開業 とりあえず三百人の宿泊設備
第八十九号(32年7月31日)
第一回婦人研修会行なわる 参加者、全国から一一三名
発足した九段会館
第九十号(32年8月30日)
遺児たちの育英資金 望まれる二段構えの活用
会館の印象をきく 宿泊した遺児を囲んで
第九十一号(32年9月30日)
九段会館いよいよ全館開業の運び
遺児たちが会を受継ぐ “靖和会”が生れた井波町(富山)
第九十二号(32年10月30日)
公務扶助料の増額ぼかす 臨時恩給等調査会答申
調査会答申をめぐる運動 不撓不屈の修正要望も空し
華々しく九段会館開館式
第九十三号(32年11月30日)
倍率の絶対性を否定
金額、件数とも遺族が圧倒的 いわゆる旧軍人恩給の実体
皆さまの殿堂 こんなに立派に出来ました
第九十四号(33年1月30日)
積年の要望ほぼ達成 兵で五三、二〇〇円
世論よ誤ることなかれ 軍人恩給の実体は遺族扶助料
神に通じた八日の祈願 「大野伴睦は男でござる」
第九十五号(33年2月28日)
兵で五三、二〇〇円 遺族年金は五万一千円
比島遺骨収集団帰る 九段会館で慰霊祭挙行
九段会館遺児の会発足
第九十六号(33年4月30日)
靖国神社春季例大祭 参拝者は戦後最高
成立した恩給法、援護法一部改正案の概要
無名戦没者の墓の基本設計完成
第九十七・九十八号(33年7月30日)
奈良で改正二法案説明会 増額改定事務の促進決議
第二回婦人部研修会行なわる 将来は婦人部の双肩に
第九十九号(33年8月31日)
遺族等援護法の時効完了期迫る
案外多い潜在権利者 全国で約四万人と推定
父、終えんの地を弔う 沖縄巡拝
第百号(33年9月30日)
第百号の発刊に寄せて 相携えての使命(高橋会長)
遺族給与金の細則きまる 戦没学徒等に明春より支給
第一回全国遺児研修会を実施
百万人の団結を目指して 全国組織へ第一歩踏出す
第百一号(33年10月30日)
本腰で遺児の育成を 本部助成金六百万円を軸に 理事評議員等の合同会議
六五単位をとった 霊厳寺学習グループ
第百二号(33年11月30日)
若い世代の育成を強化(会長高橋龍太郎)
基本方針案を策定 遺児対策の具体的指針
技関を磨く遺児たちと語る 東京大井公共職業訓練所を訪れて
第百三号(33年12月30日)
遺児対策は継続審議に 第四十七回理事会開催
職業訓練所在籍遺児交歓会 「こだま会」誕生
第百四号(34年1月30日)
第十二回全国戦没者遺族大会開く
不遇に泣く遺族救え 遺児未亡人対策の確立も
青少年の育成へ 全国各地で活発な動き
恩讐こえて結ぶ真心の友情
恩讐こえて結ぶ真心の友情 日比友好のかけ橋として(山下久子、本間富士子)
第百五号(34年2月28日)
参議院選挙 推薦候補者決る 全国区三人 地方区五人に
問題の多い国民年金法案 戦没者遺族にも併給を
私は戦死者の子を採用する 母子泣かせた不二家の人事課長
第百六号(34年3月30日)
千鳥ケ渕戦没者墓苑竣工す
陛下切々のお言葉 全戦没者の追悼式を挙行
高校生に奨学金貸付 特別会計設けて運営
青少年の実態調査 全国に調査カードを配布
第百七号(34年4月30日)
公務傷病の範囲拡がる 援護法等の拡大解釈措置
一九〇万柱の霊を慰む 靖国神社臨時大祭
頑張り抜いた四年間 定時制生徒の生活記録から
第百八号(34年6月30日)
組織の強化を再検討 機構等刷新特別委員会を設置 理事評議員合同会議開く
徳永・井川両氏当選 第五回参議院選挙終る
実態調査を終って 遺族青少年の実態を把握(堤泰博)
第三回婦人部研修会開催 全国代表一六〇名が参加
英霊精神の継承を(文芸評論家 田中忠夫)
第百九号(34年8月31日)
全国遺族青年幹部研修会開く
速やかに組織の確立を 全国代表一三〇名が参加
真の愛国的精神運動へ 機構等刷新の答申成る
異郷に眠る霊を弔う 第四回沖縄戦跡巡拝
戦争のない平和な世界を切々と訴える十五才の少女
第百十号(34年9月30日)
問題残す支給範囲 待望の国民年金制実施へ
強い平和への意志 全国研修会参加者の感想
希望もてる就職戦線 今春卒業生の就職状況
第百十一号(34年10月31日)
機構等の刷新を承認
併せて靖国神社国家護持署名運動へ 理事評議員合同会議開く
靖国神社 創立九十周年迎える
第百十二号(34年11月30日)
大野伴睦先生に対する全国戦没者遺族感謝大会
靖国神社国家護持は国民の手で 総力挙げて署名運動を展開
真実に生きる青年像 幣原賞に輝やく一苦学生
第百十三号(34年12月31日)
靖国の御社は国で護れ 茨城県議会で決議
全国にこだまする若人の声 各地区青年部だより
第百十四号(35年1月31日)
山積する未解決問題 第十三回全国戦没者遺族大会開く
完成近いブロック建の我が家 独力で建築した前崎君
晴れてオリンピックの代表に 実力を発揮した島田君
第百十五・百十六号(35年3月31日)
今国会で早期実現を 要望事項の抜本的推進図る
本年末に全国結成 二年目迎えた青少年対策
全国青年代表者会議開く 本年度の青少年対策を検討
第百十七号(35年4月30日)
期待される今後の活躍 軌道にのる青年部の組織化
肉親鎮まる沖縄へ 遺族青年二十二名も参加
第百十八号(35年5月31日)
遺族青少年育英事業も承認 第五回運営委員会開かる
民主々義的自由を守る道
左右の独裁主業を警戒せよ(中央大学教授 武藤光朗)
母親おもいの好力士 遺族青年若秩父を訪ねて
第百十九号(35年7月31日)
池田内閣誕生とわれらの期待 新内閣に何を望むか 新段階迎えた遺族運動
朝夕に富士を仰いで 第三回全国青年研修会開く
英霊守った15年の風雲 日本を去る“靖国のおばあさん”
第百二十号(35年8月30日)
福祉年金・公的年金との併給へ一歩近づく 国民年金
戦後処理促進に努力 官房長官等本会理事会で挨拶
首相、遺族を激励愛知県護国神社に詣で
第百二十一号(35年9月30日)
選挙には願いをこめて必ず一票 政局、とみに緊迫
日本遺族政治連盟第一次推薦候補者 二三九名を推薦
第百二十二号(35年10月30日)
陛下、遺族にお言葉
日本遺族会青年部 全国結成への気運高まる 結成準備委、諸案なる
第百二十三号(36年1月30日)
併給、来年度へ持越し 三十六年度予算編成終る
本会代表総理に陳情 切々訴える高橋会長
日本遺族会青年部結成晴れて全国結成大会遂に多年の悲願実る
第百二十四号(36年3月30日)
都戦没者慰霊塔遂に完成
第百二十五号(36年4月30日)
併給実現へ邁進 今国会の運動方針決定
育英制度の予算増額 日本育英会
第百二十六号(36年6月30日)
英霊精神とは何か 基本問題調査部で答申
成果あげた沖縄派遣 平和慰霊像へ霊石を伝達
第百二十七号(36年7月30日)
青年部第四回全国研修会開く 集う若人百七十余名 洋々たる青年部の前途
会長、副会長ら辞任 全役員の改選を八月に繰上げ
遺族青年は如何に進むべきか 研修会分科会からの報告
第百二十八号(36年8月30日)
九段会館の事件について すべて処理を終り新発足へ
衆議院決算委員会の議事録
第百二十九号(36年9月30日)
会長に安井誠一郎氏 副会長に草葉、臼井、井川各氏
シベリア地区墓参遺族代表の手記
第百三十号(36年10月30日)
通常国会めざし運動を盛り上げよう
全国研修会の参加者の感想
第百三十一号(36年11月30日)
総力をあげ大運動展開へ 第七十回理事会ひらく
第百三十二号(36年12月30日)
公務扶助料七万二千円に 八百万遺族の宿願ほぼ達成
参院選第一次推薦きまる 全国区は大谷藤之助氏
第百三+三号(37年1月30日)
安井誠一郎会長が逝去
やっと実現した「併給」 国民年金法
青年部活動状況の中間報告 研修会は各地で実施
第百三十四号(37年2月28日)
昭和三十七年度本会予算決る
組織内容の充実へ 三十七年度青年部事業計画
第百三十五号(37年3月30日)
内田、中野、中島、村上各氏に聞く 運動の成果と今後の問題
戦犯刑死者慰霊祭 盛大に挙行さる
第百三十六号(37年4月30日)
関係法案第四〇回国会で成立
盛り上がる団結で参院選へ
第百三十七号(37年5月1日)
基本問題調査報告書成る
“さくら会館”落成 長崎県連合遺族会
母の幸よ!!永遠なれ 静岡県遺族会母と子の集い バス31台の大パレード
第百三十八号(37年6月1日)
故安井誠一郎氏追悼式 厳粛清楚に挙行
全国戦没者遺族婦人代表者会議開く 特別加給早期実現へ
国の再興は皆さんのお蔭 池田総理、婦人部代表をねぎらう
第百三十九号(37年7月1日)
参院選、天下に示した遺族の底力 大量得票の全国区二名
各地で記念事業実施 支部の基盤確立への動き
第百四十号(37年8月1日)
特別加給 法案の構想決まる 臨時国会で議員提案へ
靖国神社国家護持推進を検討 青年部第五回全国研修会
第百四十一号(37年9月1日)
会長に賀屋興宣氏を推戴
七万の霊を慰める 初のソ連地域死没者追悼式
第百四十二号(37年10月1日)
天皇皇后両陛下の行幸啓を仰ぐ日本遺族会創立十五周年記念式典
写真で見る日本遺族会十五年史
第百四十三号(37年11月1日)
特別給付金実現へ波状陳情 通常国会で成立期す 全国婦人代表者会議開く
珠玉の作品に期待 体験記録 締切り十二月末に延期
第百四十四号(37年12月1日)
おごそかに沖縄戦慰霊祭 各県遺族代表ら参列
寒空を衝き大運動へ十八日に第十七回全国大会
第百四十五号(38年1月1日)
特別給付金ついに実現 悲願達成に涙の全国大会
神霊の加護 七役会議への陳情(浦野匡彦)
第百四十六号(38年2月1日)
法案の審議促進図る 理事会、婦人部委員会合同会議
靖国神社国家護持に関する委員会発足
東京名所靖国神社大鳥居を壊したいきさつ(菅井斌麿)
靖国神社国家護持に関する本会の主張
第百四十七号(38年3月1日)
理事、評議員合同会議開く 特別給付金等国会へ
全戦没者の霊位泰安を 悲願訴える八十五翁
第百四十八号(38年4月1日)
特別給付金支給法案国会で成立 戦没者の妻を国が慰籍
歴史に残そう“靖国の妻” 誇りと自重とを堅持して(中井澄子)
“いさをしは永久に伝えん梅の花” 大野先生の句碑建つ
第百四十九号(38年5月1日)
請求手続開始は七月頃不遇な人を優先的に処理 特別給付金
全国に靖国の森を 慰霊奉仕に生きる植樹隊長
誠実・謙虚な大関 泰納大相樸に出場の豊山
第百五十号(38年6月1日)
本年度の運動方針決まる 第八十二回理事会・第四十二回評議員会 合同会議 靖国神社の国家護持を 祭祀料
決意新たに第七回婦人部研修会 神恩感謝の第一日 献木式、清掃奉仕を実施
「特別給付金」の解説(厚生省援護局長 山本浅太郎)
第百五十一号(38年7月1日)
タイ国王陛下の御内意をうけ 靖国神社千鳥ケ渕墓苑に参拝の中村氏
戦没者対悼式の意義 生命の賛歌に通ずるものとして(厚生省援護局長 山本浅太郎)
沖縄で平和祈願と慰霊の行進 沿道の合掌に感激の歩み 本土青年代表二十九名が参加
第百五十二号(38年8月1日)
襟を正して迎えん八月十五日 全国戦没者追悼式に際して
社会善行賞に輝く 亡夫にこたえた南部さん
第百五十三号(38年9月1日)
厳粛に全国戦没者追悼式 正午、両陛下黙とう賜う 国を挙げて追悼の誠捧ぐ
趣旨の末端徹底を 登録票の支部発送開始
第百五十四号(38年10月1日)
十月二十二日に第十八回全国大会 緊迫する政局に対応 要望達成へ運動を展開
総選挙にあたり 推薦候補者の必勝期す 日本遺族政治連盟
海を越えて米国へ“日本遺族会十五年史”
第百五十五号(38年11月1日)
第十八回全国戦没者遺族大会開く 要望貫徹へ全国運動を
第百五十六号(38年12月1日)
若鷲のみたまよ安らかに 陸軍少年飛行兵学校出身生存者が慰霊碑を建立
英霊冒涜の小説に抗議 謝罪広告で本会も了承
第百五十七号(39年1月1日)
要望事項・最終段階で実現
未処遇関係・併給など改善 祭祀料は見送りに決定
四月から五年計画 戦没者叙勲基準決まる
全国的に署名運動を展開 靖国神社の国家護持実現へ
調査機関(靖国問題)の設置を 遺協代表 政調会長に申し込れ
第百五十八号(39年2月1日)
靖国神社国家護持推進の気運高まる 全国署名運動に呼応 遺家族議員協議会など活発な動き
ビルマ戦跡巡拝へ 遺族戦友十六名で編成
第百五十九号(39年3月1日)
署名六百万を突破 靖国神社国家護持 国会への請願進む
“いしずえ”日本図書館協会選定図書に 希望者に実費頒布中
第百六十号(39年4月1日)
靖国神社国家護持小員委会が発足 自民党内閣部会内に設置
現地の温情に感謝の旅 第八回沖縄戦跡巡拝終わる
第百六十一号(39年5月1日)
国家百年の道義確立へ 第八十七回理事会 靖国神社国家護持促進を決議
戦後初の戦没者叙勲 准士官以下 一万百七十七人
併給限定の引上げ決る 国民年金法の一部改正 衆院を通過
「靖国」刊行される 神社創建百年祭記念として
第百六十二号(39年6月1日)
昭和三十九年度要望事項決まる 山積する諸問題の解決へ全組織を結集、強力な運動を
参院選第一次推薦候補を決定 日本遺族政治連盟
第八回婦人部研修会 南方戦跡巡拝の実現など今後の活動方向を打ち出す
青年部中央リーダー講習会 福祉国家建設を活動目標に 身近な問題と積極的取組みを
第百六十三号(39年7月1日)
関係法案会期末に成立 粘り強い陳情で陽の目
平和祈願と慰霊の行進 炎暑の下24キロを突破 全島に充つ慰霊平和の願い
第百六十四号(39年8月1日)
靖国神社内境内で全国戦没者追悼式 遺族の真情に応えた閣議決定
靖国神社における全国戦没者追悼式と憲法問題(文学博士松本徳明)
臼井副会長、総務長官に 厚生政務次官に徳永氏(元事務局長)
英魂花咲く島に眠る アッツ島慰霊団 調査終え27日帰着
第百六十五号(39年9月1日)
おごそかに全国戦没者追悼式 靖国に両陛下を迎えて三百十万の霊よ安らかに
出演者誠意の奉仕で 追悼式参列遺族を慰安
第百六十六号(39年10月1日)
団結のもと要望貫徹を
政府予算編成期に対応 各地の遺族大会で盛り上げ
靖国調査会が発足 国家護持問題新段階へ
第百六十七号(39年11月1日)
全国遺族代表者会議開く 公務扶助料の増額など決議
林屋氏・逢沢氏に勲二等 文化の日、第二回生存者叙勲
第百六十八号(39年12号1日)
寒風を衝き大運動へ 12月17日に全国大会
遺族援護の功績を讃え 佐藤、吉富両氏に藍綬褒章
靖国神社の存立守る マ元帥に直訴した明比氏
第百六十九号(40年1月1日)
公務扶助料増額など決まる 成果大きい倍率引上げ 特別弔慰金は三万円で実現
遺族青年に福祉資金貸付 各都道府県支部で実施
第百七十号(40年2月1日)
公務扶助増額措置など決まる併給限度は十万二千五百円に
全国区一名、地方区三五名 日本遺族政治連盟 参院選推薦候補者を決定
第百七十一号(40年3月1日)
靖国神社で大慰霊祭ほか終戦二十周年記念事業を決定
靖国調査会の検討進む 各界の意見を聴取
第百七十二号(40年4月1日)
靖国神社と憲法の関係
靖国調査会における講演から(法学博士京都大学教授 大石義雄)
二十年の悲願果して 沖縄戦跡巡 亡きみたまに語る団員
第百七十三号(40年5月1日)
本会主催の戦跡巡拝始まる 終戦二十周年記念事業 ソ連墓参団六月一日出発
草葉副会長に勲一等 春の叙勲本会関係八氏に
ベトナム戦争をやめて下さい 滋賀県青年部各国首脳に訴える
第百七十四号(40年6月1日)
本年度の要望事項決まる
各省庁の予算要求と併進 実現のため強力な運動を
第九回婦人部研修会 婦人部こそ未来の担い手 全国より一六〇名集り開かる
英霊顕彰行進決る トヨタ自販の協力を得て
第百七十五年(40年7月1日)
靖国神域に時計台建立 婦人部の記念事業着々進む
全国区一名地方区三九名が栄光の当選
日本遺族政治連盟の推薦候補
肉親との対面はたす シベリヤの野にのりと流れて
第百七十六号(40年9月1日)
諸機構を簡素、合理化 事務局九月一日から新発足
常務理事九名に減員 理事会中心に運営はかる
全国に共感呼んだ英霊顕彰行進
各県結んで一万キロ 旗の波、人の波の歓迎陣
高く揚げよう靖国の灯 青年部結成五周年記念大会
第百七十七号(40年10月1日)
予算要求項目決まる 厚生省
予算要求項目決まる 厚生省 未処遇関係で七項目 実現まで強力な運動を
靖国調査会 報告書をまとめる 熱心な調査研究の成果
南ベトナム大使靖国神社参拝
使命感に燃えて全国研修会 実践活動で組織強化を 英霊顕彰行進の成果の上に
第百七十八号(40年11月1日)
平和への決意を誓う 靖国神社で大慰霊祭 終戦二十周年を記念して
靖国の時計塔落成
第百七十九号(40年12月1日)
佐藤信氏遺族運動で叙勲 秋の叙勲本会関係七氏に
終戦二十周年の秋各地で記念行事 御霊よ永久に坐せ 沖縄護国神社遷座祭
千鳥ケ渕で慰霊祭 十一月三日墓苑奉仕会主催
米大使館より返書 滋賀県青年部 平和アピールに
常陸丸殉難記念碑再建
第百八十号(41年1月1日)
本会の要望事項実現なる 未処遇問題大巾に改善
靖国神社法(仮称)要綱 衆院法制局へ正式依頼
「再び遺児をつくるな」青年部 世界に平和アピール
「山ゆかば草むす屍」増刷 土谷直敏氏の厚意に感謝
第百八十一号(41年2月1日)
今年こそ国家護持の実現を 春に靖国社頭で全国大会
ブーゲンビルの父よ帰れ 青春をかけた遺骨収集(鎌井衛君)
第百八十二号(41年3月1日)
第九十八回理事会 第五十三回評議員会開催 全国大会一千万署名など 靖国神社国家護持運動方針決まる
靖国問題で国家護持を強力に支持 関係団体懇談会を開催
第百八十三号(41年4月1日)
全国で盛り上る靖国神社国家護持運動 全国にさきがけて、靖国神社国家護持を愛媛県議会で決議 三重、千葉
五周年を迎えた 平和と慰霊の行進 婦人部代表も参加決定
第百八十四号(41年5月1日)
靖国神社国家護持全国戦没者遺族大会開催さる 全国の遺族 靖国神社社頭の不退転の決意を示す 二千四百万
春の例大祭に皇太子殿下、美智子妃殿下ご親拝 戦後二度目の行幸
第百八十五号(41年6月1日)
比島戦跡巡拝団悲願の旅へ 遺族代表一二七名
活発になった遺骨収集 戦友に抱かれて故郷へ帰る悲劇の島メレヨンの遺骨
予科練の慰霊碑 ゆかりの地霞ケ浦畔に建つ
第百八十六号(41年7月1日)
ルソン島戦跡巡拝団帰国英霊散華の跡を弔い 遺骨を胸に抱き帰る
日本遺族会青年部婦人部沖縄派遣団 炎天下に祈る戦いなき世界を
靖国神社へ吊灯籠献納
第百八十七号(41年8月1日)
第一回全国事務局長研修会を開催
よりよき家庭人社会人を目指して 日本遺族会婦人部ブロック研修会始まる
八月十五日を国民の祝日に(浦野匡彦)
第百八十八号(41年9月1日)
全国戦没者追悼式 各界代表五十余名参列
第百八十九号(41年10月1日)
第一回役員研修会開催 組織強化と態勢の確立を期す
草葉副会長逝去さる
遺骨収集の旅を終えて(鎌井衛)
第百九十号(41年11月1日)
レイテ島、グアム島から三十七柱が 練習艦隊で無言の帰国
世界青年会議雑感(日本遺族会青年部副部長 田久保尚俊)
第百九十一号(41年12月1日)
諸事情を勘案し増額を 恩給審議会中問答申を出す
靖国神社の国家護持に関して 検討すべき問題点(衆議院法制局)
第百九十二号(42年1月1日)
第二十二回全国戦没者遺族大会を開催 「靖国神社必ず解決」佐藤総理 本会の要望に確約
第百九十三号(42年2月1日)
団結を示した総選挙 西に東に役員が遊説
第百九十四号(42年3月1日)
恩給月額一万円に増額 老父母特別給付金も実現
第百九十五号(42年4月1日)
ひめゆり部隊に宝冠章 第三十六回戦没者叙勲
玉砕の島を訪ねて(青年部長 高橋泰一朗)
体験記「おとうさん…」滋賀県青年部 文芸春秋から出版
第百九十六号(42年5月1日)
靖国問題重要段階に 衆院法制局法案要綱を内示
沖縄戦没学徒にも 政府叙位叙勲を発令する
「慰霊の泉」が完成 戦没者に捧げる清い水と母の像
第百九十七号(42年6月1日)
第一条(目的)が論点に靖国問題重要な段階へ
迫水常久氏、副会長に
グアム、サイパンを訪ねて(近藤頼子)
第百九十八号(42年7月1日)
靖国法案自民党に提出 内閣部会、憲法調査会合同審議に決定
平和への願いこめて 炎天下に慰霊の行進 那覇~摩文仁二十四キロを踏破
第百九十九号(42年8月1日)
全国統一組織をめざして 青年部中央リーダー研修会開催
第二百号(42年9月1日)
第五回全国戦没者追悼式 まぶたの父に捧げる 遺族代表追悼のことば
「沖縄の祖国復帰を促進する青年の集い」開催
第二百一号(42年10月1日)
統一組織を目指し ブロック研修会始まる 部費制度に論議集中
第二百二号(42年11月1日)
参院選 推薦候補を決定 日本遺族政治連盟
沖縄問題特集 成功させよう青年婦人中央集会
遺族援護をたたえ藍綬褒章 岩崎義一氏に
第二百三号(42年12月1日)
皇太子・皇太子妃殿下の御臨席を仰ぎ 日本遺族会創立二十周年記念式典 創草期の烈日を偲び心新たに使命達
晴れの厚生大臣表彰 援護事業功労者六十名に
座談会「二十年をかえりみて」今後の遺族会の歩む道を探る
ニューギニアへ遺骨収集 遺族青年の念願かない出発
第二百四号(43年1月1日)
公扶増額やっと実現 団結と決意新たに高く掲げん、正当な主張
第二百五号(43年2月1日)
恩給亡国論に答える
フィリピン方面戦没者の遺骨収集等について(政府派遣団団長 石母田武)
第二百六号(43年3月1日)
靖国問題重要段階に入る 山崎委員長試案を提示 本会の大勢了承に一致
大谷氏を重点候補に(全国区) 日本遺族政治連盟 全候補の必勝を期す
入選論文 英霊にこたえる道(第一席、第二席、第三席全文掲載)
全国統一組織と部費制度の確立をめざして
懸賞論文 入選者のよこ顔
第二百七号(43年4月1日)
恩給審議会答申を提出
スライド制、物価上昇に応ず 政府の合理的判断を期待
前途の予測は困難 靖国神社法案、自民党で検討中
役員研修会、青年部強化に論議集まる 明治維新百年の時局に対処
父の遺骨があった! 西垣さん、涙の対面ニューギニ
第二百八号(43年5月1日)
目の前に迫る参院選 組織挙げて必勝期す 全国区3名地方区51名を推薦
靖国神社法早期国会提案を熱望 全国大会と示威行進で決意を示す
民族意識を高めよう 婦人部長研修会、内外情勢に強い決意
第二百九号(43年6月1日)
来たるべき国会に提案する 靖国神社法案 自民、党議で決定
第二百十号(43年7月1日)
団結を示した参院選 全国区3、地方区45名が当選 遺族諸問題の進展に期待
摩文仁の丘に雨雲低く 厳かに沖縄全戦没者追悼式
平和への誓い新たに 沖縄、平和と慰霊の大行進
第二百十一号(43年8月1日)
強化刷新特別委員会を設置 日本遺族政治連盟
大東亜戦争を見直そう 名越二荒之助氏大いに語る
第二百十二号(43年9月1日)
今こそ平和へ 不断の努力を 第6回全国戦没者追悼式
靖国神社国家護持について(専務理事 佐藤清一郎)
統一部旗を先頭に堂々の行進 青年部総決起大会開く
第二百十三号(43年10月1日)
恩給局初めて概算要求 本会の要望に及ばず 楽観許さぬ今後の運動
館哲二氏逝去さる
青年部、ブロック別に新体制推進会議
第二百十四号(43年11月1日)
「靖国神社法」案国会提出めざし総力を結集しよう 挙党一致の態勢確立へ 遺協世話人会で方針決定
日常活動社会活動の展開を 活発だったブロック婦人部研修会
第二百十五号(43年12月1日)
宿願達成へ全国遺族の総決起を望む
外地戦跡遺骨収集の現状を探る
海外戦没者及び遺骨収集の状況など
彫り続く特攻隊員の像 不自由な体を克服した福島さん
第二百十六号(44年1月1日)
公務扶助料、兵の階級で一三五、三六一円に
総理の英断望み官邸へ 精魂こめて陳情また陳情
第二百十七号(44年2月1日)
靖国神社法案国会提出の気運高まる 自民党で最終調整へ
一万九百柱故国に ルソン島などから政府収骨団帰る
第二百十八号(44年3月1日)
靖国神社国家護持 自民党、根本私案を発表
青年部 44年度より正式登録を
第二百十九号(44年4月1日)
植木先生に対する感謝大会“40年来最も信頼する友”(賀屋会長)
沖縄にある本土各県慰霊塔一覧
第二百二十号(44年5月1日)
靖国神社国家護持各団体と提携深まる
集団暴力の追放へ 青年、学生が決起 法秩序を護れと呼びかけ
二千二百万円を奇付 上原参院議員、会館建設資金にと
第二百二十一号(44年6月1日)
五月の空に満つ靖国神社国家護持貫徹の声 成功した国民大会
多彩な学習活動を展開 有意議に婦人部研修会
賀屋会長激励の大会 東京世田谷で感謝をこめて
いよいよビルマへ 入国許可は初めて ことし秋戦跡巡拝実現
第二百二十二号(44年7月1日)
靖国神社法案・国会に提出 忘れ得ぬ日“6月30日”
大雨をついて沖縄慰霊大行進 平和への祈り黙々と
“父”最後の地に立つ 比島戦跡をたずねて(青木明夫)
第二百二十三号(44年8月1日)
靖国神社法案、審議に至らず “遺族の心情を思う”藤田委員長 最終内閣委でとくに発言
宗教界で賛成表明 大教団の仏所護念会
霊峰富士を仰いで 第一回中央