雑誌アサヒ グラフ 100010256

アサヒグラフ 大正12年10月28日 特別号

サブタイトル
大震災全記 最も整った記録と画報
著者名
出版者
朝日新聞社
出版年月
1923年(大正12年)10月
大きさ(縦×横)cm
39×
ページ
80p
NDC(分類)
051
請求記号
051/A82/Z192310
保管場所
閉架雑誌
内容注記
和書
目次

大震災全記
振古未会有の大凶災=噫帝都『東京』焦土と化す
凄まじき大地の揺ぎ―此世の地獄―被服廠跡―八階からヘシ折れた十二階―危機一髪、宮城の飛火―焼尽す四十
廃墟の間に佇みて(帝都の焼跡一巡)
横浜が全滅するまで
瞰下す限り灰ばかり―丘の上に残る数棟―米総領事夫妻街上で惨死―裁く人裁かれる人枕を並べて―ビール会社
掠奪振りを見るの記
全市潰滅=横須賀の惨状
七百年この方動かぬ鎌倉大仏が躍り出して
全くなくなつた小田原
保土ケ谷から国府津まで
箱根山一帯
惨状目も当られぬ房総地方
伊豆半島、伊豆七島
埼玉、山梨、静岡、各県下被害
変形した富士山
今度の大地震(中央気象台牛山技師)
震源は三浦半島
大地震の歴史
桑港の大地震と東京の震災
戒厳令下の東京
御内帑金下賜一千万円
皇后宮○災者御慰問―その日の摂政宮―御成婚延期―秩父宮が貨物自働車に召されて
記すも胸痛き皇族の御不幸
大混乱の渦中から帝都を救うた陸海軍の大活動
名誉の二機
恐ろしき受難のその日
狂ふ炎に追はれて―観音堂にひれ伏した十五万人―吉原の遊女五日火あぶりの惨苦―天下の安田も―無惨―鷲口
死者忽ち三万四千(被服廠跡の遭難惨話)
落ちゆく死物狂ひの避難者
非常時に直面した政府の施設
非常徴発令―暴利取締断行―忽ち集めた八十万石の米―支仏延期令出づ―罹災地減免税―工業復興援助―所有権
民間有志の震災善後策
囚人解放
償ひ難き日本学界の損失
罹災児童十五万―私立大学―中等学校の被害―打撃のひどい実業特殊学校―二校長の壮烈な死
三千年の昔へ戻つた日比谷の穴居生活
震災の副産物 自警団の出現
自警団挿話
栄華の殿堂も一朝の夢
その名も恐ろしい『衛癌』
職を失うて焦土に悶ゆる二十万の人渦
震災と労働運動
焦土の上に復活の曙光
帝都復興の大○は煥発され官民一致新都建造に着手―帝都復興審議会成る―復興院設置―復興院官制要領―復興
大震災と自治精神
桑港やサロニカは斯して復興した(ビアード博士復興意見)
大打撃の通信機関
鉄道被害
焼失総損害百十五億円
将来の我建築 警視庁(竹内建築監督官)
どうして地震に克つか(武田工学博士)
二階へ避難せよ(次の地震のための注意)
世界を挙げて日本に寄せた同情
大震災と興行界
東京劇壇一時滅亡―相撲界の衰○―大男の嘆き―助つた律子―逃げる足元の大地○口を―声曲界ちりぢり―劇外
震災第一報を大阪に齎すまで
一時全滅した報道機関
災後の出版界
文壇の大揺れ
震災後の運動界
見通し記事
破壊から建設へ(震災後一箇月間の日誌)―東京焼失面積―東京市罹災人口―震災後の東京市人口―帝都焼失区
挿画工兵隊の焼跡取毀し―八千噸の鋼製避難村(樺島勝一)
震害地地図 関東震害地全図―東京市焼失区域図―横浜被害区地図―横須賀罹災要図
写真の部
グラビヤ刷写真(十七枚)
激震直後の帝都(十七枚)
猛火帝都を襲ふ(十一枚)
焦土となつた東京(二十六枚)
命拾ひの避難者(八枚)
温かい救ひの手(十二枚)
復興の気運(三十三枚)
命懸けの交通(十枚)
全滅の横浜(十九枚)
滅亡の鎌倉(四枚)
死滅の横須賀(四枚)
潰滅の箱根(十枚)
惨澹たる大磯(五枚)
御殿場附近(四枚)
酸鼻を極めた小山(七枚)