雑誌コクサイ シャシン ジョウホウ 100010168

国際写真情報 第11巻第1号(昭和7年1月)

サブタイトル
満洲大事変画報
著者名
出版者
国際情報社
出版年月
1932年(昭和7年)1月
大きさ(縦×横)cm
39×
ページ
1冊(頁付なし)
NDC(分類)
051
請求記号
051/Ko51/11-1
保管場所
閉架雑誌
内容注記
英語書名:Special number of international graphic photo-news of the emergency in Manchuria 英文併記
和書
目次

国際写真情報 特輯号
表紙
『後衣拉巴より三間房へ前進の〇〇聯隊(原色版表紙・表)
『湯地南方高地に於る我機関銃隊』(原色版表紙・裏)
天皇陛下御近影
『肥後平野大演習地戦線を御巡視中の御英姿』(原色版台紙貼)
原色版
『ポーツマス講和談判』(原色版台紙貼込)(白滝幾之助画伯筆)
『チチハル入城の我が先頭部隊』
『錦州の最前線部隊に活躍する我が巨流河部隊』
『黒竜江軍の主力陣地占拠の刹那』
『三間房に於る第〇〇聯隊の突撃』
『三間房方面の激戦』
『満洲派遣軍交代兵品川出発』
『三間房の戦に於ける我第〇聯隊』
『チチハル附近へ進撃した我装甲自動車と野砲隊』
『塘地北方にて敵軍に備へる我第〇聯隊』
『嫩江激戦地に於ける我軍への弾薬運搬』
二色版
『赤い夕陽の満洲に戦友の亡骸を葬る』
『張海鵬軍の行進』
『竜江駅に於る我が装甲軌道車』
『三間房の総攻撃』
満洲の荒野に壮烈なる我軍の進撃
『チチハル攻撃の歩兵第〇聯隊大進軍』
『大興駅附近を前進する装甲列車』
『三間房に於る機関銃隊の前進』
『最後の総攻撃に緊張せる我軍の塹壕』
『大興高地山上占拠の刹那』
『我軍巨流河鉄橋警備』
『新民屯を錦州方面に向つて雪の進軍』
『新民屯より錦州方面へ出動の我が軍
『白旗堡附近の戦闘に敵を撃破した我装甲列車
写真版
この暴状をみよ 嫩江方面日支両軍衝突の原因
『江橋第五橋附近の暴状』
『嫩江をわたる我軍』
『滅茶々々に破壊された鉄道』
大興、昂々渓方面に於る我軍の活動
『トウ昂線に於る我が装甲列車の活躍』
『嫩江に於る我野砲隊の掩護攻撃』
『占拠地の我軍歩哨』
『煙幕の展伸』
『鉄道を切断して列車を襲ふ』
『馬賊の出没を撃退する我軍の守備隊』
『戦線視察中の敵将馬占山』
『黒竜江軍第二陣地の塹壕』
『支那兵の死守した大塹壕』
『我軍輸送部隊の活躍』
『昂々渓の激戦に於る機関銃隊』
『負傷兵をはこぶ』
『日章旗を先頭に進む』
『通信隊の前進』
『戦友の墓標に日章旗をたてゝ我軍の活躍』
『陣中塹壕内の曲射砲』
『昂々渓を占領した我軍の万歳』
『後衣拉巴より三間房へ進む我軍』
最も激烈を極めた三間房の戦況
『三間房総攻撃』
『敵陣砲撃中の野砲隊活動』
『湯地南方高地にて重砲測量器にて敵陣を偵察する長谷部旅団長』
我軍の占拠したチチハル城内の状況
『チチハル入城満鉄公署前を行進する我が歩兵第〇聯隊
『チチハル北大門通過の我軍』
『我が軍のチチハル城内警備』
『我軍の占拠した南大営兵舎』
『逃走した黒竜江軍の軍楽隊が棄て去つた楽器類』
『チチハル市街に軍用電話をひく我が電信隊』
『我軍の有に帰した黒竜江省党部』
『チチハル城内雪中の突撃』
『チチハル北大営に入つた我が騎兵隊』
動乱の巷にある満洲人の生活ぶり
『我軍に捕はれた黒竜江軍の捕虜』
『黒竜江省政府公署前の馬占山』
『我軍に手強く抵抗した黒軍の騎兵隊』
『四トウ線を守るわが守備隊と満洲人の女子供』
『我軍の兵士に捕まつた馬賊の一人』
『実弾を襷にかけた物々しい支那の警戒兵』
『支那の戦死者を入れる棺桶』
『支那の消防隊』
『四斗樽から味噌汁をすゝる我が兵士』
『チチハル占拠、トウ南線に於て祝杯をあげる我軍』
『奉天警備兵母国のラジオを楽しむ』
天津の日支衝突
『天津旭街大通りの我が防備第一線
『涙ぐましい幼女の土嚢運び』
『天津在住の邦人婦女も土嚢を作る』
『臨時歩兵隊本部となつた大和公園内日本倶楽部』
『天津我が租界の学校休業掲示』
『日本租界を警備する我兵士』
『通行の支那人を服装検査する我兵士』
『天津市街を警備する機関銃隊』
馬賊討伐に向ふ我が軍
『湯崗子方面の馬賊討伐に向ふ独立司令部』
『湯崗子方面へ進む我軍森独立守備隊長も陣頭に立つて兵士を激励』
ノ頭山方面に向ふ我が騎兵隊』
『鈴木混成旅団奉天に到着』
国の為に倒れた名誉の死傷者
『チチハル市外の日本人納骨塔』
『牛車にのせられて昂々○についた我軍の戦死者に戦友が涙の敬礼』
『野外に仆れた戦友のため救護を呼ぶ』
『列車内の野戦病院で負傷者の手当』
『戦ひすんで日は暮れて……負傷兵を担架で護送する』
『足に銃創を負ふた畑軍曹が兵卒に背負はれて救護班へ行く』
『野外に仆れた負傷兵の応急手当』
『江橋第一野戦病院になつた四トウ線の列車』
赤い夕陽の満洲に於る我軍の生活ぶり
『川岸待従武官から御慰問の聖旨本庄司令官に伝達さる』
『奉天満鉄病院に於て兵士に聖旨伝達さる』
『チチハル第〇師団司令部に於る祝宴』
『昂々渓駅に於る多門第〇師団長』
『駐日外国武官の満鉄戦実地視察』
奉天市街の撤兵反対示威運動
『奉天忠勇塔前で万歳を三唱する在留邦人の示威運動』
『奉天市街に於る日本人女学生の示威行列』
『在留外人の撤兵反対示威行列』
『手に手に日の丸をもつて支那人の撤兵反対デモ』
支那は斯くして排日する
『北平市街に貼られた排日ポスター』
『排日ポスター数種』
『排日示威行列に用ひた紙製の手旗』
『奉天北大営兵舎内の黒板に書いてあつた排日歌』
『国民党政府から出した排日宣伝ビラ』
『鉄道爆破予行演習の密書』
在満の兵士にそゝがれる国民の熱誠
『愛国婦人会の慰問報告参拝』
『在満兵士にブドー酒を贈る』
『学生聯盟の在満兵士慰問金募集』
『日本大学附属中学生のデモ行進』
『六十七才の南天棒師満洲慰問に出発』
『愛国学生聯盟の慰問金募集』
『一針づゝ真心こめし千本針弾丸よけの腹巻』
『何処も同じ戦時気分―ひとしほ忙しい陸軍各廠』
英霊永へに安らかなれ
『靖国神社に建てられた戦死者霊祠の仮宮』
『満洲から帰つた戦死者の遺骨に敬意を表する南、金谷両大将』
『名誉の戦死を遂げた栗原少佐の家族』
白旗堡の激戦錦州方面に進撃する我軍
『軍用列車の屋上より敵陣観測の我軍』
『我野砲隊の敵陣地攻撃』
『独立守備隊歩兵の散兵陣地』
『我が負傷兵の収容』
『板倉大尉戦死の刹那』
『敵のため脱線した我機関車』
『白旗堡附近の我が散兵陣地』
記事
満洲事変の導火線
満蒙に於ける我特殊権益
与論の反映
中村大尉事件交渉
事変の発端・敏捷なる我軍の行動
錦洲空襲事件
満洲事変の外交戦、日支間の交渉
中外に対する声明
国際聯盟理事会
理事会の決議案採決をみず
嫩江に於ける日黒軍の衝突
今次事変最大の苦戦大興方面の戦闘
関東軍司令部総攻撃を命令す
三間房高地の大激戦
チチハル入城
第三次国際聯盟理事会
天津事変
錦州の風雲愈々急