雑誌アエラ
100003798
アエラ 1991年9月15日 = 第4巻38号
サブタイトル
著者名
出版者
朝日新聞社
出版年月
1991年(平成3年)9月
大きさ(縦×横)cm
29×
ページ
50p
NDC(分類)
051
請求記号
051/A17/1991-9
保管場所
閉架雑誌
内容注記
緊急増刊 週刊 内容:わがロシアの蘇生日8月革命ソ連・共産党崩壊の1週間
和書
史料調査会旧蔵資料
目次
AERA
1991.9.15
Vol4 No.38
その時私はこう思い、こう動いた
エリツィン逮捕の命令を私は拒否した(KGB特殊部隊司令官の叫び「私はロボットでも殺人の武器でもない」
党書記局は結局沈黙するしかなかった(共産党中央委イデオロギー部長が痛感した無力と無責任)
「人間の鎖をつくろう」と呼びかけた(逮捕者リストを恐れず最高会議議員は街頭に)
放送禁止ならBBCから流すさ(モスクワのラジオ放送はゲリラ戦を挑んだ)
それでも言う、私は反対したのだ(クーデターに反対しなかったとして解任された前外相の悲痛な弁明)
恐怖心が戦闘心に変わった(65歳の人権運動家は「手錠はもうご免」と)
下手な英語の原稿、それが世界へ流れた(「時間がない」記者たちは自分で露文英訳した)
装甲車が来た、怖かった(市民がキャタピラに巻き込まれた。26歳の青年も覚悟した)
市民に囲まれ、KGB職員は失禁した(「ここに死にに来た」とリトアニアの人々は集まった)
残って戦うか国際会議に出るか(リトアニア最高会議議員は「世界に訴えよう」と決断した)
旧盟友シェワルナゼが追及する「ここに至るゴルビーの罪」
党書記長就任から辞任まで
連絡網フル回転、口コミは強し
ユーモアを忘れなかった地下新聞
グラフ
熱き1週間/共産党自滅/どこへ行くソ連
ツァーリへの反抗に似る反共産党感情
高学歴社会が大衆化現象を生んだ
革命の舞台モスクワ詳細地図