犬養毅
はしがき
第一章 若き日々
1 出自と幼少時代の修学
家系 犬飼から犬養へ 父と母 森田月瀬と犬飼松窓に学ぶ 小田県庁に写字生となる
2 青年犬養、上京への決意
運命を変えた書―『萬国公法』 東京への上京と藤田茂吉との出会い 慶應義塾に入り、『郵便報知新聞』に寄稿する
3 従軍記者として
「戦地直報」で文名あがる 乃木希典との出会い 西郷南洲の死を悼む
4 慶應義塾での生活
擬国会での演説 二人の恩人、福澤諭吉と栗本鋤雲 慶應義塾を退学する
第二章 東海経済新報時代
1 経済学者犬養の登場
貿易論の系譜 『東海経済新報』の発刊 田口卯吉と論戦 犬養と田口の相違点 田口の反論と犬養の反駁
2 貨幣論・金融論
貨幣複本位説を駁す 犬養、経済学を講ず 保護貿易論の先駆者、若山儀一 隠れた協力者、若山儀一
3 統計院権少書記官・東京府会議員
統計院総裁大隈重信と矢野文雄 東京府議会議員となる
4 朝野新聞社の幹部に就任
『秋田日報』主筆となる 俠妓お鐵 高島炭坑と労働問題 『朝野新聞』の犬養論説
5 決心なき争闘は無益なり
決闘状が届く 解放運動史に一石を投ず
第三章 議会檀上の獅子吼
1 衆議院選挙で初陣を飾る
岡山開拓の苦心と理想選挙 後藤象二郎と大隈重信に私淑 選挙大干渉を勝ち抜く 第三議会での処女演説 犬養の人間的魅力
2 外交問題を論ず
文部大臣就任 大正政変での活躍と憲政の神様 シーメンス事件の余波 膠州湾問題を政府に質す 外交に対する見識
3 犬養の世界観
三党首会談と外交調査会 犬養の外交調査会入りのねらい 国際社会の指導原理 外交調査会に殉ず 木堂会の由来
第四章 帝国の危機と産業立国
1 広汎な見識を統一する歴史認識
大逆事件と南北正閏論 教育への視点 国立理化学研究所 福澤諭吉と理想社会
2 辛亥革命と犬養
アジア民族解放運動への理解と同情 宮崎滔天との面会と支援 中国からの亡命者を庇護する 犬養の大陸政策 アジア解放の壮大な夢 辛亥革命の勃発 孫文との交友
3 産業立国の提唱
後輩に与える政治家の心得 犬養の改革論の骨子 胸中深く普選を期す 相次ぐ政治腐敗事件 産業立国論の展開 国家の解体 十月事件とその甘い処理
4 軍備縮小を提起
陸軍整理問題 国防計画の確立 軍縮ついに断行される
第五章 逓信大臣時代
1 関東大震災
逓信大臣として入閣 震災で通帳焼失でも預金金額保証
2 閣僚の一員として
虎ノ門事件 横浜復興に尽力する 山口県萩町で料金問題を解決 逓信省を去る
第六章 心ならぬ間奏曲
1 政革合同への胎動
普選法の成立 原敬と政友会 革新倶楽部と政友会の合同 なぜ合同するかを訴える 政友会との合流
2 議員辞職と政界引退
逓信大臣と議員を辞職 高原の白林荘 田中義一の死去 政友会総裁に就任 菊竹六鼓による予言
3 風貌、囲碁、書道
絶倫の風貌―三人の評 犬養の棋風 木堂と蒼海の書風
第七章 犬養内閣の成立
1 真の普選を目指して
金のかからない選挙制度とは 二大政党制を唱える 大選挙区比例代表制
2 組閣
運命の曲がり角 波瀾含みの出発 陸軍との一戦を覚悟 軍の隔離教育の功罪 従来と異なった政党を目指す 国家を暗黒より光明に導くこと 根本的行政改革の必要
3 昭和の新政断行
桜田門事件 三〇四名の大政党誕生 犬養の経綸と施策 国策審議会の構想 犬養のラジオ放送
4 満州事変の解決に尽力
犬養内閣の使命 荒木貞夫を陸相に 元帥上原勇作に陸軍暴走阻止を頼む 密使・萱野長知を送る 内閣書記官長森恪の野望 萱野からの電報届かず 張学良との交友 リットン調査団と犬養 犬養毅と高橋是清
第八章 五・一五事件の顚末
1 犬養暗殺の前奏曲
襲撃計画を傍観した陸軍 遭難一週間前の演説
2 運命の日曜日
「話せばわかる」と「問答無用」 武士道廃れる 重臣も未然防止できず
3 事件の真相
何を話したかったのか 五・一五事件の裁判 実行犯の心情 受刑者たちの処罰 犬養内閣を葬ったのは海軍も同罪 森恪による手引説
4 国家主義の横行
日本の軍国主義 襲撃へと駆り立てた思想家 大川周明と北一輝 ファシズムに抵抗した人々 民衆も加担した国民感情 助命嘆願と国民の責任
5 事件をめぐる報道
報道は少なかった 菊竹六鼓の勇気 『新愛知』の犬養追悼
6 事件の余波
事件直後の動揺 五・一五事件直後の政界 斎藤実内閣の成立 森恪の死 日本の政党政治終わる 犬養首相の葬儀
参考文献
あとがき
犬養毅略年譜
人名索引
図版写真一覧
犬養毅(犬養木堂記念館蔵)
犬養毅(犬養木堂記念館蔵)
生家主屋(岡山市川入/犬養木堂記念館提供)
「国会議事堂の図」(犬養木堂記念館蔵)
白林荘での犬養(昭和五年)(筆者蔵)
白林荘でくつろぐ犬養(犬養木堂記念館蔵)
田中久左良筆「得意の木堂翁」(犬養木堂記念館蔵)
政党の変遷
犬養家系図
『秋田日報』主筆の頃(明治一六年)(『木堂先生冩真傳』より)
名妓お鐵に与えたる名残りの扇面(伊藤金次郎『わしが国さ』より)
大隈夫妻とともに(明治一一年頃)(『木堂先生冩真傳』より)
犬養と尾崎行雄(大正二年二月)(『木堂先生冩真傳』より)
三浦邸での三党首会談(第二次)(『木堂先生冩真傳』より)
頭山満らとともに(昭和三年一〇月)(『木堂先生冩真傳』より)
中国訪問中の犬養(昭和四年)(『木堂先生冩真傳』より)
護憲三派内閣の三党首会談(『木堂先生冩真傳』より)
政友会への合流(大正一四年五月)(『木堂先生冩真傳』より)
富士見の白林荘(『木堂先生冩真傳』より)
政友会総裁となった犬養と、党の長老高橋是清(昭和四年一〇月)(『木堂先生冩真傳』より)
犬養総裁の獅子吼(『木堂先生冩真傳』より)
岩佐銈六段との対戦(『棋道』 大正一三年一〇号、より)
犬養の書(堀江知彦『書の美しさ』より)
揮毫中の犬養(昭和五年一月)(『木堂先生冩真傳』より)
遊説途中、汽車の車窓から見送りと話す(『木堂先生冩真傳』より)
第一回普通選挙で使用された政友会のポスター
大命降下を受けた犬養と西園寺公望(『木堂先生冩真傳』より)
犬養内閣の閣僚(『木堂先生冩真傳』より)
首相就任を喜ぶ家族たち(『木堂先生冩真傳』より)
総選挙大勝を聞く犬養内閣(『木堂先生冩真傳』より)
ラジオ放送に立つ(昭和七年五月一日)(『木堂先生冩真傳』より)
ファッショ運動批判の記事(『東京朝日新聞』 昭和七年五月一三日朝刊二面)
海軍側公判(昭和八年七月二四日)(毎日新聞社提供)
陸軍側公判(昭和八年七月)(毎日新聞社提供)
五・一五事件受刑者一覧(『国史大辞典』第五巻、吉川弘文館、より)
減刑嘆願書の束(毎日新聞社提供)
事件を報じる号外(『東京朝日新聞』 昭和七年五月一五日)(犬養木堂記念館蔵)
犬養の葬儀(『木堂先生冩真傳』より)
犬養の墓碑(平成三年五月一五日の墓前祭)