石原莞爾の悲劇
まえがき
第一章 作戦課長時代(自昭和十年八月――至昭和十一年五月)
第一 蛟竜雲雨を得
一、石原莞爾、作戦課長に就任
二、満州事変後の極東の動き
三、石原の作戦課長就任の背景
四、石原大佐の着任と永田軍務局長の凶変
五、石原莞爾のこれまでの略歴
六、石原の対米戦争論
第二 石原の内外改革論
一、石原の昭和維新論
二、東亜連盟について
三、現下国策の重点
四、北支処理問題
第三 国防国策の策定と国防方針の改定
一、作戦課長就任時の回想
二、石原の国防国策の基本構想
三、国防方針をめぐる陸海軍の論争
四、国防国策大綱の策定
五、国策の基準と帝国外交保身の策定
第四 二・二六事件とその後の対策
一、二・二六事件と石原戒厳参謀の活躍
二、二・二六事件後の陸軍の対策
三、支那駐屯地の増強とその影響
第二章 戦争指導課長時代(自昭和十一年六月――至昭和十一年十二月)
第一 戦争指導課の新設とその業務
一、参謀本部の編成改正
二、産業五ヵ年計画の策定
第二 在支対日テロ事件の頻発と陸海軍の態度
一、中山水兵事件および成都事件
二、北海事件
三、海軍の強硬態度
四、対支問題に対する陸海軍統帥部の折衝
第三 軍備充実計画
一、軍部充実計画の大綱
二、軍備充実計画をめぐる省部の紛糾
第四 綏遠事件と西安事件
一、綏遠事件の敗退
二、関東軍幕僚と内蒙工作に関する連絡
三、綏遠事件の影響
四、西安事件
第三章 作戦課長兼任、第一部長代理時代(自昭和十二年一月――至昭和十二年二月)
第一 対支政策の再検討
一、参謀本部の対支政策改正案
二、須磨報告と国民政府の対日見解
第二 石原の軍備論と戦争論
一、軍備充実の根本的改善案をめぐる論争
二、航空軍備に対する石原の卓見
三、石原の戦争論の講和
第三 産業五ヵ年計画の完成と重要産業の満州移住
一、重要産業五ヵ年計画の完成
二、兵器工業の満州移住に関する要望
三、自動車工業の移住と鮎川の起用
第四 政局の変動と石原の策謀
一、宇垣内閣の流産と石原
二、林内閣の出現と石原
三、政局と石原
四、近衛内閣の誕生
第四章 作戦部長時代(自昭和十二年三月――至昭和十二年六月)
第一 石原の作戦部長就任
一、三月の定期異動と石原の作戦部長就任
二、新作戦部長としての訓示
三、石原部長の抱懐する根本思想
第二 日中関係の緊迫と陸軍中央部の施策
一、現地機関の対支情勢判断
二、政府の対支政策の策定
三、特使の派遣による現地連絡
四、陸軍内部における対支政策の対立
第三 乾岔子島事件
一、事件の全貌
二、中央部の処置と関東軍の態度
三、事件の影響
第五章 支那事変と石原(自昭和十二年七月――至昭和十二年九月)
第一 盧溝橋事件の勃発と不拡大方針
一、盧溝橋事件の勃発と陸軍中央部の動き
二、盧溝橋事件に対する陸軍中央部以外の動き
三、支那駐屯郡への増派問題
第二 北支事変と処理方針
一、北支派兵の決定
二、海軍の動向と北支作戦に関する陸海軍協定
三、中国の動静と現地交渉
四、派兵問題と支那駐屯軍
五、北支事変処理方針
六、事変処理をめぐる参謀本部内の論争
七、期限付交渉
第三 揺れ動く事変解決策
一、北支撤退論と特使派遣問題
二、南京政府の回答と武力解決の決意
三、動員派兵の中止をめぐる論争
四、膺懲作戦準備と対支和平処理問題
第四 北支膺懲作戦
一、郎坊事件、広安門事件と内地師団の派兵
二、北支掃討作戦後の戦争指導
三、北支戦局の拡大
四、時局収拾工作
第五 北支事変から支那事変への拡大
一、上海への陸兵派遣
二、戦局の進展に伴う諸問題
三、北支作戦と爾後の対策
四、上海戦局の打開策
五、戦争指導計画の策定
六、石原作戦部長の更迭
七、作戦部長辞任以降の石原の略歴
第六章 和戦をめぐる統帥部と政府との論争(自昭和十二年十二月――至昭和十三年一月)
第一 戦局の推移と第二次トラウトマン工作
一、十月~十二月に亙る戦局の推移
二、按兵不動の策
三、第二次トラウトマン工作の概貌
第二 和戦をめぐる統帥部と政府の論争
一、御前会議
二、支那側の回答をめぐる日支両国の動き
三、連絡会議における統帥部と政府との論争
四、「国民政府を対手とせず」の声明とその背景
第三 支那事変に関する若干の考察
一、支那事変発生の要因―北支工作
二、石原の支那事変本質論
三、支那事変初期における戦争指導
付図第一 北支那方面作戦経過要図(昭和十二年末に至る)
付図第二 上海附近作戦経過要図(昭和十二年九月末に至る)
主要参考文献
あとがき