スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想
はじめに
第一章 スターリン・後藤新平会談――ユーラシア大陸連合計画はここに始まった
スターリンと会った日本人/後藤新平の日露提携への執念とスターリンとの会談/後藤新平の新旧大陸対峙論/後藤新平と松岡洋右
第二章 独ソ不可侵条約への道――スターリン演説からリッベントロップのモスクワ訪問まで
後藤新平没後一〇年/「ちょうつがい国家」に支えられた不安定な体制/ドイツと日本の接近/ドイツよりも英仏を非難したスターリン演説/ゲーリングのムッソリーニ訪問/英国の躊躇と新外相モロトフの登場/
陽明文庫で発見された日ソ独伊四国提携を説く文書/日独軍事同盟は英ソ提携を促すから不可/熱のこもらない英ソ交渉/有田・クレーギー会談とノモンハン事変/日ソ独伊四国連合構想の出現/文書の作成者は松岡洋右か?/
「極東ミュンヘン」の成立を恐れたソ連/イタリアは戦争回避を訴えた/ヒトラーの対ソ接近決断/ヒトラーの親電とスターリンの返電/無期延期となる英仏軍事使節団との協議/ヒトラーの訓令とポーランド開戦決意/逆さのハーケンクロイツ/
「アジア人のことは私のほうがよく知っている」/独ソ不可侵条約と秘密付属議定書への調印
第三章 独ソ不可侵条約の日本への衝撃
欧州情勢は複雑怪奇/ヒトラー五〇歳の誕生祝い/『西園寺公と政局』に見える日本の四国連合熱/海軍は日ソ独伊四国連合を推奨
第四章 独ソのヨーロッパ分割線改訂――スターリン・リッベントロップ第二回会談
「ヒルガー覚書」/独ソ両国政府声明/ワルシャワはドイツに与え、リトアニアをソ連に与える/バルト三国とルーマニアの運命/スターリンの招待による祝宴
第五章 独ソ関係の悪化とヒトラーの対ソ開戦への傾斜
ヒトラーのソ連軍軽視の始まり/ドイツ軍の大攻勢とフランスの降伏/ソ連のバルト三国併合/ソ連のルーマニア領土併合/独ソ関係を悪化させた第二回ウィーン裁定/英本土上陸作戦のかわりに独ソ戦を選ぶヒトラー
第六章 日独伊三国同盟と四国連合構想
米国の対英支援の本格化とユーラシア大陸ブロック構想の浮上/特使シュタイマーの来日/日独伊三国同盟の成立/敗戦直後の豊田貞次郎の証言/米国牽制に役立たなかった日独伊三国同盟/楽天的なリッベントロップとムッソリーニ会談/
チアーノのベルリンでの印象/リッベントロップの生涯/リッベントロップの外交路線/「リッベントロップ腹案」日本に届く
第七章 モロトフ・ヒトラー会談とスターリンの回答
ヒトラーの動揺/リッベントロップのスターリン宛て書簡/ベルリン訪問に際してのスターリンの指示/ただ一人のアングロサクソンもヨーロッパには上陸させない/日独伊三国同盟と日ソ独伊四国の南進について/「大東亜圏」とは何を意味するか/
南京条約と日中和平工作/聞き役にまわるモロトフ/モロトフがスターリンの指示に言及する/モロトフ・ヒトラー最後の会談始まる/フィンランド問題/ヒトラーが英帝国崩壊後の世界を語る/ブルガリア問題とルーマニアへの保障に抗議する/
パウル・シュミットの見たモロトフ日ソ独伊四国条約の具体案/戦後発見された日ソ独伊四国条約案/ソ連の条件付き受諾回答/「バルバロッサ作戦」指令で四国構想消滅
第八章 松岡洋右のベルリン・モスクワ訪問
松岡外相訪欧に際しての「対独、伊、蘇交渉案要綱」/「ボスが対ソ開戦を決めてしまった/雪のシベリアへ向かう松岡/スターリンとの最初の会見/ベルリン、八万本の日の丸小旗/貴下は天皇に「紛争はあり得ない」との報告できない/
ヴァチカンで教皇ピウス一二世、ローマでムッソリーニたちと会う/大島大使の説得に耳を傾けない/北サハリンをめぐり会談は膠着状態に/「サハリンのようなちっぽけな島/スターリンが日ソ独伊四国条約に言及/スターリン、「松岡書簡」を認める/
スターリンが松岡とシューレンブルク抱擁する/スターリンは必至でヒトラー宥和を試みる/スターリンはヒトラーに先を越された?/日ソ独伊ブロック構想の死亡宣告/ユーゴスラヴィア問題で遅れた対ソ開戦/隠されたモロトフのベルリン訪問/
近衛文麿は何を考えていたのか/松岡の帰国と独ソ開戦への反応/孤立深まる松岡/主な登場人物のその後
第九章 ユーラシア大陸の政治力学
ヒトラーとリッベントロップの外交路線は相反していた/ユーラシア大陸を貫く力学/中ソ戦争勃発とソ連の対西ドイツ政策の急変/地政学者マッキンダーの「ハートランド」論
おわりに
註/あとがき/巻末資料/日ソ独伊連合構想に関連する近現代史年表/人名索引