外交官の一生
例言(太平出版社)
1 発端
なぜ外交官を目指したか
外交官受験の失敗と成功
2 外務省に奉職
山男の宮仕え
3 広東在勤
小村課長の思わせぶり
赴任行
洪憲運動と竜済光
赤塚総領事夫人
寸前尺魔 病気帰朝
磯部温泉―柴山輜重兵中尉
4 天津在勤
またしても中国行き
領事裁判―最初の刑事事件
天津の種々相
張勲の復辟―大洪水
張作霖、徐樹錚、曹錕、靳雲鵬
天津生活の窮乏 亀井官補の来任
天洋丸、牧野全権、松岡洋右氏
5 サンフランシスコ在勤
総領事館と排日の苦杯
排日土地法
サンフランシスコの人々
三浦環と早川雪洲
サンフランシスコでの私生活
6 ワシントン在勤
ワシントン大使館
幣原、モーリス会談
幣原大使
広田一等書記官
I am yours forever.
ウィルソン大統領と二人の少年
幣原大使のクリーブランド講演
亀井官補事件
佐分利一等書記官と私
ワシントンとワシントンの下宿生活
タコマ・パークのバプテスト教会
ワシントンのえらい人々
幣原大使夫妻の大夜会
英語修行―時は金なり
ワシントン会議前記―第二の元寇
会議の開幕と進行
会議における私の役目
わが三全権
四国条約案漏洩事件
アメリカ国務省の「暗室」
P・Tのキッス事件
会議から学び得たもの
大統領と府立五中校長
会議後の大使館
メキシコへ転任
メキシコ途上のパントマイム
7 メキシコ在勤
古谷公使とオブレゴン大統領
我観メキシコ
メキシコ市の美観
日本・メキシコ関係
Y陸軍武官の追放
天皇機関説
私生活―乗馬
政論家イギリス人ディロン
賜暇帰朝、グランドキャニオン、帝国平原
8 本省勤務
通商局第三課―排日移民法
佐分利通商局長 西園寺公の信任
通商第三課長
アマゾン探査
旅券事務の種々相
幣原外交
東方会議―田中上奏文
亜細亜局のモンロー主義
東京での私生活
イギリスへ転出
移民会議―英語の悲哀
渡英途上―フランクリンの恋物語
9 イギリス在勤
ロンドン生活の第一歩
大使館
守礼の国
イギリス皇室とわが皇室
公私の生活―将棋とゴルフ
ストラッド・フォード・オン・エボン
ロンドンでのフーズ・フー
松平大使の着任
「わがイギリス」
吉林へ転任
10 吉林総領事時代
吉林省城―張作相、熙洽
佐分利公使の自殺
高島愛子の結婚
墳墓発掘事件
万宝山事件―非はわれにあり
満州事変の前奏曲―中村大尉事件
事変の報至る
第二師団の吉林占領
ピストル・ポイントの独立宣言
第二師団の軍紀
軍の反感―居留民の離反
私の事変観 軍の兵変
関東軍からの弾劾
執政就任式 溥儀の人相
薩摩焼きの元祖―ある資本家
リットン調査団
吉林市民の感謝
地球の黒点 満州を去る
上海へ転任
11 上海総領事時代
上海を無風状態に
公使館と総領事館
上海の陸海軍
中日感情の融和―有吉公使
居留民団―その他
上海停戦協定の補強―越海道路問題
蔵本書記生失踪事件
『新生』不敬事件―磯谷少将と影中佐
大東亜模擬戦 日本側の惨敗
上海領事団―ブレナン総領事
呉鉄城市長
上海から見た日本の世相
我観蔣介石
上海と二・二六事件
上海知人録
上海での私生活
シャムへ転任
輸出超過の日本・シャム親善
クラ地峡開さく夢物語
赴任途上
12 シャム公使としての半年
公使館と居留民
シャムの欲する日本・シャム親善
プラジット外相
ピブーン国防相の失言
バンコックでの私生活
シャム史上の山田長政
Legate Mr.Ishii 『東洋』のシャム座談会
シャムからの展望
公使から東亜局長へ
13 東亜局長時代―中日事変
近衛内閣の出現
中日事変の勃発
石原少将―風見書記官長
蔣介石氏の廬山演説 三個師団動員決定
三人づれの悪魔
天皇のお思し召し
船津工作
川越大使の介入 船津工作の流産
ジャーナリズム 大衆、議会
ヒューゲッセン大使の奇禍
アメリカ大統領の「隔離」演説
トラウトマン大使の仲介
政府大本営連絡会議―和平条件の加重
「国民政府を相手にせず」
御前会議―白い御手袋
南京アトロシティーズ
極秘日本人名録
パネー号、レディー・バード号事件
如水会館香村寮の一夕
中華民国臨時政府と維新政府
対事変新機構 征華行省案
「黙れ」議会
広田外相の辞任―宇垣新外相の登場
「今後の事変対策に付ての考案」
張鼓峰事件―板垣陸相の虚言
宇垣外相の和平工作
外務省革新事務官のグループ
対華中央機関―宇垣外相の辞職
オランダへ転出
在京中の私生活
赴任途上オランダ領東インド視察
14 オランダ公使時代
ウィルヘルミナ女皇、公使館、北斎の名画
蛮国オランダ王の肖像
世界の動態―オランダの政変
チューリップ、風車、日本婦人
日本・ドイツ・イタリー同盟論
ヨーロッパ戦乱
ヒトラーは次のバスを待ちつつあり
日本、オランダの問題
ドイツ軍遂に侵入
ロッテルダムの惨状
ベルリン出張と陳介重慶大使
さらばオランダ
ブラジルへ転任
殊勲甲の奥田ホノルル領事
サンフランシスコからリオまで
15 ブラジル大使時代
バルガス大統領
リオデジャネイロの大景観
日・独・伊三大使の接近
サンパウロ訪問の中止
日本字新聞の廃刊問題
この国の友人 日本への憧憬
日本人の誰彼
日本・アメリカ会談
情報網計画
真珠湾―豈朕が志ならんや
リオの外相会議の前夜
外相会議とその帰結
国交断絶の通告
監禁生活―居留民に対する圧制
再び陳介重慶大使との密会
交換船―さようならリオ
ロレンソ・マルケスの冷汗
昭南の二日
二年ぶりの東京
16 待命大使時代
戦時調査室
中国旅行
次女の筆禍事件
大東亜会議
東条首相退陣 小磯内閣出現
駐独大島大使論
近衛文磨公と私
朝に一塁夕に一城
ビルマへ転出
赴任途上
17 ビルマ大使時代
ラングーンの種々相
バーモー氏とボース氏との初会談
イラワッディ河畔の会戦
大使の任務 三巨頭会談
大使会議―阿波丸の悲運
オンサン陸相の反乱
大空襲
蜂谷公使とチャンドラ・ボース
総敗軍―ラングーン脱出
バーモー氏令嬢の出産
ムドン村の潜伏生活
終戦―バーモー氏の脱出
タイ極楽へ逃避
バーモー夫人キンママ
抑留生活の種々相
タイ国の二重外交
帰還
18 依願免官―追放
19 結尾三題
天皇と外交官
位階勲等と外交官
霞ヶ関正統外交の没落
注
資料 今後ノ事変対策ニ付テノ考案
自序(初版序文)
解題 石射猪太郎の対中国理念を中心に(橋川文三)
人名索引