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昭和史こぼれ話

サブタイトル1~10
激動と波乱の時代の真相を抉る! エピソードで綴る!
編著者名
保阪 正康 著
出版者
日本文芸社
出版年月
1982年(昭和57年)7月
大きさ(縦×横)cm
18×
ページ
238p
ISBN
NDC(分類)
210.7
請求記号
210.7/H91
保管場所
地下書庫半藤図書
内容注記
和書 半藤一利氏旧蔵資料
目次

Ⅰ 恐慌とエロ・グロ・ナンセンスの時代 ●失業者があふれ自殺が流行した(昭和元年~10年)
元号をめぐって新聞各社のスクープ合戦(大正15年12月25日)
おらが内閣の武力進出と民衆弾圧(昭和2年4月20日)
漠然とした不安! 芥川龍之介、謎の自殺(昭和2年7月24日)
蘆花と蘇峰の徳富兄弟、涙の劇的対面(昭和2年9月18日)
人間がモグラになった! 地下鉄にとまどう乗客(昭和2年12月30日)
一円から豪邸が生まれる円本ブームの文士たち(昭和2年)
松平容保(かたもり)の心境いかに、会津出身の秩父宮妃(昭和3年1月18日)
金権選挙のはじまり? 第一回普通選挙(昭和3年2月20日)
蔵相の失言で金融恐慌! 没落した中産階級(昭和3年3月14日)
戦争の口実づくり、関東軍の陰謀・張作霖事件(昭和3年6月4日)
いつの時代も性愛記事には神経質な婦人団体(昭和3年7月19日)
憲法第九条の先駆となった? パリ不戦条約(昭和3年8月)
恋に生きた上流婦人はタレント議員第一号(昭和3年8月19日)
「防犯心得」まで講演した説教強盗(昭和4年2月23日)
エロ・グロのカフェに群がるインテリ(昭和4年)
谷崎式三角関係清算法は「妻を友に譲るべし」(昭和5年8月)
浜口首相の安否をめぐっておならに一喜一憂!?(昭和5年11月17日)
土地三百坪の懸賞も飛び出た出版好況こぼれ話(昭和5~6年)
恐慌が生んだ労働者のヒーロー? 煙突男(昭和5年11月)
幻の大クーデター計画三月事件の謎(昭和6年3月)
いつの時代も官高低民! 公務員の賃金大幅カット(昭和6年6月12日)
解放区の夢破れた農村青年社のアナーキスト(昭和6年春)
軍団少年の夢が託された〝のらくろ〟漫画(昭和6年)
一人一殺・血盟団井上日召の暗殺計画(昭和7年3月28日)
トーキー到来で失職した無声映画の弁士たち(昭和7年4月9日)
今も昔も変わらぬ医学部不正入試の実情(昭和7年4月22日)
話を聞けば情が移る「問答無用、射て!!」(昭和7年5月15日)
東京市の人口五百万人突破、世界第二の都市へ(昭和7年10月)
初の女性タクシー運転手は帝大助教授蜷川夫人(昭和7年12月12日)
欠食児童激増、弁当なしの子どもたち(昭和7年)
三原山に自殺パニック、一日平均三人の異常事態(昭和8年1月9日)
バーナード・ショーの皮肉がわからぬ日本人(昭和8年2月)
大衆の感涙を誘った実録版『瞼の母』(昭和8年2月9日)
教員の赤化を誇大妄想した特高たち(昭和8年2月22日)
戦争のレールに直結した昭和生まれの新入生(昭和8年4月)
共産党を壊滅させた佐野・鍋山の転向声明(昭和8年6月10日)
滝川幸辰京大教授追放劇の裏にある私怨(昭和8年7月)
白球ならぬ赤リンゴで早慶番外乱闘戦(昭和8年10月22日)
「源氏物語」は軽佻浮薄!! 警視庁上演禁止(昭和8年11月)
巧妙な倒閣劇、武藤山治射殺事件の真相(昭和9年5月19日)
娘の身売り相つぐ東北農村の悲惨(昭和9年)
第一回芥川賞に落ちた太宰治の悔し涙(昭和10年1月)
忠犬ハチ公美談が作られた社会背景(昭和10年3月9日)
皇道派と統制派の内ゲバ、永田鉄山刺殺事件(昭和10年8月12日)
天皇機関車説も飛び出した美濃部学説批判(昭和10年)
ファシズムを強く警告した時局新聞社(昭和10年10月8日)
 
Ⅱ ファシズムと戦争一色の時代 ●軍人がえばり、国民は禁欲を強いられた(昭和11年~20年8月15日)
三菱情報網に捕捉されていた二・二六事件(昭和11年2月26日)
プロ野球誕生、敵性スポーツから野球亡国まで(昭和11年4月)
お定につづけ! チョン斬り事件多発(昭和11年5月)
浜田国松代議士と寺内寿一陸相の切腹問答(昭和12年1月21日)
みんなで死ねばこわくない? 死のう団事件の怪挙(昭和12年2月17日)
大きいことはいいことだ? 大日本帝国に国号統一(昭和12年4月19日)
日本軍の暴虐、南京大虐殺の地獄絵図(昭和12年12月11日)
愛があれば寒さなんて! 岡田嘉子、愛人とソ連逃避行(昭和13年1月3日)
佐藤賢了中佐〝黙れ事件〟ドキュメント(昭和13年3月2日)
内務省、執筆者禁止リストを内示(昭和13年3月)
国民の士気を昻める文士の戦況報告(昭和13年8月26日)
陸軍独裁の切り札!? 陸軍大臣現役武官制(昭和13年)
自由主義者河合教授、東大追放の舞台裏(昭和14年1月29日)
反共パラノイア症? 平沼騏一郎(きいちろう)の「単純素朴」さ(昭和14年1月)
国策の先兵・満蒙開拓団の夢と現実(昭和14年4月27日)
おしゃれは非国民! パーマネントと長髪禁止(昭和14年5月)
帝国議会で最後の反軍演説、斎藤隆夫の勇気(昭和15年2月2日)
藤原釜足は無礼な名!? 芸名に粛名旋風(昭和15年3月28日)
アワはビールに非ず、都の粋な判定にビール党喝采(昭和15年8月23日)
美人オペラ歌手の実像は二重スパイ(昭和15年9月)
流行語「あのねえ、おっさん…」は皇国精神に反する!?(昭和15年9月)
生めよ殖やせよ! 十六人の子宝家庭表彰(昭和15年10月)
紙爆弾、東南アジアへ漫画の謀略ビラ投下(昭和15年)
戦地では無視、「戦陣訓」の有名無実ぶり(昭和16年1月)
プログラムをもたぬ小官吏の登場(昭和16年10月17日)
東條首相も天皇の眼をみられなかった(昭和16年)
あきれるほど単純な軍部官僚のアメリカ観(昭和16年10月)
開戦前夜ひたすら号泣した東條首相の不安(昭和16年12月6日)
開戦前日の二つの歴史的大失敗(昭和16年12月7日)
勝った勝ったの敗け戦さ、大本営報道の大ウソ(昭和17年1月15日)
得意の絶頂期、英領シンガポール陥落(昭和17年2月15日)
爆弾三勇士を軍神に祭りあげた軍部のねらい(昭和17年)
ナチス党籍のソ連スパイ、ゾルゲの暗躍(昭和17年5月17日)
戦争の転回点ミッドウェーの敗北(昭和17年6月10日)
焦る陸軍、本土空襲の米兵三人処刑(昭和17年10月20日)
大日本言論報告会、ヒトラーに激励電報(昭和17年9月)
枝葉末節の典型、ばかげた敵性語禁止通達(昭和18年1月)
不発に終わった幻の日本原爆開発計画(昭和18年5月1日)
員数補充の速成兵士、学徒出陣の実情(昭和18年10月21日)
大東亜会議に参加した首脳たちの不安(昭和18年11月3日)
決戦体制に突入、「決戦非常措置要綱」決定(昭和19年2月25日)
子どもまで玉砕したサイパン島の地獄絵図(昭和19年6月12日)
帝都防衛の足手まとい? 学童集団疎開(昭和19年6月30日)
「アナタハンの女王」に群がった三十人の男(昭和19年6月)
権力に迎合する出版社の自主規制(昭和19年7月)
無用の長物、本土決戦用の松代地下大本営(昭和19年9月)
特攻隊六千人の敵艦命中率は二割未満(昭和19年10月25日)
日本ファシズムは無責任体系の典型(昭和19年)
玉砕の実態! 激戦地での対米戦死者数比較(昭和20年)
関東軍七三一部隊の恐怖の細菌戦研究(昭和20年)
ラッキョを食べれば爆弾なんか恐くない?(昭和20年3月10日)
沖縄焦土に変貌、アメリカ軍上陸作戦(昭和20年3月25日)
文学者の八月十五日、日記抄録(昭和20年8月15日)
高官秘書たちの敗北感、敗戦日記抜萃(昭和20年8月15日)
 
Ⅲ 生活窮乏と民主化が支持された時代 ●国民は天皇より偉いマッカーサーに隷従した(昭和20年8月16日~30年)
玉音放送と無条件降伏を信じなかった国民(昭和20年8月15日)
降伏後最初の対米交渉に政府も困惑(昭和20年8月16日)
〝国民総ざんげ〟の東久邇(ひがしくに)首相の対話路線(昭和20年8月16日)
政府発行「進駐軍心得」も現われた敗戦直後の動揺(昭和20年8月)
マッカーサー、丸腰で敵地日本へ上陸(昭和20年8月30日)
GHQ指令の墨ぬり教科書に小学生は当惑(昭和20年9月)
戦災浮浪児十三万人の悲惨と栄光(昭和20年9月)
夜の女に転落した女子挺身隊員の哀話(昭和20年9月)
中国原爆開発に参加した? 旧日本軍技術将校(昭和20年9月)
敗戦で三千人の政治犯釈放、百万人恩赦(昭和20年10月4日)
戦後学生運動の先駆、上野高女の学園闘争(昭和20年10月8日)
公家出身政治家のもろさ、近衛文麿の自決(昭和20年12月9日)
〝東條憎けりゃ声まで憎し〟脅迫状に悩んだ東條役(昭和20年)
〝報復〟の論理で裁かれたBC級戦犯裁判(昭和20~22年)
われこそ天皇なり〝南朝直系〟熊沢天皇の出現(昭和21年1月18日)
マッカーサー暗殺計画の謎と真相(昭和21年5月1日)
東京裁判、東條ら二十八人の審議始まる(昭和21年5月3日)
ヤミを拒否した法の番人、栄養失調で死亡(昭和21年11月4日)
砂糖をなめるとすぐに治る?―糖尿病患者に聞かせたい話(昭和21年8月)
天照大神の再来? 新国家構想に燃えた女性教祖(昭和22年1月21日)
史上たった一回の社会党政権・片山内閣の弱体ぶり(昭和22年4月25日)
多摩川土手で三百人の集団青空見合い(昭和22年11月7日)
百万円宝くじ登場、徹夜組がズラリ(昭和22年12月1日)
戦後第一回成金長者番付ベストテン(昭和22年)
皇国少年転じて大学生泥棒軍団を組織(昭和23年2月)
怖ろしきは女の情熱、女にひきずられ? 太宰治情死
起きて半畳、寝て一畳、東京暮らしの窮屈さ(昭和23年8月1日)
〝暁に祈る〟外蒙古捕虜収容所の狡猾な主謀者(昭和24年3月15日)
戦争美学に落ち込む禁欲学徒兵の手記(昭和24年9月)
行商の相沢青年、岩宿遺跡を発見(昭和24年9月10日)
軍隊で覚えた強姦の味、小平義雄の自白(昭和24年10月5日)
契約万能論者〝光クラブ〟山崎晃嗣の自殺の論理(昭和24年11月24日)
キッス公然化、映画俳優もぎこちなく(昭和25年8月)
各種学校のはしり? 「国際花嫁学校」の盛況ぶり(昭和26年3月)
戦後日本再建の父マッカーサー解任に涙涙の日本人(昭和26年4月11日)
マッカーサー離日で国会は感謝決議案(昭和26年)
戦後三大誤報の一つ、木星号墜落事件の怪(昭和27年4月9日)
「喉元すぎれば熱さ忘れる」総選挙に右翼・元軍人が台頭(昭和28年4月)
八頭身は美人の代名詞、伊東絹子ミスユニバース三位(昭和28年7月16日)
離婚原因のニューフェイス、パチンコ狂騒曲(昭和28年)
鳩山復党用の二千万円、佐藤逮捕に指揮権発動(昭和29年4月21日)
ベビーブーム就学、小学校はどこも教室不足(昭和29年4月)
<女優は売春婦ではない> 田中絹代らNHKに抗議(昭和30年6月19日)
通信簿五段階方式採用までの舞台裏(昭和30年9月)
階級政党か大衆政党か、ひとまず社会党統一へ(昭和30年10月)
保守合同・自由民主党結成は党人派の一時的勝利(昭和30年11月)
太陽族登場、戦後派慎太郎の衝撃のデビュー(昭和30年)
 
Ⅳ 経済復興から高度成長への時代 ●エコノミック・アニマルに徹し繁栄の基礎を築く(昭和31~40年)
週刊誌戦争始まる、出版社系「週刊新潮」創刊(昭和31年2月)
乱闘国会に衛士が怒りの声明発表(昭和31年6月1日)
衣食満ちてドライな十代の家出人ラッシュ(昭和31年)
電卓時代のさきがけ、「計算屋」商売の出現(昭和31年)
新しい消費文化の担い手、スーパーの登場(昭和32年9月)
ストレートな官能表現、ロカビリー旋風猛威(昭和33年2月8日)
ノイローゼ大流行、自殺率は世界一(昭和33年6月1日)
大衆情報化を促進したミッチー・ブーム(昭和34年4月10日)
ある中学校のアンケート「十二月八日って何の日」(昭和34年12月)
性交態位写真付き『性生活の知恵』ベストセラー(昭和35年6月)
右翼白色テロ、浅沼社会党委員長刺殺(昭和35年10月12日)
方向なき大衆エネルギーの爆発、六十年安保闘争(昭和35年)
大野伴睦の横車、新幹線を停める(昭和36年1月)
トラ箱大盛況、〝酔っぱらい保護法〟実施(昭和36年7月1日)
戦後唯一のクーデター計画〝三無事件〟(昭和36年12月12日)
原水禁運動の分裂と政治の暴力(昭和37年)
ニセモノブーム横行、ニセ皇族の詐欺(昭和37年)
昭和のがんくつ王、吉田老無罪かちとる(昭和38年2月28日)
幻の爆弾マニア草加次郎は何処に?(昭和38年9月10日)
管理社会化への反抗!? 蒸発人間激増(昭和38年)
海外旅行自由化、買春ツァー開始(昭和39年4月1日)
大学の大衆化、大学生百万人突破(昭和39年4月)
高度成長の底辺を支えた〝金のタマゴ〟(昭和39年8月)
円谷(つぶらや)選手を殺した東京五輪三位の重荷と期待(昭和39年10月24日)
〝男から女へ〟性転換手術は優生保護法違反?(昭和40年6月)
過疎と過密の始まり、高度成長で一大民族移動(昭和40年10月1日)
 
Ⅴ 経済大国謳歌から石油ショックへの時代 ●享楽をむさぼる一方、大国意識が頭をもたげてきた(昭和41年~48年)
当たり屋夫婦の愛情とビジネス(昭和41年9月3日)
プライバシーの確立『宴のあと』裁判の功績(昭和41年11月28日)
自民党得票率過半数割る、〝黒い霧総選挙〟(昭和42年1月29日)
昭和元禄の仇花、新宿フーテン族の出現(昭和42年春)
学生運動武装化の端緒、第一次羽田事件(昭和42年10月8日)
消費社会の落とし穴、サラ金会社の誕生(昭和42年)
教育ママに有罪、福教大付属小学校不正入試事件(昭和43年8月7日)
進歩か愚行か、日本初の心臓移植手術失敗(昭和43年8月8日)
庶民の溜飲を下げさせたスマートな三億円事件(昭和43年12月10日)
空気の缶詰めはいかが? アイデア商品花盛り(昭和43年)
海外輸出もされた!? 全共闘のゲバ棒スタイル(昭和43年)
帝大解体! 東大安田砦をめぐる攻防戦(昭和44年1月17日)
永易投手永久追放、プロ野球の八百長発覚(昭和44年10月7日)
浮気がトップ、厚生省「離婚実態調査」発表(昭和45年6月12日)
〝世界革命〟の根拠地作り、赤軍派ハイジャック(昭和45年3月31日)
歩行者天国発足、人間復権への試み(昭和45年8月2日)
三島は気が狂ったのか、佐藤首相〝正気〟の感想(昭和45年11月25日)
ベンダサンの正体は山本七平氏か!?(昭和46年3月19日)
ドル・ショック、円大幅切り上げ!(昭和46年12月20日)
土地投機インフレの元凶『日本列島改造論』(昭和47年春)
川端康成の自殺に三島由紀夫が影響?(昭和47年4月16日)
日中国交回復成立、田中角栄首相得意の絶頂(昭和47年9月29日)
物価の模範生・パチンコ玉、二十四年ぶりの値上げ(昭和47年11月15日)
競馬ノミ屋大繁盛、五分遅れのトリック(昭和47年)
希代の結婚詐欺師、十七人の女性を操る(昭和47年)
原油価格大幅値上げ、低成長時代の幕あけ(昭和48年10月)
名前は時代の鏡、昭二は昭和二年生まれに多い