関東大震災と日米外交
プロローグ―関東大震災と阪神・淡路大震災をつなぐもの
テレビで震災を知った村山首相
透明だが、危機に弱い内閣
援助を申し出た空母インディペンデンス
第一章 サンフランシスコ大地震
「戒厳令」下のサンフランシスコ
一万人の在留邦人がいた
明治天皇の下賜金二十万円の効果
救援に積極的だった渋沢栄一
きわだっていた日本の支援
満州問題を危惧した伊藤博文
中国人排斥から日本人排斥へ
日本人学童、隔離される
ローズヴェルト大統領の内憂外患
日米「平和」を強調した山本権兵衛
異例のオイスター・ベイ会談
「オレンジ・プラン」と砲艦外交
大西洋艦隊、世界一周へ
日本人の度胆を抜いた十六隻の「白船」
ホワイト・フリートをみた日本海軍
第二の日米危機、起こる
国際主義と大戦後の新外交
第二章 関東大震災
山本権兵衛、二度目の首相に
「地震内閣」の誕生
戒厳令、施行される
福田雅太郎司令官、罷免さる
危機に出動した軍隊の是非
連合艦隊、急行す
内向きの震災事務局
大風呂敷の復興計画
被災したベルギー大使とフランス大使
故郷に帰りたがらなかったロシア人
逃げだした中国人労働者
「王希天事件」の顚末
「初耳」を装うほかなかった亜細亜局長
第三章 大援助到来す!
クーリッジ大統領の三つの指示
一千六十万ドルの義捐金が集まる
駐日米大使ウッヅの活躍
アジア艦隊司令長官アンダーソンの申し出
フィリピン駐屯軍のマッコイ少将派遣さる
不開港場へやって来た外国船
一にカネ、二にモノ、三にヒト
マニラから来た医療救護団
六千床分のベッドがもちこまれる
「要注意人物」となった武官バーネット
小林司令官の涙
アメリカの援助の特色とは?
黄昏のイギリスの援助
連合国と敵国と
上奏された孫文の電報
救援船「新銘号」
「禍を転じて福となす」か
対支文化事務局が動きはじめる
第四章 レーニン号事件
外務大臣チチェリンの見舞電
シベリア出兵の後始末
暗礁にのりあげた日ソ交渉
「日本の労農を救え」
「レーニン号」と改名した救援船
内務省の本音は?
犬吠埼沖から入った無線電信
波紋を呼んだロシア人記者の発言
遅れてきた外交官
武田大佐、退去を「宣言」する
「非はソ連にあり」
社会主義思想が外交問題となる
第五章 大震災、その後
国防はどのような影響を受けたのか
時代は航空機
参謀本部が憂慮していたこと
幣原外交の登場
くすぶりつづける排日移民問題
アメリカ艦隊、幻の来航
五人の答礼使、派遣さる
日米破局のはじまり
エピローグ―関東大震災にみる日米関係の協調と対立
資料解説
あとがき