霞が関外交
Ⅰ 吉田さんと霞が関
職業外交官としての吉田さん
「Y項パージ」
外国要人の接待
外務省が大好き
秘書官稼業
もう一つの猟官運動
幣原さんと吉田さん
外務省の気風
「田中メモランダム」
英米追随排撃から親英米への転身
駐英大使に任命される
大使の腕の見せどころ
軍部からにらまれる
吉田外交の手法
霞が関の主人公振り
GHQに対する態度
厳しい「躾け」
吉田さんの貴族趣味
ディナー・ジャケットを着なかったたたり
優れた中国観
Ⅱ 戦争終結と東郷外相
戦況の変化から終戦工作へ
岐路に立った日本
ソ連に与える大きな獲物
構成員会議の雰囲気
東郷外相と阿南陸相
対ソ和平工作
ポツダム宣言「黙殺」
東郷と陸奥、小村との比較
東郷外相を支えた人々
東郷外相の身辺
危険にさらされる
宿泊の段取り
戦争終結への執念
日米交渉不成功の責任
東条首相と対立
再度の入閣
最後のお叱り
エディ夫人という人
Ⅲ 陳公博を救えなかった霞が関
敗戦日本に身を寄せた要人達
重光外相の度量
陳公博の南京脱出
南京政府内部の勢力関係
日本での受け入れ体制
望湖楼から金閣寺へ
望湖楼から金閣寺へ
大覚寺住職の見識
引き渡し要求くる
吉田外相との押し問答
金閣寺から南京へ
再度の送還要求
深夜の都落ち
雨中の離陸
陳公博庇護の評価と反省
危ない綱渡り
外交機能の停止
王兆銘と陳公博の印象
Ⅳ 日英外交の黎明
断たれた絆をつなぐ
日本軍が残した爪痕
先輩の切り拓いた道
友人づくり
対日関係議員連盟を結成
日英通商居住航海条約の締結
条約交渉の発端
決定打になったキッピング報告
ランカスター・ハウスでの調印式
池田首相訪英の目的
外交への経済人の貢献
マスコミの新造語・経済外交
外交は国権の発動に因る
イギリス首脳の面影
マックミラン首相と日本
勇気ある人道主義者
ヒューム外相の人柄
国民も二度ビックリ
鉄砲撃ちの名手
Ⅴ 君主制と王室外交
現代君主制のあり方
戦争終結への道
マッカーサー元帥
原敬の卓見と決断力
イギリス君主制の特徴
世の荒波を凌いだ
イギリス人のあこがれの的
エリザベス女王の人気
イギリス王室外交の実際
王室外交とは
アレクザンドラ王女の訪日
日英通商居住航海条約交渉 の進捗
政府、議会、財界、世論を結ぶ金の糸
天皇、皇后のご訪英
国賓のもてなし振り
世紀の王室パレード
Ⅵ 外交機密と「知る権利」
機密の漏れる経路
使われる暗号電報
暗号電報を読み破られた者の悲劇
対米覚書の手交はなぜ遅れたか
「騙し討ち」の汚名を浴びた日本
外交交渉に果たす暗号電報の役目
外交交渉の進め方
守られるべき外交秘密
暗号電報は外交官修業の第一課
外交機密と新聞記者
積極戦法の効用
マスコミとのつき合い
外交論争を国外に持ち出すな
Ⅶ 霞が関の陰の人―デニソン
外交界の巨星達
デニソン顧問の役目
英米に向いた日本外交
不平等条約の改正
日露開戦前後の交渉
幣原さんとデニソンの交遊
外交技術上の奥義
デニソンの雇い入れと待遇
ヘレン夫人を捜して
Ⅷ 外交不振の原因をさぐる
霞が関外交の伝統
外交の変遷
霞が関外交の伝統
占領時代と外交感覚の喪失
日米関係は「理性結婚」に似ている
自由闊達な外交への姿勢
主体性を取り戻したい日本
日本のお家芸・多元外交
水際で打ち切るイギリスの外交論争
超党派外交への努力
餅は餅屋へ
外交感覚を生かす
外務省の自信と外交官の見識
国策の基本指針を欠く日本外交