東京雑学事典
- サブタイトル
- 編著者名
- 毎日新聞社 編者
- 出版者
- 毎日新聞社
- 出版年月
- 1976年(昭和51年)11月
- 大きさ(縦×横)cm
- 18×
- ページ
- 254p
- ISBN
- NDC(分類)
- 291.36
- 請求記号
- E291.36/Ma31
- 保管場所
- 地下書庫江波戸図書
- 内容注記
- 昭和館デジタルアーカイブ
1 春
トウケイと東京
江戸ッ子は「治まる明」
無国籍が千人近くいる自由の都
神田ッ子に意気を見せた三河屋幸三郎
抱月と須磨子の芸術座での死
東京都木・イチョウの不思議
明治の高層ビル・浅草凌雲閣
汚れの激しさ一の綾瀬川・二に目黒川
当て山となった大岳山
西郷隆盛の銅像の作者は徴兵養子
国会中継はいつから始まったか
多摩の土蔵に埋もれていた憲法草案
どこを見つめているのか西郷ドン
関西業者に独占された東京駅
銀座八丁、れんが道
江戸の頃から江東はゴミとご縁続き
夏目漱石が書いた岩波書店の看板
東京ッ子は”タタミ五畳”の住まい
いまも残る江戸のお富士さん
曲芸飛行家、ナイルスとスミス
新宿の歌は、なぜ暗くしめっぽい
東京で最初の野球実況放送は昭和二年
東京へ移住させられた華族
出版業の先駆は博文館
アキハッパラからアキハバラか
忘れ去られた大正六年の大水害
世界の都市に比べて少ない東京の老人
下水道は神田が発祥地
明治の三大新聞取材合戦
日本橋の料理屋が考案した新兵器
東京で初めて電車が走ったのはどこか
今は平和な平和島
黒いスモッグから白いスモッグへ
永井荷風慶大教授と「三田文学」創刊
アベックの名所とイチゴとの関係
洋式貨幣の原型をつくった加納夏雄
地震市長・復興市長・永田秀次郎
中学生の交通事故死はわずか四人
日比谷にあった”江戸湊”
ブギの女王とラクチョウのお米
米大リーグ初試合は三田綱町
都電は何台あるか、わかるかなァ
女学生に跡見スタイルが流行
東京の区名の移り変わり
東京日本橋・三越のライオン像の由来
火災発生時間の示す都会の生活
デパートの開店作戦でヒットした歌
京橋局のダイヤル自動通話事始め
三千枚の写真を撮った明治の写真師
第一回帝国議会は仮議事堂で
機関車沈没で早められた山手線建設
出女、入鉄砲を取り締まった小仏の関
プロ野球、ジャイアンツの設立
東京の灯が消えた日
西多摩郡にある三つのセンゲン峠
二丁拳銃スタイルの大倉喜八郎
白馬の産地が目白の地名を生んだ
救世軍と吉原の廃娼運動
大都市と過疎村が同居する東京
ロンドンまで達する東京の水道管
東京駅で第一号切符を買った人は誰?
江戸の美人と東京の美人との違い
男女の数がピッタリ同じの檜原村
第2章 夏
上着は七月二週に脱ぎ九月二週に着る
武蔵国から東京都へ
人気を呼んだ浅草の富士山
雨が目にしみる時代
多摩川の水源はミズヒ沢
三島由紀夫が描くロマン漂う七つの橋
入れ歯や位牌の忘れもの
男女混浴を禁止すること…
品川の海の中を走った岡蒸気
明治のお米、お酒の値段・東京版
二人いたこともある東京府知事
高くなった都心温度
東京の空を飛行機が始めて飛んだ日
竹橋騒動と号砲
東京でいちばん安い?家賃はどこ
鮟鱇と鰻で政・財界癒着
終戦の日の仇討ちドラマ
非公開で行われた昭和二十年の夏場所
意味不明のまま流行したカンカン娘
東京の私学事始め
野球の開祖は東大だった
江戸ッ子の意地を見せた東京開府祭
「波浮の港」は茨城の平潟だった?
総理大臣は明治十八年から
旅順陥落を記念した勝鬨橋
油絵流行のはしり
「新宿」という名称は宿場名から
「有楽町」は有楽斎の屋敷から
まぼろしの”練馬大根”
海水浴場だった「夢の島」
日本人初の柵越え本塁打は慶大生
都民の日は、なぜ十月一日なのか?
田圃変じて浅草六区の娯楽街になる
上野精養軒の開店四日目に訪れた珍客
太田道灌の山吹の里はどこに
砂礫の上に建つ世界最大の都市
カフェーの開業と「五色の酒事件」
都内のマンモス校からミニミニ校まで
二千年も前に開山された御岳山
レコード二万枚売れたカチューシャ
巣鴨で誕生したソメイヨシノ
勲章受賞の第一号は
東京放送局の仮放送は借り放送
踏切番はおまわりさん?
借手のつかなった銀座商店街
「ラブユー東京」がヒットした理由
日本橋周辺をたちまち復興させた人物
東京は夜も地下鉄の車内なみの騒音?
紙幣国産と「朝陽閣」
横浜の反対でやっと開港した東京港
品川でとれて「浅草のり」という理由
七ツ石山頂は博打場だった
明治御一新による藩の侍のあわてぶり
最初のアメリカ遠征は早大チーム
梅雨が百日も続いた終戦の年
東京における将門の首塚のたたり
多摩地区の電話普及率は全国有数
東京の虫売りは江戸時代から
作者不明の「同期の桜」
東京に”重金属鉱山”がある?
ベースボールを”野球”と訳した人
第3章 秋
鉄道唱歌は二曲あった
十月と八月はゴミの出る量が多い
本場のベースボールを紹介した平岡?
洋服を着た吉原の遊女
江戸最後の町人の人数
現代東京の象徴的昆虫はゴキブリ
東京には登録犬が何びきいるか
東京電力の意外な大株主
役人一人を都民三十人で養っている
夢の島で繰り広げられる生体遺伝実験
四谷に二つあるお岩稲荷
ありそでないのが「東京中学校」
オカラが豆腐より高くなった兎の流行
住人三十九人の丸の内
浅草寺観音は一寸八分の黄金像?
ウソでない「東京のそばっ食い」
東京六大学野球の第一戦は駒沢で
意外と知られていない東京都の歌
学閥打破の最初の手本は三井
早慶戦は三田綱町で始まった
明治の東京で走っていた車の数
東京駅に着いたゴミのゆくえ
隅田川はどこからどこまでか
芥川龍之介の上野のお気に入り場所
なぜ「日本橋」と名前がつけられたか
性犯罪発生は年々減ってきている
汽笛一声からトイレには苦労している
東京以外は考えられなかった大相撲
奥多摩の雨乞いの滝
月食の記入を忘れて叱られた天文台長
東京はすたれ、江戸が残る
八丈島に伝わる赦免花
テレビドラマは東京・砧村から
東京市中、初の爆裂弾騒ぎはいつか?
婦人専用車の初めは中央線から
職業野球は大正九年にあった
箱屋殺しは暗い家庭の事情からだった
東京の”足のスト”事始め
日本中を踊らせた東京音頭
明治の青い目の科学者たち
グラント将軍と東京商法会議所
半日に十二万台の車が通る祝田橋
日本最初の内閣の顔ぶれ
雲が取れるほど高い雲取山
都立高校で最も古い校舎は?
東京都の紋章の由来
都内の一万二千人もいた廃品回収業者
東京の国電事始め
明治六年、東京府下の女性断髪騒動
昭和になってからできた銀座八丁
向島に建設された日本初のクツ工場
東京の現代”駆込み寺”
明治の東京新名所だった築地ホテル館
零細化する東京都内の土地所有
東洋で最初の浅草・上野の地下鉄
魚は一尾のうちどのくらい食べられる
東京で面積の最も広いのは奥多摩町
わが国で初めての寮歌は「嗚呼玉杯」
東京放送局時代の出演騒動
浅草・観音様の守り神
四メートル地盤沈下した江東・平井町
第4章 冬
一月六日の上空は限りなくブルー
柳橋の花街にいた文豪の父
動物愛護?のかなりやの歌
都バスは一日で月旅行
ロクロ首や蛇食い娘のいた銀座
明治の東海道超特急は六日間
東大医学部は一〇年前に百年祭
夜は七万人しか残らない千代田区
明治五年にできた東京府の軽犯罪條例
「銀行」の生みの親・渋沢栄一
高井戸の旧石器人のバーベキュー跡
”新聞”は銀座から
「東京」という姓の持主さんはいる?
都の鳥、ユリカモメ
わが国最初の貿易商社、東京に誕生
市民をふるえあがらせたピストル強盗
銀座の柳とお堀端のアカシア
歴代内閣の寿命
桑・茶畑となった江戸市中の武家屋敷
東京で最初の野球国際試合は
青梅も将門ゆかりの地
丸ノ内三菱ヶ原とおつや殺し
下水道も高くつく
学生スポーツ最初の入場料は
「東京行進曲」は映画主題歌の第一号
救急車の出動原因に見る都会生活
アメ屋横丁には何軒の店があるか
団子坂と浅草の菊人形
下流の四橋を守った鉄橋・吾妻橋
「山」と呼ばれた東京放送局
ひょうたん池の変遷
最初の大リーグを破った小野投手
東京はヤングの街
有楽町ガード下の街娼の生の声
雇い外国人の官舎だった大森駅
娯楽の殿堂、下谷黒門町の可否茶館
オペラは浅草で花が咲く
関東大震災を予知した大川平三郎
江戸情緒を満喫させる荒川線
江戸三奉行所に気を使った明治新政府
日本最初の文士劇は小石川水道町で
芝の延遼館で行われた世紀の大相撲
大阪に比べて違いのかずかず
豊島区の「豊島」は豪族の姓
銀座の道幅が十五間に決まった理由
池袋に続かない”ランチ天国”
第一回総選挙は四倍強の競争率
明治時代からあった禁煙車
東京のビルの高さベスト5
ゴミ余熱は巨額のエネルギー源
日本初の新劇常設小屋は「築地小劇場」
三多摩の東京移管はコレラ問題から
「東京」と名のついたヒット曲の数々
今は昔、番町更屋敷お菊虫の事実譚
明治の新作落語第一号は市ヶ谷から
三多摩壮士を生んだ郷学校
砂漠化する東京都心
大正四年にも上野動物園にパンダが
関東大震災まで続いた女袴の風俗
東京はまだ男性優位の社会
中央線沿線を開いた江戸城の築城
山岳宗教の修験道場だった高尾山
資料の利用については4階 図書室のご利用にあたってをご覧ください。
- 担当:
- 図書情報部 図書係
- 電話番号:
- 03-3222-2573
- FAX:
- 03-3222-2626

