すみだ区民が語る昭和生活史 上
1. 荒川方水路が開削されて
解説
水びたしの生活が何日も続いて(片岡婦久)
井戸も水道も全部だめ(村田國太郎)
埋め立てたガス殻が流された(橋爪キミ)
放水路の開削で家を移転(江川良一)
2 大正時代のくらしあれこれ
解説
長屋住まいが普通のくらし(本加あき)
裏長屋では縁台出して立ち話(柴崎まさ子)
明るいガス灯が評判の理髪店(松倉千代)
小さいときからお手伝い(本加捨松、あき)
夜道は提灯を提げて(藤倉文枝)
白髭橋は一回一銭の渡り賃(中込邦雄)
木橋だった十間橋(服部冨郎)
大正六年の大水で(本加捨松、あき)
米問屋のくらし(山田澄子)
米価が高騰して大騒動に(本加捨松、あき)
ガラス工場でのくらし(西村あぐり)
道路の馬糞は犬が食べちゃう(川口安久)
隅田川・運動会・大掃除(小林美代)
区画整理で広い道路に(安孫子喜代)
3 昭和初期のくらしあれこれ
解説
ご飯は外で薪で炊いた(太田静江)
貴重品だった“のり”と“卵”(中込てつ)
朝は納豆売り昼は煮豆屋さんが来るの(柴崎まさ子)
引き売りは下町の風流(日野秀夫)
引き売りの声で一日が始まる(太田静江)
十一人兄弟が母親を助けて(山崎登)
昭和初期の学校生活(青砥昌之、田島澄子)
五年生まで“アブちゃん”を着けてたの(大塚リキ江)
学校へは遊びの約束に行くようなもの(中込てつ、邦雄)
不況のあおりで侘しい商いでした(日野秀夫)
親代わりになって嫁に出す(田中正右)
夏はカキ氷 冬は焼き芋屋(岩崎鈴廣)
写真館開業と相撲協会専属写真師(工藤明)
ふん尿は農家に運ばれて(松本重雄)
鐘紡の社宅くらし(川瀬俊老)
その日暮らしの長屋住まい(中込てつ、邦雄)
アコーディオンにあこがれて歌手めざしたが(川口安久)
楽しみだった富山の毒消し売りの紙風船(中込てつ)
隅田川の岸は石垣(鍛冶健一)
渡し賃二銭の今戸の渡し(藤沢謙二)
賑やかだった南竜館通り(鳥井達)
夜遅くまで景気のいいかけ声(竹内智恵子)
艇庫の学生が大勢いたの(大森志ずい)
庶民の足 市電(都築敏郎)
4 娯楽・遊び
解説
カツドウが十五銭で一本半(柴崎まさ子)
親父がつくった業平座(北条宗明)
五銭を握って映画館に行くのが一番楽しみ(川瀬俊老)
映画館はいっぱいあった(藤倉文枝)
子守りをしながら映画見物(太田静江)
よく小松島で映画撮影(萩原徳明)
弁士は無声映画のスター(服部富郎)
モダン芸者は蓄音器で踊る(糸川達雄)
水神様の祭りは船上渡御(川瀬俊老)
御神楽も奉納されて(大森志ずい)
かけ声は“ワッショイ、ワッショイ”(鳥井達)
白髭神社の祭礼は山車や獅子頭も出て(小島惟孝)
紙芝居屋さんがラッパを吹いてやって来る(丹羽武一)
遊び場は至る所に(日野秀夫)
女の子は ままごと まりつき(太田静江)
ガキ大将がいて喧嘩にもルールが(小林喜一)
お正月は羽根突きと百人一首(鳥井達)
子供の遊びも軍国主義丸出しになって(川瀬俊老)
駄菓子屋さんが子供のたまり場(柳下恵子)
見世物小屋やサーカスもあった(小島惟孝)
海ほうずき欲しさに早起きして朝市に(柴崎まさ子)
夜店は毎晩あった(諸井信子)
夜店の明りは青白いアセチレンガス(服部富郎)
蔵前橋通りは毎晩にきやかで(川口安久)
北十間川沿いで父が古本の出店(中込邦雄)
5 戦時のくらし
解説
学校では奉安殿に最敬礼(柳下恵子)
配給切符で買った修学旅行のおみやげ(諸井信子)
苦労の中に楽しみも(太田静江)
豆炭入れた猫あんか(柳下恵子)
残された子供を抱えて(小島キヨノ)
着物をモンペにつくり変えて(大塚リキ江)
一杯の雑炊を買うのに行列(中野弘)
向島百花園を開墾して畑に(小島惟孝)
荒川の土手に防空壕(飛田孝、サダコ)
配給のみかんとおにぎりで逃げた空襲(小林俶子)
早く防空壕へ入れ!(太田静江)
焼け残った一軒が私の家(松本重雄)
お菓子造りに四苦八苦(丸山健二郎)
非国民といわれながら伝統の人形づくり(小林喜一)
中学生も勤労動員(外山新吉)
勤労動員と防空壕(片岡庄三郎)
歩け歩け遠足はエノケンの歌で(柳下恵子)
主人が残した集団疎開の記録(小林美代)
疎開先ではとにかく腹が減って(染谷武男)
心にしみた人のふれあい(日野秀夫)
お国のために予科練へ(工藤明)
おふくろの命日に帰ってみたら(糸川達雄)
徴兵検査 召集 そして南方へ(鍛冶健一)
「日本は負ける」と話したらお前はスパイだ!(山田澄子)
敗戦は二日前に聞いた(外山新吉)
玉音放送を床屋で聞く(道山岩男)
付録 町名の変せん図