杉並にも戦争があった
はじめに
批判精神を失わぬように-発刊によせて-(山住正己)
1 杉並みの空襲があった
真っ暗な夜が怖い<阿佐ヶ谷>(小関啓子)
勝つと信じて(佐藤喜久子)
今日はあの建物が(山下安子)
建物疎開で追われた人たち
父は戦死、弟は病死(羽生恵美子)
戦火に追われた夏<高円寺>
高円寺の空襲<高円寺中>
光塩女子学院燃ゆ(塩谷泰子)
『母は平和を』より<天沼>(清水ちとせ)
二階が落ちた!<清水町>(名取恵子)
押入れで産声を<下井草>(栗原美香)
高射砲陣地をめがけて(山下久雄)
機銃掃射におびえた日<善福寺町>(田中悦子)
B29が墜ちた<久我山>(村上和子)
「戦場」のわが町<上高井戸>(木下三郎)
一少年兵の回想<浜田山>(木村三山)
吾が子の成長をとめられるものなら!(大塚利曽子)
「戦争」もうひとつの顔<永福町>(佐久間兼次郎)
神田川に炎をさけて(中野美代子)
消えない二歳の記憶<和泉町>(千野民子)
国賊といわれても・・・・・・(森居愛子)
2 戦争下の子どもたち、そした学校
ほしがりません勝つまでは<杉七>
小型ポンプ一台あれば
要塞地帯「富津戦時疎開学園」への疎開
給食主任はリヤカー引いて<杉二>
きょうもカボチャ、あすもカボチャ<杉九>
杉三炎上(中根喜三)
むしろを下げて、ねそべって<杉三>
「余方」ぐらし<杉六>(露崎浅香)
山奥のそのまた山奥の分教場で(新堀寛己)
自分も泣きたい「むすめ」先生<若杉>(溝部瑛子)
三月十四日、天沼で<杉五>
私の学校、私の先生(三善晃)
線路はいいな<桃一>(澤地晃栄)
今日は高二、明日は桃三<高四>(中島正義)
まくらのダイズもひっぱりだして<高二>
戦争中の高井戸<高井戸中>
文集“こもろ”から<大宮>(小林亜星)
集団疎開のころ<大宮>
そのころ福祉施設では(東京家庭学校)
『過去30年間を想いおこして』(宮内亀美)
浅香先生のお話より<高三>
「学童集団疎開」から、四十年たって思うこと(保谷裕子)
英語教師が「東洋史」を 都立十中(西高)(早川利雄)
戦時「中学生日記」(山本直一郎)
和綴じの“建前”日記から 杉並高等家政(荻窪高)(林世志江)
太平洋戦争を道づれに-私の女学生史-<光塩女子学院>
表彰式は「おことわり」<城右学園>
“俘虜情報局”の看板が……<高千穂高商>
徴兵検査場でみたこと(林三朗)
閉じたパレット<女子美術>
校舎転用てんまつ記<東京女子大学>
“私立小学校廃止”に抗して
これぞ戦う小国民-区内少年団のスナップ-
宗教者受難のとき
資料 詳細目次あり