大隈侯八十五年史 第3巻
総説
大隈内閣の成立と世界大戦
日支及び日露の協約
内政上の成績と財政整理
理想主義の政治
大浦事件
円満辞職と私生活
文明協会の事業伸暢
自由批評家
最後
第9篇 大正初年より大隈内閣総辞職まで
大正維新と君が国民を警醒した声
明治天皇の崩御
哀悼の至情と国民への警告
西園寺内閣に忠告す
財政上桂内閣の反省を求む
大隈桂提携説の虚妄を打破る
憲政の不振を慨く
山本内閣に対する批評
大正初期に迎へた外客との歓晤
対米問題の考察
日米の紛争を解決するものは宗教の力か
日米双方の反省を促がす
米賓との交款
対支問題についての努力
ブライスを迎へて支那論を戦はす
袁世凱と孫逸仙
イギリスから齎された紫の菊花
ロシヤ新聞記者と日露観を語る
政界革新の使命を帯びた大隈内閣
山本内閣に対する厳正批判
国民政治の時代来れるを告ぐ
山本内閣の崩壊と元老会議
病中の井上馨蹶起して元老会議に臨む
井上と国事を談ず
内閣組織の大命を排す
大隈内閣の成立とその初会議
大隈内閣に対する期待と信頼
内閣の人々
国勢に励精す
第一及び第二臨時議会に於ける大隈内閣の精励
二十年振に議政壇上に起つ
大隈内閣の政綱
地方長官会議に於ける演説の要旨
非政友三派連合に力む
首相としての日常生活
第二臨時議会
議会に於ける応酬
大隈内閣の勝利と防務会議
多年国防会議を考究す
加州問題の顛末発表
世界の平和に貢献した対独宣戦と軍国議会
京阪旅行
大阪造幣局に於ける回顧談
各所に於ける講演
世界大戦起る
日英交渉と参戦
世界大戦に就ての声明
通商上から実業家に有力な暗示を与ふ
日独国交の断絶
対独宣戦の大詔
重大事局に善処した苦心
日英交渉顛末の真相
第三臨時議会
政友会の大隈内閣に対する挑戦
第三十五議会解散の光景とその重大意義
戦後に於ける財政上の施設
大隈内閣の新計画と防務会議の進行
施政方針の演説
増師問題と海軍拡張案
予算総会開かる
大決戦の日
議会解散!!!
老躯を提して南船北馬した総選挙戦の活劇
大隈内閣後援会の盛況
後援会席上に於ける演説
後援会の気勢昂る
応援演説
自由の神はこの一票に宿る
蓄音機に演説を吹込む
南船北馬
大阪に於ける演説と大なる反響
金沢の政戦
名古屋に於ける深夜の演説
横浜の政戦と与党への援助
大隈内閣の与党大勝
東洋平和の基礎を確保した日支条約の根本精神
問題となった日支条約
日支条約の必要と成立の由来
対支問題の根本解決
加藤高明の心事
加藤外相が日置大使に与へた訓令
支那側の不信
有力な欧米新聞の論調
大隈内閣の誠意と穏当な交渉
支那政府の背後に潜む英米の勢力
支那側の最後修正案
最後通牒を発す
支那始めてわが要求に従ふ
日支協約と日本の特殊利益
日支協約是非
アメリカの日本に対する嫉妬を一排す
日本は支那平和の保証人
内閣改造と第三十六議会前後の政界
第三十六議会
日支外交についての討議
反対党の策戦
大浦事件の真相
大浦内相の辞表提出
内閣の動静
内閣改造の大命を拝す
改造内閣成立の顛末
首相の心事
ロンドン宣言加入及び支那帝政延期の勧告
ロンドンから来た一通の暗号電報
ロンドン宣言の意義
袁世凱の野望とカイゼルの暗中飛躍
ロシヤの密告と日本の誠意ある勧告
策毒に倒れた袁世凱
即位大典と君の寿詞捧読
わが建国の大精神
皇室の恩寵
忠誠の心
東西国体の相違
無前の光栄
謹んで寿詞を捧読す
大典に列した所感
始終至誠一貫して奉仕
御前講話
議政壇上に風雲を捲起した第三十七議会の論戦
財界に於ける変化と不安
財界安定の方策協議
財政の根本方針を確立す
第三十七議会
選挙干渉の質問に答ふ
外交上の重要事についての弁明
騒然たる議場
危難を免る
議会の成績
日露協約の成功と内閣総辞職の真相
軌制調査
理化学研究所設立について尽力す
学術尊重
日露の接近
協約の内容と効果
円満辞職の真相
内閣総辞職
早稲田大学創立三十年祝典
雨中式場を埋めた三万の会衆
早稲田大学の隆運
第10篇 挂冠後より薨去まで
故山の風光を仰いだ晩年の帰郷
祖先の墳墓修理
四年振の帰省
盛大な法要
官民合同の歓迎宴
平ヶ里村民の厚情
厳島詣
帰郷後の所感
第一回の大患と其全快寿宴
女子大学に於ける八十の壽福
重病に罹る
病気軽快に向ふ
紅葉館に於ける病気全快の賀宴
世界改造期に於ける知名外客の来訪
老練な社交振
思はぬ失敗
『アウトルック』記者メエソンを一擒一縦す
日本の国性国体を闡明す
元老論と国際連盟談義
世界大戦の得失を論ず
ロシヤ国民に対する同情
世界改造の諸問題に就て米人を説伏す
支那の徐樹錚来る
ウラルの同教徒と語る
印度暹羅の珍客
アメリカ観光団に教ふ
自由批評家としての内政外交批判
内政批判と戦後諸問題の考察
労働と実生活に就て一般に警告す
原内閣の政策を痛撃す
国防問題の前途
永久平和へ到るべき道
平和会議の失敗とその批判
人種平等案の否決を難ず
ワシントン会議に処すべき方策
日英同盟の支持者
戦後のヨオロッパに対する観測
文化運動の第一核心-時局問題研究
最初の時局問題研究会
異常な熱心
労働問題の新解釈
ドイツの戦敗について語る
最後の挨拶
月一回の開始
処世経国についての教訓
文化運動の第二核心-教化的国家論
早稲田邸に於ける諸学者の会合
世界的窮厄を救ふの道
日本が重大時期に処すべき方法
教化の意義
新教育制度の提唱
小学教育を重視す
教育上の機会均等と新教科書編述
老健な一学徒として東西文明思潮研究
学問に対する熱意
書斎生活の半日
東西文明調和の可能に対する断案
東方文明を高調す
『東西文明の調和』
東西文明の特徴を明かにす
支那道徳の主潮研究
儒教と基教との比較
ドイツ文化輸人策
発病前後から危篤に陥るまで
多忙な日常
生活改善説の高調と文士招待
旧主鍋島直大の薨去を悼む
大患に悩む
衰弱日毎に加はる
全国の人々一斉に君の病を憂ふ
病中寸時も皇恩を忘れず
病中の日常生活
文明協会及び大学の後事を託す
悲しき大晦日と元旦
薨去及び国民葬の盛儀
内外の人々君の平癒を祈る
皇恩優渥を感謝しつゝ大往生を遂ぐ
哀愁に閉された早稲田
内外の新聞何れも敬弔の意を表す
国民葬に決す
陛下より誄詞を賜はる
最後の通夜と告別祭
日比谷の国民葬
一路護国寺へ
佐賀に於ける県民葬
追悼会と記念の大燈篭
外人の敬弔辞
薨後の早稲田と一年祭の執行
晩年に於ける天下一品と称せられた座談―その三著述
至境に入れる座談
昔日譚を始めた動機
座談に妙味を添へた諸因
独自の表現
複雑な事象を単純化す
変化の妙風刺の妙
巧妙な見方と愛嬌
多方面に亘る話題
精確周到な知見
晩年の文化事業(上)
学生の諸会合に出席す
早稲田大学の拡張運動
文明協会と女子大学
日印協会の発展
各団体に対する尽力
同仁会の顕著な成功
飛行協会会長となる
晩年の文化事業(下)
百歳祭の指導
宗教事業に対する同情
『開国大勢史』の公刊
雑誌『大観』を主宰す
家庭生活(上)
大隈家の美しい家風
規律ある生活
入浴と晩餐
娯楽のいろいろと園芸
菊花栽培に対する熱心
花談に半日を費やす
菜園めぐりと果樹の栽培
外人の嘆賞
養鶏改善に志す
囲碁、読書、散策
健康法と接客
平生の笑顔と家族に対する愛情
別荘生活
軽井沢の別邸に於ける生活
山水の趣味
瓢箪、茶器の蒐集
使用人に対する温情
家庭生活(下)
母堂の生涯
母堂の徳行
喜の字の祝と無比の長寿
夫人の生涯
夫人の家政振と社交の用意
夫人の至孝とその趣味
夫人の逸話その他
写真目次あり