大隈侯八十五年史 第2巻
総説
改進党の創立と輿論指導
条約改正事業に全心を集注す
松隈内閣に於ける功績
憲政党内閣時代
文化運動の先駆
第5篇 十四年政変後より廿二年遭難まで
政界の黎明を促した改進党の組織
政党勃興の新機運
イギリス政治思潮と改進党の特色
改進党の結党式
政見発表の嚆矢
東京専門学校を創立した頃
民間高等教育の先駆
学理と実用との調和
学校に対する
絶え間なき迫害
政党興亡の危機
薩長政府の民党抑圧
政社としての認可を受く
民党合同難と政府の術策
君を陥れんとした政敵の呪詛
自由党を利用した政府の行動
君に加へた不当の非難
世の不景気に伴ふ政党の衰凋
外相就任と条約改正の大難関
時勢は君の蹶起を求む
新外相就任に対する期待
失敗を重ねた条約改正の歴史
慎重周密な考慮
条約改正についての英断と無比の努力
条約改正についての苦心及び卓識
旧改正案と新改正案
正を乗って動かぬ態度
各国公使との接衝
海外新聞の論調と反対派の策略
世論沸騰に伴ふ政界空前の大波瀾
烈しい論争を起した言論戦
外人帰化問題
反対派の包囲攻撃
正々堂々の陣を張る
殺気立つた遭難前後
動揺不安の空気と政敵の暗中飛躍
御前会議の光景
悲壮な禍の日
外相官邸の大混雑
負傷癒えて天顔を拝す
黒田内閣に於ける隠れた功績
第6篇 遭難後より憲政党内閣総辞職まで
苦節に殉じた民党の指導者
改進党の活動
自由改進両党の接近
強硬な改進党の態度
第五議会に於ける善戦
日清戦争時代に於ける隠れた功労
挙国一致の提唱
戦時の対策と予断
夙に欧州列強の干渉を憂ふ・・
日英同盟実施の先駆
松隈内閣の成立に伴ふ新意義
戦後経営と伊隈接近の風説
薩長二派の消長と政界の新形勢
松隈提携の事情
新外相に対する一般の好感
政綱発表についての閣議
内政外交刷新の一端
議政壇上に於ける君の処女演説と第十議会の成績
議会に於ける雄姿
立憲大臣の風格
『二十六世紀』事件と言論界の風潮
新聞発行停止権の撤廃
問題となったハワイ事件
外交上の新見地及び新施設
ハワイ問題を起した移民争議
米布合併と日米交渉
正当適切な処置
新旧勢力の衝突による松隈内閣の分裂
農商務省の改革
足尾鉱毒事件に対する厳令
新人材の登庸
薩派大臣の一失
外相の地位を去った事情
憲政党内閣出現の事情
民党合同の趨勢及び其の実現
同志懇親会と隈板提携
伊藤博文の決心
五月雨の夜に於ける国事談合
新内閣生る
内政及び外交の一新
憲政党内閣の抱負
外政上の新方針
支那に対する誠実
絶間なき内訌から急激の瓦解へ
種々の内紛
就官問題
共和演説問題の波瀾
争点となった文相の椅子
山縣派を枢軸とする内閣破壊運動
第7篇 憲政党分裂後より日露戦争前後まで
民党を風靡した地租増徴反対運動
民党の総大将としての奮闘
政府の不法な圧迫
地方誘説とその反響
地方文化の開発に資した演説振
政界の新機運に先駆して憲政本党総理となる
支那の内乱に対する解釈
支那保全説の高調
政友会の誕生と憲政本党の対抗策
祖先菅公に対する政治的同情
白河楽翁の不遇と北野縁起の由来
政界の分野を縦断した伊隈聯合
伊藤内閣の増税案
気焔縦横の時局談
憲政本党の新陣容
日英同盟の成立
歳晩寒灯の下に語る
政界の二偉人
伊隈提携と憲政本党の主張
行詰った桂内閣の苦戦
早稲田邸の火事
日露開戦前に於ける輿論指導と国運将来の予言
日露国交の危機
伊藤と桂との妥協
対露問題の勃興
重大時局に対する暗示と予言
恐露病を排して日露開戦の必然性を説く
日露戦争と国民的代表者としての功績(上)
憲政本党大会の宣言
卓越した時局観
日露関係の考察
欧米列強の向背に関する予察
戦時外交及び財政上の要義
ロシヤの運命を予言す
講和条件に対する希望
日露戦争と国民的指導者としての功績(下)
国民の努力を促す
日本勝利の原因究明
大隈ドクトリンと対支外交
日英同盟拡張の提唱
日英交驩
米国政治家ブライアンの来訪
君が遥かにウヰツテに呼びかけた声
日露戦争の重大時局と憲政本党総理辞任
日露戦争から明治季年に至る迄の国勢
西園寺内閣に対する公正な批評
告別の辞
党員の謝恩会
対米問題の難関と平和の高調
多忙な充実生活
太平洋の波
対米問題と誤電事件
君の公正な見解
君がタフトに贈った平和の言葉
大統領ルウズヱ゛ルトの反省を促す
日米外交の要諦・・
外交史上に重大な役目を演じた無冠の外相
外人が君から得た第一印象
花の話から始まる国民外交
君と英国偉人ブウスとの握手
外客早稲田に雲集す
無冠の英国外相チロオルと重要問題を語る
露独の名士と時事を談ず
君の平和精神に心服したカアン及びシイマン
文豪ハアンの来訪
外人の元老に対する疑を解く
早稲田に来た支那の人々
支那憲政開発に資した事蹟
日仏国交に対する尽力と平和会議への要望
第8篇 文化運動の時代
早稲田大学総長としての新生活
天杯を賜った光栄
早稲田大学開校と二十週年祝典
荘厳を極めた総長推戴式
銅像除幕式及び二十五週年祝典
支那留学生指導
明治天皇より早稲田大学へ与へられた恩賜金
一万の学徒を風化した師父の典型
憲法発布二十年記念式の盛観
支那留学生に対する訓示
春の初春にちなむ慈訓
今上陛下の行幸を仰ぎ得た空前の光栄
鶴駕を早稲田大学に迎ふ
困難を極めた南極探検事業の後援
君の学術尊重と探検事業に於ける興味
早稲田邸に開かれた告別式
隊員の出発と冒険の努力
第二次計画の苦心
探検隊の帰朝とその学術上の収穫
文化運動としての講演旅行及び著述(上)
一挙手一投足悉く文化運動
旅行に於ける特殊事情と時間活用
講演に見る特色と質素を喜ぶ風
高崎に於ける講演
静岡及び名古屋へ
水戸行と教育上の新講演
少年少女に与えた修身訓
文化運動としての講演旅行及び著述(中)
井伊銅像除幕式に於ける感慨
三河地方に於ける文化運動
叡山に登る
阪神地方の文化運動及び高野詣
山上の獅子吼
文化運動としての講演旅行及び著述(下)
労資協調の精神を説く
岡山地方の文化運動
東北行
軍隊に対する寸鉄的訓辞
山陰めぐり
奇警な演説聴衆を驚かす
長野に於ける文化活動
貧児を慰撫す
『開国五十年史』の編著とその苦心
著書に対する反響
『国民読本』の撰著と成功
雑誌『新日本』の創刊と君の警世的所論
明治末年の外交及び内政に於ける貢献
明治末期に於ける内外多難
対米問題についての尽力
ジョルダンを迎へて平和を談ず
外交問題に対する厳正批評
対支問題に於ける熱意と先見
支那有力者の来訪
朝鮮問題についての見解
内政に対する厳正批判
財界に対する適切な指導
伊藤博文の死と最後の歓会
各種の文化事業(上)
君が熱心に指導した公共事業
国民知識の向上を主眼とした文明協会の誕生及び発展
女子大学及び同志社大学に対する尽力
早稲田中学及び早稲田実業学校の創立
日印親善に力む
同仁会に対する指導
各種の文化事業(下)
平和協会の首脳者
海の内外に呼びかけた大平和の叫声
文芸事業に対する保護及び奨励
救世軍及び軍人講演事業に於ける助力
軍人間に平和の福音を伝ふ
大出版事業に対する特別の声援
写真目次あり