日本の歴史 2
- サブタイトル
- 古代国家の成立
- 編著者名
- /直木 孝次郎 著者
- 出版者
- 中央公論社
- 出版年月
- 1965年(昭和40年)3月
- 大きさ(縦×横)cm
- 18×
- ページ
- 422p 図版1枚
- ISBN
- NDC(分類)
- 210.1
- 請求記号
- C210.1/N71/2
- 保管場所
- 地下書庫中公新社
- 内容注記
- 年表:p414-417 折り込図1枚
- 昭和館デジタルアーカイブ
新王朝の出発
ふるさとの飛鳥
飛鳥と皇都
磐余の宮
動乱の三十年
地方勢力の進出
国際関係の変化
朝廷の対応策
天皇専制か豪族連合か
保守派物部氏の没落
物部氏の伝承
物部氏の職掌
敏達天皇没後の対立
蘇我・物部対決
物部守屋の敗死
推古女帝
崇峻天皇の即位
崇峻朝の政治
不発に終わった任那遠征
殺された天皇
最初の女帝
女帝は皇后から
女帝の条件
天皇家の近親婚
天皇は政治をしないか
天皇不執政論と天皇機関説
聖徳太子の立場
聖徳太子の出生
聖徳太子と蘇我馬子
新羅征討
来目皇子の遠征軍
朝鮮の使者
冠位十二階の制
官位と五行思想
十七条憲法はだれの作か
太子の政治感覚
太子、斑鳩に移る
地方制度のしくみ
日出ずる国からの使者
煬帝怒る
多利思比孤の使い
船と航海
隋の使いがきた
難波の津いよいよ都入り
その後の遣隋使
隋から見た日本
「天皇」のはじめ
「日本」の名はいつからか
歴史の編纂と日本紀元
いかるがの大寺
斑鳩宮の発見
太子と仏教
法隆寺はだれが建てたのか
若草伽藍と法隆寺論争
法隆寺二寺説
若草伽藍の調査
法隆寺論争は終わった
『三経義疏』の著者
中宮寺を訪ねる
太子の信仰と天寿国曼茶羅
太子の墓
クーデター前夜
晩年の馬子
舒明即位の争い
新時代への動き
百済宮と百済寺
蘇我入鹿の登場
天皇に挑戦する入鹿
斑鳩宮の戦い
中大兄皇子の不安
鎌足の策謀
改新断行
暗殺計画
クーデター決行
新政府の成立
新政府の基本方針
新政の開始
五つの法令
改新詔は信用できるか
改新詔の原文
地方の情勢
新政の進行
改新の成果をどう考えるか
難波の都
蘇我石川麻呂の変
大臣と冠位
白い雉と天皇
難波宮
長柄豊崎宮の所在
重なる辛苦
発見のよろこび
さかえる難波宮
悲劇の皇子
太子、大和へ帰る
中大兄皇子と間人皇后
有間皇子と皇位
斉明朝の暗い影
大土木工事
狂気の皇子
中大兄皇子の不安
謀反の計画
有間皇子の死
蝦夷征討と百済救援
初期の蝦夷対策
蝦夷はアイヌか
阿倍比羅夫の遠征
比羅夫はどこまで北進したか
第二回めの遠征
百済危うし
難波から筑紫へ
斉明天皇の急逝
救援軍の派遣
白村江の戦い
額田女王と近江朝廷
中大兄皇子と大海人皇子
額田女王の特殊性
額田女王のおいたち
政権たてなおしの方策
新冠位の制定
氏族対策
第三の法令-部民の復活
九州防衛-防人と水城
緊張つづく
間人皇女の死と遷都
近江遷都の理由
天智天皇の心配と決意
庚午年籍
「近江令」は存在したか
大津宮のさかえ
歌人額田女王
壬申の乱
不和のあらわれ
天智天皇の迷い
大友皇子の才能
直系皇位相続法
新首脳部の成立
大政官政治の原型
大海人皇子の出家
天智天皇の死
大友皇子は即位したか
大海人皇子の挙兵
立ちおくれた近江側
大津京陥落
乱の原因はなにか
民衆の不満と地方豪族
その他の諸勢力
「大君は神にしませば」
浄御原宮
天皇と乱の功臣
皇親政治
不満をもつ皇族
「政の要は軍事」
兵制の発達
伊勢神宮の歴史
天武朝の宗教政策
国史編纂と八色の姓
官制の充実
「飛鳥浄御原律令」の編集
二上山の歎き
天武の皇子たち
吉野のちかい
草壁皇子と大津皇子
漢の高祖と赤い鳥
呂后と鵜乃野后
スパイ戦術
追いつめられた大津皇子
大津の死と姉のなげき
持統天皇の即位
藤原宮のさかえ
「飛鳥浄御原令」の施行
中央官制の設備
藤原京の造営
薬師寺創建
薬師寺論争の問題点
硬骨漢、三輪高市麻呂
柿本人麻呂の登場
人麻呂の行く道
藤原の朝廷と貴族たち
持統天皇の譲位
年表
索引
付図
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