新聞薈叢
序に代へて(明治文化研究会同人一同)
解題(尾佐竹猛)
巻1 乙丑冬月為始
序言(柳河春蔭)
乙丑十月朝廷え御差出の御書付
十月九日於西城御達の趣
十月十四日於西城御達の趣
京師書翰中抄写日表
丑十月七日兵庫港え碇泊外国船へ御渡し相成候開港 勅許の御書付
丑十月十三日神奈川より来る
丑十月八日水野和泉守殿御渡候御書付写
和泉守殿御渡十六日朝
同断
丑九月下旬薩藩より京師へ建白書写
風海情申渡
摂海え渡来の仏国より差出候書翰(レオンロセフ)
口達書
横浜来書中異人の説話
和蘭〓西周〓報告
高杉新作と云者の詩
長州八ヶ条答
長防所置候儀に付幕府より御建白有之候処再度天朝より御沙汰写
別段従天朝御沙汰書
三月廿日出浪華書状の大意抄写
寅正月紀州より建白
宍戸備前介芸州藩え差出候書付左の通
勅書
再度従天朝御沙汰書
別段天朝御沙汰写
寅正月廿九日付二月八日来着浪華密談
薩州重臣より幕府え建白書
寅三月十九日召捕相成候者
あづまより〔和歌〕
紀藩廻達写
紀藩の者より柳河へ文通の写
従浪華来状の写
四月五日周防守殿御渡し
同月八日〔同〕
六月十二日附大坂表より差越候書状中書跋
大坂当月十八日出来状の写
江川太郎左衛門支配下の者よりの文通
六月廿八日陸軍方の咄
紀州殿御家来え御使番松浦弥五左衛門より来翰の写大島炮発承書
中国筆報
六月十九日伯耆守殿より紀伊殿御城附え
六月八日大坂に於て差出候
紀藩某より来る浪華信報抄写
七月十一日出横浜在留馬岡源十郎よりの書翰左の通
七月十五日或人の文通に
御持小筒組谷中七郎右衛門芸州大野村より六月廿五日出書状写
七月七日着坂芸州表高尾宗十郎よりの書状写
覚〔六月五日御討入に可相成候所〕
覚〔六月十七日小倉表へ長防騎兵隊〕
伊賀守殿御渡
中国筋戦争に付討死の姓名
六月十九日大島戦争の節分捕の品
七月二十五日河内守殿御渡
尾州候建白
越前春嶽公建白
宮津侯より御届
御所より御沙汰
七月五日閣老板倉侯より諸藩討手の留守居御呼出の御達し御渡の書付写
大坂表より書状抄録
浪華よりの文通に
七月廿日長崎出状七月晦日着
回状〔七月廿二日〕
雲藩回達
浜田侯より御返答
七月〔三日暁七ツ時頃長勢小倉領内裏辺え軍艦四艘にて〕
七月十八日細川侯家来より言上書
備前侯より再度御達
鍋島侯より御達
長州末家より芸州へ差越候書面写
長州奇兵隊より井伊榊原陣所送来書面写
七月十六日廿日市書面写
薩州御届書京師え差出
七月廿二日御達
大監察塚原但馬守殿演話英仏情実聞取書
紀伊侯布告
御所より被仰出の御書付写
福山藩某書翰抄書
伯州より被相渡候書付
巻2丙寅八月始
順天録
作者不詳夢の評
芸地新報
浪華大風雨
美濃守殿御渡御書付
覚〔今般遊撃隊被仰付候〕
浪華より文通
御役替
伊賀守殿御渡し
七月廿五日福山御届書
寅七月因州侯家中へ触達
壱岐守殿より
浜田侯より御届書
雲州末家広瀬より御届書
長防士民中より雲州侯御家老へ送檄文写
近国并両敬等の諸藩へ同断
小倉え御達の覚
七月廿一日広島町触
宇和島侯より御達書写
阿州備前芸州三藩連書建白
七月廿五日美濃守殿御渡
七月廿六日水野出羽守様より御達書諸藩討手の面々へ
七月廿六日稲葉侯より御渡
或る書翰中〔西筋も兎角不妙なる事〕
八月十二日於大坂表中津侯より御届
京師密報会藩秘話
伊東長春院よりの書翰
京坂周旋方往復写
酒井若狭守様より御案内牧野豊前守様へ来る別紙写
越前藩瓜生三寅直話
京師書翰大略
八月十六日新大君御上書
寅六月毛利大膳大夫父子罪状左の通
寅五月廿九日於広島表伯耆守え差出す
寅四月於大坂表芸州建白
同侯再建白
寅正月一橋公御建白
申聞覚〔紀伊公為惣督既に大軍を率ひ我境上に被望候〕
薩州へ長藩より差出候書付
一橋中納言殿御参内被為済候に付御達
山科宮へ薩州より申立候五ケ条
兵庫神戸灘大水
八月五日仮建ゝゝゝえ留守居被召被伝達候趣
所司代より伝奏へ御達
九月二日於大坂表御渡
富士山御船日記抜書
在芸紀藩の士より書簡中
八月十四日於芸地紀州侯より諸藩へ御下けに相成り候御書取写
井伊侯答書
榊原侯答書
脇坂侯答書
明石藩士の答
八月天朝より紀伊侯へ御沙汰の写
備前侯藩中へ御達の趣
九月二日大坂来書に曰
備前侯自筆建白の写
九月十八日或人よりの文通〔上方状到着京坂の模様おもしろからず〕
南瓜論(作者不詳)
八月晦日夕於芸州表出羽守殿御達
京師風説
津山侯御達写
寅九月五日朝大坂ざこば丁下の橋辺張紙の写
八月廿八日小倉侯へ御達覚
外国へ学芸修行罷越度相願候者名前書
泰平論
寅七月下旬坂地於て会藩大野英馬淀閣老へ申立議論の大意
七月廿七日京地今出川町役人を芸州邸え呼相渡候書付
寅七月薩州侯父子建白
寅八月芸州侯建白
寅七月高田侯建白
寅八月七日長賊より高田侯陣所え差出候書面左の通り
寅八月三日於大坂表美濃守殿え被差出
九月四日御勝手御用番周防守様え差出
九月廿六日京都発開木所書記方木寺籌太郎書翰に
八月廿一日二条殿外へ張紙の写
巷説
演舌の事
寅九月京師来翰
前一橋中納言殿諸侯え於大坂被御渡写
寅八月芸州侯藩士達命
仏蘭西公使より長州え差贈候書翰訳文
能勢大隅守より各国コンシュルへ差遣候書翰写
丙寅六月廿五日夜仏蘭西ミニストル応接大意
八月廿八日小倉表戦争中津藩探索方より差越候模様書
越前老公建白写
本月八日附京師市川斎宮より加藤弘蔵えの書状別紙写〔公務の略記〕
同地西周助より加藤弘蔵えの書状写
寅八月檄文
寅九月奥平大膳太夫様より御届
長州より差出候口上書写
挨拶振
十一月朔日一閣老の藩士より文通中に〔今般弥廃甲〕
両伝奏雑掌より達の写
十月廿八日京師文通の内
和宮様より御詠三首
天璋院様の御詠七種
京師新報
市川西十一月十六日出京師報告大略
寅十月廿三日於紫宸殿御香の間関白殿下御執達
十月廿八日於御茶座敷上意
丙寅十月小倉表風説
所司代より伝奏え達写
備前侯より黄門公え被差出候書写
臘月廿七日着赤城書抜
雲州侯伺書写
十二月十九日夜於和州郡山敵討
民部公一子仏行
巻3
仏蘭西人外国局に贈る書翰
薩摩琉球国主の報奨金〔図版〕
京師探索書
五月上旬着京師密信抄写
丁卯十月十四日被仰上の御書面写〔或探索家より借り候書面の写〕
卯十月十八日京便着の内
檄文〔大丈夫誰か国家を泰山の〕
卯十月紀邸において諸家留守居え為読聞候書付写
千八百六十七年第十一月四日江戸にて(ポルスブルック)
丁卯十月廿二日三田侯御家中え達写
卯十二月十六日於浪華城外国公使御応対え書取
無題〔王自尊矣〕(半林下人真一翁)
大槻盤渓翁のよし〔可也非耶可也非〕
正月九日着浪華書状写
或る糖商の報告
正月五日関宿より出たる書状
又同日出の書翰
辰正月十日美濃守殿御渡
武家の目覚(田島貫道)
陸軍奉行より借写
辰正月十日昼時過着大坂報告
正月十一日営中おゐて聞取書〔浪華報告大意〕
別報の内抄録
阿部美作守え
阿部美作守家来え達の覚
慶応三丁卯十二月朝廷え献白
長征の儀に付差出候建白書〔武内孫介〕
天朝え御届〔尾張前大納言越前老侯〕
当今治定之文
正月十四日朝密報
尾藩より到来正月三日着便にて御家中え御触達の写
京師にて御触写
駿府より来場写
巻四
戊辰正月中旬会議之記開成所
会議日記正月十三日
十四日
正月十三日美濃守殿より内々御尋に付不取敢相認差出候建白書草稿(柳河春三)
今日席上私論(阿部甚四郎,三雲理兵衛)
会議に付至極の急務二ヶ条(藤野善蔵)
会議の要領
見込書(名取平四郎)
土井大炊頭藩一同の見込(赤見貞)
会議法則案(神田孝平)
会議法の愚按(加藤弘蔵)
挿図色刷三葉
校訂につきて(神代種亮)