私のメモアール
- サブタイトル
- 霞ヶ関から永田町へ
- 編著者名
- 曽祢 益 著者
- 出版者
- 曽祢益
- 出版年月
- 1974年(昭和49年)5月
- 大きさ(縦×横)cm
- 20×
- ページ
- 274p 図版4p
- ISBN
- NDC(分類)
- 289
- 請求記号
- C289/So42
- 保管場所
- 地下書庫中公新社
- 内容注記
- 年譜:p264-274 著者の肖像あり
- 昭和館デジタルアーカイブ
口絵
まえがき
外交官をめざして
号外!日韓併合
青山師範付属小学校へ入学
父母のこと
そして兄弟
天下の一中
一高入学、フランス語を選ぶ
大正デモクラシー
名講義と「高文試験」
関東大震災
外務省書記生
月給八十五円で外務書記生に
短期現役兵として入隊
特権利用で坊主刈を免れる
パリへ
官ポッポにパリ退去命令
ノラ・シェルディネスク旗
夜はカフェーに日参
大使秘書に
満州事変ぼっ発
上海で軍部と抗争
アジア局第一課
現地で中国問題に取組む
盧溝橋事件、大使動かず
戦争拡大
日中戦争泥沼に入る
やっかいな問題を一人で
汪兆銘政権誕生
上海を離れる
企画院へ派遣
軍の動きをチェック
辞表を叩きつけて企画院を去る
再び上海へ
岡崎上海市参事会議長就任
太平洋戦争に突入
軍人と喧嘩の連続
無条件降伏への道
帰国、政務局第二課長に
無条件降伏への道
最高戦争指導会議へ参画
ソ連に斡旋を求める
ソ連、連合国側に立つ
天皇の一声、ポツダム宣言受諾
苦労した国民への伝達
サブジェクト ツーの訳し方
御前会議、そして玉音放送
戦後の民主化政策
終戦、マッカーサー来日
吉田茂外務大臣登場
天皇陛下、マッカーサーを訪問
治安維持法の撤廃
亡命のビルマ・バーモ元首
総司令部と公職追放
戦後第一回の総選挙
鳩山一郎組閣前に追放
西尾氏との出会い
片山連立内閣誕生
平野力三氏の追放問題
財閥解体
警察制度の改革
片山内閣から芦田内閣に
はじめての浪人生活
衆議院立候補を断念
参議院議員へ
神奈川地方区から参議院へ
代表演説で吉田総理に一太刀
朝鮮戦争、党内左右の論争激化
社会党大会で左派優位に
社会党左右に分裂
左右統一への気運
独壇場の国際活動
三国社会党代表と合同会議
右社、アジア社会党会議をリード
右社国際局長に選ばる
超党派議員団に加わり中国訪問
左右社会党統一への気運
労働戦線の分裂
左右統一交渉に入る
統一の準備整う
統一から再分裂へ
統一社会党順調にスタート
ダレス国務長官と対決
再び北京を訪問
国旗事件で中国硬化
「日中共同の敵」―浅沼書記長の勇み足
鳩山内閣と日ソ交渉
日ソ共同宣言
階級政党か大衆政党か、分裂の危機
民社党の結党
新党の結成
西尾委員長、曽祢書記長
日米安保条約成立
総選挙で民社党惨敗
党大会で外交委員長になる
参議院から衆議院へ
寝耳に水、西尾委員長退陣
演説集
年譜
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