関東電信電話百年史 中
例言
総目次
1 東京地方
口絵
あらまし
電信はじまる(明治12~35年)
織物の町・八王子
八王子に電信開通
甲府鉄道の開通
電信,各地に伸びる
電話はじまる(明治36年~大正15年)
電話も八王子がトップ
活発な明治末期から大正時代
関東大震災と電信電話
電話網拡大す(昭和2~15年)
11年までに主要局の交換出そろう
大島-内地間で“モシモシ”
皇室と電信電話
戦争から戦後へ(昭和16~23年)
国分寺は共電,吉祥寺は自動に
空襲下の都下
島に関する明暗二つのできごと
駐留軍と電話
地方通信部の誕生と発展(昭和24~33年)
置き去りにされた電通省時代
なかなか出ない市外電話
青ヶ島に電話通じる
無電話部落を解消
伸びる有線放送
地域社会の発展とともに(昭和33~41年)
府中局がクロスバ改式
電話新料金の先行と電報中継機械化
自動化急ピッチ
全国とダイヤルで結ぶ(昭和39~41年)
東京オリンピックに活躍
全国自動即時網に編入
災害と職員の奮闘
東京の無線の歩み
わが国初の中央集中方式完成
気象無線電信放送の開始
VHF中継所の創設
駐留軍専用マイクロ回線の保守
マイクロとなった市外電話回線
オリンピックとテレビ中継センター
マイクロの発展と自即網の拡大
市外電話回線の歩み
裸線・装荷ケーブル時代
無装荷方式の開発と発達
無装荷時代のできごと
無装荷時代の新技術
同軸ケーブル伝送方式の導入
新東京統制電話中継所の発足
付録
局所の沿革
委託局サービス開始一覧
主要参考文献
資料提供者
2 神奈川
口絵
あらまし
電信のはじまり(明治2~3年)
わが国最初の電信線を神奈川県が建設
工部省設置で県から引き継ぐ
東京-長崎線,箱根八里を越す(明治4~18年)
神奈川宿から線路を測量
小田原に電信局設置
海軍の要望で横須賀に電信局
工部省長期計画による浦賀電信局
続いて開く電信局(明治19~45年)
鉄道とともに
箱根の山にも電信開通
剣崎に2等電信局
電報の遅延,誤びゅうに非難おこる
電話のはじまり(明治10~23年)
横浜の電話は警察から
電話事業の創始
横浜の電話利用急増す
全国トップで特設電話(明治24~45年)
遊覧・別荘地に電話つく
各地にぞくぞくと電話架設
京浜工業地帯と電信電話(明治41~大正12年)
鶴見・川崎海岸の埋立て
臨海工業地帯の形成
京浜工業地帯の通信
電話,県内にひろまる(大正4~12年)
横浜に分局開始
電話,各地に開通
関東大震災おこる(大正12年)
9月1日午前11時58分
各地の被害状況
各地から応援きたる
再開した通信
横浜にわが国最初のH形自動交換機(大正13~昭和11年)
横浜電話の自動交換
隣接都市の自動化とサービスの拡張
日華事変下の電信電話(昭和2~15年)
取扱機関が大幅に拡大
電信電話も軍需優先
藤沢地区で電信区統合
戦争完遂がすべての目標(昭和16~20年)
軍需用への体制を整える
軍需に押された電報
対伊豆諸島無線通信固定局の移管
各地に空襲しきり
終戦と進駐軍通信(昭和20~23年)
米軍,空から第一歩
土地,建物の軍接収
神奈川通信部・横浜中話で県下を統轄(昭和24~27年)
2省分離で新機構
藤沢の電話自動改式
船舶電話はじまる
東京市外局の行詰りに川崎局も一般
拡大する工業地帯と電話(昭和28年~)
京浜地区工業地帯
三浦半島新工業地帯
湘南工業地帯
電報サービスの改善(昭和30年~)
電信電話の総本山・横浜電電ビル
横浜に海岸局誕生
加入電話サービス
自動改式と農山村への普及(昭和28年~)
磁石式のまま直営化
箱根全山自動化
成長発展する横浜の電話
町村合併と無電話部落の救済
第10回国民体育大会
新技術と即時サービスの進展(昭和32年~)
足柄電話中継所の使命終わる
脚光浴びる双子無線中継所
東京オリンピックの通信
第2回東名同軸ケーブル開通
区間即時から全国即時へ
膨張する神奈川県(昭和34年~)
経営の合理化すすむ
鎌倉の火事,大船の水害
ようやく成った平塚の自動改式
相次ぐ拡張工事
付録
局所の沿革
委託局サービス開始一覧
主要参考文献
資料提供者
3 千葉
口絵
あらまし
電信はじまる(明治12~25年)
千葉電信分局の誕生
相ついで電信分局設置
電信網,県下をおおう
鉄道開通で電信促進
電話はじまる(明治36~45年)
官設以前の状況
はじめは通話事務のみ
交換第1号局は銚子
名士と一宮の電話
建設と保守のあらまし
電信・電話とも順調な発展(大正元~15年)
好景気で電報急増
船橋無線電信局の活躍
交換開始局ふえる
保守担当区域の推移
関東大震災と電信電話(大正12年)
房総半島の被害甚大
電信電話も大混乱
復旧工事と東京・横浜への応援
無線通信揺らんの地・銚子(明治33~昭和41年)
銚子無線電信局の誕生
関東大震災に大活躍
設備・業務の改善と拡大
南極観測に大きな役割
不況にめげず一歩前進(昭和2~15年)
検見川無線送信所を建設
千葉・銚子局が共電改式
太平洋戦争下の電信電話(昭和16~20年)
ひしめく陸・海・空軍
すすむ線路のケーブル化
大衆から離れた電信電話
千葉電気通信工事局が発足
空襲による各地の被害
戦災復旧から電気通信省発足まで(昭和20~24年)
悪条件下の戦災復旧
千葉工事局が新庁舎へ
電気通信省の発足
大和田局で多数共同電話の実験
戦前の遅れをとりもどす(昭和24~41年)
自動改式のトップ・市川局
本建築のはしり・舟橋局
地元協力による局舎建築2態
災害・障害とたたかう保守陣(昭和26~31年)
40年来の大暴風雨
障害多発の銚子ケーブル
金ヘン景気で電線の盗難激増
農山漁村に伸びる電話(昭和28~40年)
町村合併で交換統合
好評の農村公衆電話
地域団体加入電話は伸びなやむ
有線放送電話と公社線の接続
農村集団自動電話が登場
自動改式ひろがる(昭和32~41年)
債券引受けで改式促進
京葉臨海工業地帯造成で電話需要急増
内陸工業地帯と住宅団地
低開発地区と漁村都市
“観光千葉県”を一段と促進
電信電話の近代化すすむ(昭和36~41年)
加入電信はじまる
電報の中継機械化完了
東京オリンピック対策
全国即時網に編入
付録
局所の沿革
委託局サービス開始一覧
主要参考文献
資料提供者
4 埼玉
口絵
あらまし
電信はじまる(明治10~30年)
浦和・熊谷に電信分局
電信局の開設つづく
秩父事件と電報
電話の幕開く(明治30~41年)
まず私設電話登場
公衆用電話が開通
このころの電信
目ざましい明治末期の発展(昭和41~45年)
通話・交換開始急ピッチ
電話網,県下主要地にゆきわたる
大戦景気と大震災(大正元~15年)
川越付近で陸軍特別大演習
好況の波にのって
関東大震災
電信電話開始局,順調に増加
川口・浦和に自動局誕生(昭和2~11年)
経済恐慌のあらし吹く
本県初の自動改式
決戦体制下の電信電話(昭和12~20年)
電信電話も総動員
サービス維持に大奮闘
空襲と電信電話
敗戦から復興へ(昭和20~33年)
連合軍,本県に進駐
埼玉電気通信部発足
台風と職員の活躍
自動改式と即時通話すすむ(昭和29~41年)
同軸ケーブルと集線装置
マイクロも本県を通過
即時サービスはじまる
自動改式で即時通話のびる
各種サービスひろがる(昭和30~42年)
電報中継機械化と加入電信
集団住宅電話と団地自動電話
気象,時報,オリンピック
農山村にも積極的施策
付録
局所の沿革
委託局サービス開始一覧
主要参考文献
資料提供者