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関東電信電話百年史 下

サブタイトル1~10
編著者名
日本電信電話公社関東電気通信局 編者
出版者
電気通信協会
出版年月
1968年(昭和43年)3月
大きさ(縦×横)cm
29×
ページ
1002p
ISBN
NDC(分類)
694
請求記号
C694/N71/3
保管場所
地下書庫中公新社
内容注記
主要参考文献:p995
和書
目次

例言
総目次
1 茨城
口絵
あらまし
電信,水戸からはじまる
そのころの水戸と周辺
水戸電信分局誕生
10年の空白をへて電信大いに伸びる(明治22~45年)
電信開始あいつぐ
鉄道開通で電信取扱所が躍進
話題をひろう
電話のはじまり(明治31~45年)
先駆は保安用電話と日立の私設でんわ
特別大演習がもたらした交換開始
水戸の交換開始
電話ひろまる(明治41年~45年)
通話開始つづく
土浦の交換開始
電話大いに伸びる
電報激増,電話も躍進(大正元~15年)
第1次世界大戦での好況と通信
交換開始,全県下におよぶ
汽車の飛火から水戸大火
関東大震災おこる
不況と災害のなかに(昭和2年~19年)
大恐慌におそわれる
火災,雪害,水害
ツェッペリン号と無線連絡
施設の整備改善すすむ
太平洋戦争下にあって(昭和16年~20年)
電話の強制回収と公衆電話所の廃止
水戸に代位局おかる
被爆の惨状を現地に見る
戦後復旧に苦闘つづく(昭和20~25年)
再建の一歩をふみだす
復旧工事のなやみ
電気通信部総説(昭和24~29年)
そのころの直営局と委託局
水戸の電話,自動式となる
公社発足と現場の表情
電波の銀座通り筑波山(昭和27~33年)
ケーブルカーの復旧に一役買った中継所工事
電波でラッシュの山頂
山上勤務よもやまばなし
全国トップの水戸電報中継機械化(昭和28年)
全社の期待と注視をあつめて
要員訓練に大わらわ
現場の声あれこれ
苦闘のあとに
サービスすすむ(昭和30年~)
即時下は水戸を皮切りに
通信高速化の水戸
ホープの加入電信
すすむ市町村合併に即応
農山漁村にも電話伸びる(昭和31年~)
大きくひろがる有線放送
飛躍する農村公衆電話
地域団体加入電話も普及
農村集団自動電話登場
原子力と東海局(昭和35年)
原子力村として脚光あびる
東海局の直営化
自動改式ようやく各地へ(昭和33年~)
日立工業都市
中小産業地域
新産業都市と観光の水郷地帯
全国即時網に仲間入り
付録
局所の沿革
委託局サービス開始一覧
主要参考文献
資料提供者
2栃木
口絵
あらまし
明治7年2月宇都宮電信局誕生(明治7~19年)
そのころの栃木県
東京都トンツー開始
つづいて栃木・足利・日光で
鉄道とともに伸びた電信(明治20~34年)
東北本線建設の経緯
鉄道沿線の電信開始局
鉄道沿線外の電信開始局
宇都宮,県の中心に(明治17~34年)
県庁移転の攻防戦
初の市制施行と師団の設置
宇都宮郵便局,3県を管理
待望の電話がつく(明治35~39年)
先べんは足尾の銅山電話
日光で交換第一声
宇都宮は普通電話で
電話網,全県にひろがる(明治40~45年)
機業地を走る電話線
促進剤となった陸軍大演習
主要地にゆきわたる
停滞ぎみの大正時代(大正元~15年)
大正時代の栃木県
伸びなやむ電信電話
深刻でのんびりの現場
関東大震災に活躍
宇都宮の電話が自動改式(昭和2~11年)
恐慌で明けた昭和
電信電話も大打撃
県下初の宇都宮局の自動化
新技術と小山送信所
戦争の試練に耐えて(昭和12~20年)
強化される軍事色
現場の決戦体制
御用邸と電話①(戦前の部)
お役人から公社員に(昭和20~27年)
混乱と手さぐりの戦後
消化不良の電通省機構
再建へ本格的スタート
近代化をめざして-第1次5ヵ年計画期-(昭和28~32年度)
すすむ直営化と改式
マイクロが開通
宇都宮の電報中継機械化成る
御用邸と②電話(戦後の部)
自動化・即時化急ピッチ-第2次5ヵ年計画期-(昭和33~37年度)
5局があいついで自動改式
即時網,県外におよぶ
新サービスもぞくぞく実施
全国と直結する電話-第3次5ヵ年計画期-(昭和38年度~)
全直営局の自動化完了
全国自即網の仲間入り
農山村対策にも力こぶ
電話の現状と展望
付録
局所の沿革
委託局サービス開始一覧
主要参考文献
資料提供者
3 群馬
口絵
あらまし
電信のはじまり(明治10~18年)
高崎・前橋で同時に開局
生糸が開いた電信分局
電信の発展(明治19~35年)
管理機関の誕生と郵便電信局
街道・鉄道ぞいにのびる電信線
電信アラカルト
電話のはじまり(明治17~41年)
最初の電話は官用から
交換開始は前橋から
明治の繁栄とともに(明治42~45年)
県内主要地のほとんどに交換局
普及発展する電信電話
電信ブームと電話の拡充(大正元~15年)
大戦景気で利用活発
前橋・高崎で直複交換
関東大震災に救援隊
経済恐慌で始まる昭和(昭和2~14年)
生命線蚕糸業は大打撃
満州事変はじまる
日華事変の拡大について
決戦体制下の電信電話(昭和15~20年)
戦争奉仕で電話も徴用
空襲による県下の被害
苦闘する戦後の復旧(昭和20~29年)
占領軍,ぞくぞくと本県に進駐
混乱から復興へ
新機構発足で復旧すすむ
クロスバと即時通話の開始(昭和30~32年)
高崎にクロスバ全国第1号
安中・倉賀野もクロスバ改式
上信越即時ルートの関門・高崎
前橋・高崎の手即を皮切りに
すすむ町村合併対策(昭和30~37年)
自動改式はひと休み
大わらわの交換区域合併
農山村にも普及する電話
建設のツチ音も高く(昭和38年~)
首都圏開発にせかれる電話
明るくなる農村
上州名物と保守
躍進する群馬(昭和40年~)
全国自即網に編入
新技術も採り入れて
付録
局所の沿革
委託局サービス開始一覧
主要参考文献
資料提供者
4 山梨
口絵
あらまし
電信はじまる
まず甲府で開始
電信線、西へ延びる
県下主要地に電信開通(明治15~37年)
5年間に7局
日清戦後は相ついで開設
電信運営の種々相
電話はじまる(明治34~40年)
待望の電話,甲府につく
翌年,甲府で交換開始
富士山に電話つく
激動する世相の中で(明治36~45年)
中央線開通の影響
宿命の水害とたたかう
のびる甲府の電話
地方の電話はおくれる
苦労の多い現場の人々
飛躍期にはいる(大正元~15年)
電信の利用増大
電話も大繁忙
地方の電話もようやく普及
突然おそった関東大震災
電信電話網,県下をおおう(昭和2~18年)
不況に流される電信電話
甲府の電話が自動改式
地元や個人負担で電信電話ひろがる
陸の孤島にも電話つく
日満ケーブル,県下を通る
決戦体制から戦後の整備まで(昭和18~27年)
決戦体制下の電信電話
甲府大空襲
戦後の苦難
相ついで新局誕生
新しいサービスを実施(昭和28~37年)
甲府の度数制実施に賛否両論
手動即時サービス始まる
クロスバ局も誕生
農山村対策もすすむ
発展はばむ風水害
開けゆく山梨県(昭和37年~)
すすむ自動改式
観光とともに歩む電信電話
農山村にも陽が当たる
全国自動即時網に編入
付録
局所の沿革
委託局サービス開始一覧
主要参考文献
資料提供者
編集を終わって