住友セメント八十年史
発刊にあたって(上村敏夫、今川彦二)
本史
歴史口絵
第1章 磐城セメントの創業(明治四十年~大正十二年)
会社設立の背景と経緯
明治時代のセメント業界
設立までの経緯
磐城セメントの設立
不況下での会社設立
創立委員長岩崎清七の生涯
四倉工業所の操業
本格的回転窯導入による工場建設
原石焼成法による操業
創業期の生産・販売と業績
生産・販売の状況
組織と就労状況
累損一掃と業績の向上
大戦景気による経営基盤の確立
第一次世界大戦下の好況
経営基盤の確立
第2章 積極経営による不況克服(大正十二年~昭和六年)
関東大震災後の業界の自主規制
震災と社長交代
第一次セメント連合会による自主規制
経営規模の拡大
日出セメントの合併
鈴木セメントの合併
七尾セメントへの投資
不況下の経営と業績
昭和恐慌下のセメント業界
不況克服の努力
業績と資金調達
第3章 統制下の業容拡大(昭和七~十六年)
満州事変後の業界と当社
業界の状況
工場設備の拡充強化
業界大手をめざして
戦時下の合併による拡大
戦時統制下の業界
富国セメント等の合併
企業整備による合併
統制下の業績
生産の状況
営業と輸出
業績と海外進出
第4章 太平洋戦争下の経営(昭和十六~二十年)
統制強化と経営の変容
太平洋戦争下のセメント業界
当社の経営体制
臨戦態勢下の生産と業績
軍需生産の進展
戦争末期の状況と業績の推移
第5章 戦後復興とともに(昭和二十~二十九年)
戦後の混乱から復興へ
終戦直後の状況と工場の分離
斎藤社長就任と自由競争時代
わが国最初の生コンクリート工場
戦後復興による業績の飛躍
生産規模の拡大
営業体制の整備拡充
業績・増資等の推移
浜松工場の建設と佐久間ダム
わが国最初の大型レポール式工場建設
工場の操業と佐久間ダムへの納入
第6章 高度経済成長期の躍進(昭和二十九~三十八年)
生産規模の拡大
高度経済成長期と生産設備の拡充
新鋭岐阜工場の誕生
採鉱部門の強化
販売体制の拡充と業績
販売体制の整備
関連製品部門の拡充
業績および組織・人事制度の整備
田村工場建設と住友グループとの接近
福島セメントの設立と田村工場の建設
福島セメントおよび住友石灰工業の合併
第7章 住友グループの一翼を担って(昭和三十八~四十五年)
住友セメントの発足
住友グループの傘下に
住友の事業精神を継いで
赤穂工場建設と秋芳鉱山開発
当社初の臨海工場の建設
秋芳鉱山の開発
彦根・多賀両工場の取得と生産規模の拡大
彦根・多賀両工場の取得
生産規模の拡大
営業の展開と業績
営業活動の展開
関連製品部門の販売と合理化
業績の推移
第8章 企業体質の強化をめざして(昭和四十五~四十九年)
経営体制の整備
古賀社長の就任と経営方針
生産設備の増強
営業体制の拡充
斎藤次郎前社長の社葬
経営改善総合対策と赤穂工場増設計画
経営改善総合対策要綱と業務改善
長期経営計画の策定と赤穂工場増設計画
業績・資金調達と石油危機の発生
第9章 合理化と積極経営の展開(昭和四十九~五十七年)
第一次石油危機と合理化の実施
藤末尚社長の就任と新体制
不採算部門の閉鎖と分離
赤穂第二工場の竣工と新たな展開
臨海大型工場の完成と秋芳鉱山の増強
海送化の推進と新たな展開ヘ
再度の合理化と企業体力の強化
再度の合理化実施と興産会社設立
八戸セメントのNSP化・海送化
中期経営計画と流通体制の拡充
第二次石油危機と省エネルギー・省資源対策
経営指針の明示と新人事制度
省エネルギー・省資源・環境対策の推進
多角化の推進と業績の推移
多角化と海外事業の推進
業績の推移
第10章 新生住友セメントへ(昭和五十七~六十二年)
体質改善のスタート
転換期における社長交代
再建計画の実施
新生住友セメントの展開
新経営体制と体質改善
RCP作戦の展開
経営多角化の推進
セメント産業の構造改善
セメント産業の構造問題と産構法への取組み
構造改善の実施
業績と今後の展開
資料編
商標と社名書体
原始定款
現行定款
会社変遷図
歴代会長・社長
現役員
役員在任期間一覧
従業員数の推移
資本金・株主数の推移
貸借対照表
損益および利益処分計算書
大株主の推移
株価の推移
現行機構図
事業所一覧
工場変遷図
工場別キルン変遷図
工場・石灰石事業所概要
当社工場別および全社セメント生産数量
当社鉱山別石灰石採掘数量
当社および全社セメント販売数量
当社地区別セメント販売数量
当社需要部門別セメント販売数量
営業取扱品目
特約販売店一覧
関係会社一覧
年表
参考文献
あとがき
表目次・図目次あり