図書イエ ノ ヒカリ ノ シジュウネン080000044

家の光の四十年

サブタイトル1~10
編著者名
家の光協会 著者
出版者
家の光協会
出版年月
1968年(昭和43年)12月
大きさ(縦×横)cm
27×
ページ
578p 図版12p
ISBN
NDC(分類)
023
請求記号
C023/I21
保管場所
地下書庫中公新社
内容注記
年表:p526-545 非売品
和書
目次

口絵
はしがき
第1章 草創期(創刊から昭和六年まで)
産組教育にささげる情熱
通俗家庭雑誌の誕生
難行した支会役職員協議会
おもしろくて為になる雑誌
廃刊寸前に追い込まる
家の光大会と産組婦人
臨時増刊で気勢あがる
「我が家の実験」はじまる
遂に十万部を達成
第2章 発展期(昭和七年から昭和十一年まで)
百万部普及計画はじまる
完璧な普及体制
家の光会と産青連の活躍
乳と蜜の流るる郷
初期の通信員制度と相談事業
三年足らずで百万部台に
都市版の創刊
産組拡充計画と反産運動
厳選主義でのぞんだ広告
第3章 臨戦態勢(昭和十二年から昭和十五年まで)
二百万部普及計画と用紙制限
規格判に先鞭
誌面にたいする干渉はじまる
皇軍慰問にも一役
臨時増刊の発行は遂に中止
出版新体制の胎動
都市版遂に廃刊となる
減ページから配給調整へ
活気を呈した文化事業
家の光移動映写隊の活躍
広告代理店として産光社を設立
第4章 戦時体制(昭和十六年から終戦まで)
『家の光』の真価認めらる
特配で百五十万部を発行
印刷・輸送とも窮屈になる
第一回全国家の光体験発表会
団体統合と家の光
社団法人家の光協会の誕生
樺太から用紙を運ぶ
印刷の地方分散そして終戦
第5章 再出発(終戦から昭和二十四年まで)
戦後第一号発行さる
終戦直後の出張所
出版粛清の槍玉にあがる
五十万部からさらに二十五万部に
最低線を低迷した昭和二十二年
一年ぶりに雑誌らしい雑誌に
調査事業と読者組織
第一次出版事業の顛末
待望の総合雑誌『地上』の誕生
学界の話題を呼んだ封建論争
流産に終わったこども雑誌
自主的文化活動と斡旋事業
外人の関心を集める協会の経営
誌代予納制度で急場をしのぐ
広告掲載を再開
農協の発足と家の光
農村読書運動と五十万部普及運動
普及運動の地ならし
多難を予想された全農映の発足
第6章 拡張期(昭和二十五年から昭和三十五年まで)
百万部普及三か年計画と農協刷新運動
竹橋事務所の火事
苦しかった第一次三か年計画のスタート
全婦協全国大会で『家の光』の普及を決議
人気を集めたミス・クミアイ・コンクール
第一次普及運動の成果と文化事業
第二次普及三か年計画の開始
九年ぶりに百万部台に帰る
延べ三千日を越した文化事業
普及率四戸に一冊
合併問題起こる
百八十万部を目ざす第三次五か年計画
農協刷新拡充三か年計画運動始まる
交換図画と「なかよし画集」
新装なる家の光会館
新しい酒は新しい革袋に
盛況を極める全国家の光大会
皇太子の御婚約と特別取材班の活躍
史上最高の普及部数を樹立
第二次出版活動の開始
第7章 革新時代(昭和三十六年から昭和四十三年まで)
農村人口の減少とテレビの影響
農業基本法の発足と新農村
第四次普及運動の発足と普及体制
『家の光』大判となる
付録になった家の光家計簿
六万部を突破した『地上』の米価特集号
普及運動の自主化と出張所の拡張
テレビ界に参加
田園アルバムとお茶の間百科
児童雑誌の基礎調査を開始
新児童雑誌の誕生
苦悩をつづける『こどもの光』
「生活シリーズ」で転機をつかむ
活発化する出版活動
増刷相つぐ「暮らしの法律相談」
新時代の大衆家庭雑誌
編集通信員の活躍
読者の固定化をめざす積み上げ運動
家の光事業の現況
会員・役員・参与・職員
資料
年表
表紙一覧
連載小説一覧
付録一覧
刊行図書一覧
調査資料目録
家の光文化賞受賞組合
本会企画テレビ番組一覧