昭和史の明暗
Ⅰ 揺るがなかった意思 昭和天皇と二・二六事件-歴史に刻印される叛乱の真相
惨烈をきわめた暁の襲撃により幕を開けた「日本を震撼させた四日間」
「とうとうやったか。自分の不徳のいたすところだ」-そのつぶやきと目に光るものを認めた侍従
「今回のことは、精神の如何を問わず不本意である。速やかに事件を鎮定するように」
鎮圧を督促し続ける天皇、頬かぶりを続ける侍従武官長
断乎鎮圧を命じる天皇の意思が、潮の満ちるかのように陸軍中央に浸透していった
「奉勅命令」により、「逆賊」となった叛乱部隊-決起部隊幹部は、自決でなく、断乎抗戦へ
天皇の激怒の前に「不忠の臣」として舞台から退くしかなかった侍従武官長
鎮圧部隊による事態の強硬解決、そして「兵に告ぐ」の放送……
Ⅱ 名誉と覚悟と責任と 昭和陸軍と阿南惟幾-八月十五日に自決した陸軍大将の本心
陸軍大臣阿南惟幾は、なぜ「米内を斬れ」と言ったのか
歴史とは人がつくるものだが、歴史もまた人を生む-
昭和陸軍の軍閥抗争の頂点で爆発した二・二六事件、その「粛軍」の看板として浮かび上がった男
名言で埋まる生涯を通じて抱き続けた信条は、大義であり、初一念だった
戦場で「勇猛の将」へ変貌し、中国戦線で勇名を馳せる「人徳の将」
昭和一七年、太平洋における戦争の流れは、攻撃から防御へと大きく変わった-
「絶対国防圏」の防衛を放棄、自滅しつつある陸軍は、「統帥は徳義なり」を信念とする阿南を中央に呼び寄せた
絶望的な内部批判をする一方で、終戦への道に苦慮する
わかり合えなかった陸相と海相-「武人であるならば」を米内に絶えず要求した阿南
ポツダム宣言の条件を前にして、阿南陸相の心、初一念は「国体護持」に定まった
原子爆弾投下とソ連参戦-行きつくところまで行きついた日本の運命
戦争終結に訓示した阿南陸相は、「不服の者は自分の屍を越えてゆけ」と𠮟咤した
「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」と記し、生涯を閉じた陸相に、深く感謝した首相
Ⅲ 人事の悲劇 日本海軍と堀悌吉-山本五十六の畏友、生かされなかった偉材
「海軍自体の慢心に斃るる」ほかに「立直す」途はないと記した山本五十六
露わになった対米英強硬派の軍令部側と対米英不戦派の海軍省側との対立
理路整然たる弁と明快な文章力で艦隊派と渡り合った軍務局長時代の堀悌吉
日本海海戦における強烈な体験とその後に育て上げた確固たる戦略思想
海軍の愚かなる”大手術”により、山梨勝之進大将ら逸材が去っていった
「子々孫々に至るまでかかる海軍の人なるなかれ」
堀悌吉は予備役となって海軍を去り、ワシントン軍縮条約は廃棄された
Ⅳ 在りし日の栄光の結末 連合艦隊と参謀・神重徳-大和特攻をめぐる真実
小説『海戦』で印象的に描写された第八艦隊先任参謀の神重徳大佐
第一次ソロモン海戦における「殴り込み戦術」の作戦立案とその勲功
敢闘精神旺盛な海軍大学校卒のエリート参謀
絶対国防圏の放棄などもってのほかだ-海軍部内の「戦術の神様」が訴えた勝機
東条英機暗殺計画、サイパン奪回作戦のために東奔西走し続ける作戦参謀
国破れてなんの艦隊やある、殴り込みあるのみ-レイテ沖海戦の参謀長たちに迫る熱血参謀
戦艦大和の沖縄特攻-神参謀の牽引により作戦は発動された
完全に失敗に終わった沖縄への特攻作戦-神参謀の「太平洋戦争」とは何であったか
Ⅴ 国破れて「駆逐艦」あり 太平洋戦争と「雪風」-最後まで闘い抜いた「消耗品」
海軍きっての劣等珍記録をもつネジリ鉢巻の大入道・寺内正道艦長
「たとえ大和を失っても沖縄突入はわれわれの任務だ。雪風一艦でもかまわん、沖縄へ突撃するぞ」
戦場における人格とは、平時における講義や理論によって達得されるものではない
予想と異なった条件下で、死力をつくして働かなければならなかった悲劇の「消耗品」
無敵の機動部隊が敗けたのか-真珠湾以来の連戦連勝の象徴ともいえる「赤城」の炎上、漂流
ガダルカナル島の争奪戦で、日本の駆逐艦は「猫のような虎」となって戦い抜いた
南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦……最後の一戦と覚悟した状況でも沈まなかった
激闘でも健在だった「雪風」には、内地へ寄港後、対空砲火がより整備され、「逆探」が備えられた
国家の運命を賭けた航空決戦で、その「戦闘」に参加できなかった「雪風」
生き甲斐も死に甲斐もあったレイテ沖海戦で、まさかの「もどれ」の命令が……
沖縄特攻、連合艦隊の潰滅、そして、「雪風」は帰投した
「消耗品に甘んずるような人間がいなければ、敗けたってなんだって、日本は大丈夫なんだよ」
編集部より刊行によせて~半藤先生を偲んで~