沖縄市史 第5巻 資料編4
口絵
発刊によせて(沖縄市長・桑江朝千夫)
発刊のことば(沖縄市史編集委員会委員長・田里修)
凡例
序章 沖縄市のあゆみ
第1章 アジア太平洋戦争と社会の変化
第1節 徴兵と出征
一 徴兵検査と日露戦争
二 アジア太平洋戦争と住民
第2節 変化する社会・くらし・学校
一 戦時下の社会と法律
二 各種団体の活動
三 庶民の日常生活
四 伝統行事の衰退と国家祭祀
五 戦時下の学校教育
六 戦時下の若者たち
第2章 第三二軍の沖縄配備と住民の関わり
一 第三二軍の沖縄配備
二 沖縄市に配備された部隊
三 供出や徴用、勤労奉仕
四 陸軍中飛行場(屋良飛行場)と住民
第2節 本土・台湾疎開
一 学童疎開
二 対馬丸の撃沈沈没
三 一般疎開
四 台湾疎開
五 引揚げ
コラム 学童疎開
コラム ある疎開児童の体験
第3節 空襲
一 十・十空襲
二 一月三日・四日の空襲
三 一月二一日・二二日の空襲
四 三月一日の空襲
五 上陸前空襲
六 米軍上陸
第4節 北部(ヤンバル)疎開と避難
一 北部疎開計画
二 ヤンバルをめざして
三 避難民受け入れのための避難小屋作り
四 山の中での暮らし 食糧配給と事情
五 敗残兵と米軍と避難民
六 山を下りる
第5節 米軍上陸前夜
一 仲宗根山戸日誌にみる徴用
二 市民の手記・証言にみる動員状況
第3章 戦場となった郷土
第1節 沖縄戦における戦況の変遷
一 上陸前の空襲・艦砲射撃
二 米軍上陸
三 住民収容
四 特攻
五 中部の戦闘
六 首里撤退
七 南部の戦闘
八 北部の戦闘
九 沖縄戦終結
第2節 米軍上陸
一 沖縄市域北部
二 沖縄市域中部
三 沖縄市域南西部
第3節 逃げまどう住民
一 本節の構成
二 住民の行動を分けた要因
三 村内避難者の体験
四 北部避難者の体験
五 南部避難者の体験
六 「食」を通して見る住民の戦争体験
第四節 米国新聞が伝えた沖縄戦
一 一年間で二五〇〇本を超える沖縄関連の記事
二 標的としての沖縄
三 戦場としての沖縄
四 基地としての沖縄
五 米国国民にとっての沖縄戦
六 米国人から見た沖縄人(Okinawan)
七 何が伝わり、何が見えなくなったか
第4章 収容所と終戦、復興
第1節 民間人収容所
一 民間人収容所とは?
第2節 キャンプ・コザ
一 キャンプ・コザの成り立ち
二 キャンプ・コザの組織
三 キャンプ・コザの主な施設
四 キャンプの収容者
五 収容所生活
第2節 キャンプ・コザ コザ孤児院
一 コザ孤児院の設立の時代状況
二 米軍による収容住民の移動と徴用
三 コザ孤児院の歴代院長
四 コザ孤児院の収容人数
五 孤児院の統合
六 沖縄の孤児院時代の空白
七 明らかになったコザ孤児院の特徴
第2節 キャンプ・コザ 胡屋野戦病院
一 米軍政府病院(胡屋野戦病院)の始まり
二 病院の概要
三 市内にあったその他の医療施設(診療所)
四 野戦病院から沖縄中央病院へ
第3節 米軍基地の誕生
一 アイスバーグ作戦と基地計画
二 嘉手納、泡瀬の飛行場建設と戦闘機部隊の配置
三 嘉手納に配備された航空部隊とその運用
四 基地建設計画の変更と建設進行状況
第4節 降伏調印
一 日本の降伏調印
二 琉球列島の降伏調印
三 県民にとっての九月七日とは?
第5節 帰村
一 帰村に至る経緯
二 帰村しても
第6節 沖縄市民の戦後引揚げ
一 日本への引揚げ
二 沖縄市民の引揚げ
コラム 日本本土と琉球・沖縄の「境界」-北緯三〇度線を基点として―
コラム 戦争と音楽
第5章 沖縄戦の「戦後」
第1節 戦没者の慰霊
一 戦争の終わりと慰霊空間の出現
二 沖縄市の慰霊塔・碑
第2節 不発弾
一 市民が体験した「鉄の暴風」
二 不発弾と隣り合わせの生活と絶えない被害
三 復帰後も続く不発弾の恐怖と処理対策
第3節 戦争遺跡の保存と活用~奉安殿・忠魂碑を中心に~
一 奉安殿・忠魂碑の文化財指定
二 美里国民学校の概要
三 奉安殿
四 忠魂碑
五 保存修理工事の実施
六 戦争遺跡としての活用
第四節 平和行政
一 平和行政の歩み
二 市民平和の日
三 主な平和行政のメニュー
四 親子平和大使派遣事業
コラム 「兄弟都市」豊中市との交流史 「霊石」が結んだ半世紀
第6章 「平和の礎」が語る市民の戦さ世
第1節 データにみる市民の戦争体験
一 戦没者は何名か?
二 市民それぞれの戦争体験
三 「分からない」戦没者
第7章 沖縄戦から基地オキナワへ
第1節 本土決戦とダウンフォール作戦
一 ダウンフォール作戦
二 沖縄からの九州・奄美空襲の本格化
三 沖縄戦の終了と超重爆撃機B-29の沖縄配備
第2節 基地オキナワのはじまり
一 終戦時の基地状況
二 米軍中央の戦後軍事戦略の変化と沖縄
三 終戦後の基地計画
索引
編集後記