図書シンシュウ コウベシシ060008410

新修神戸市史 生活文化編

サブタイトル1~10
編著者名
新修神戸市史編集委員会 編集
出版者
神戸市
出版年月
2020年(令和2年)3月
大きさ(縦×横)cm
22×
ページ
1122,40p
ISBN
NDC(分類)
216.4
請求記号
216.4/Sh69
保管場所
閉架一般
内容注記
和書
目次

第一章 概説
第一節 近代神戸の生活文化の形成を考えるために
第二節 近代神戸の都市イメージとその変容
1 「モダン」な都市神戸というイメージの形成をめぐって
2 神戸開港と神戸区の運営主体
3 清国・清国人に対する劣位に対抗して
4 社会的文明化の極致としての新しい町「神戸」
5 「神戸」と「兵庫」
6 「国体」と都市イメージの結合と矛盾
7 「自治」の拡大と「歴史意識」の拡張
8 モダンな都市「神戸」の成立
9 おわりに-新修神戸市史編纂と阪神淡路大震災

第二章 地域と生活
第一節 兵庫津のくらし-生活・活動の空間と人・の営み-
1 絵図にみる都市空間の変遷
暮らしの拠点となる都市空間
元禄図にみる兵庫津の都市空間
明和図にみる兵庫津の都市空間
明和図系絵図にみる兵庫津の都市空間の変遷
寛政図
安政図
2 都市空間の把握
尼崎藩領下の兵庫津における屋敷地境界の把握
屋敷地境界の確定にむけて
明和上知と水帳・水帳絵図の導入
3 兵庫津人口の変遷と社会構造の変化
兵庫津の人口と家持・借家
佐比江新地の家持・借家人別帳にみる人口動態
他国者の流入と無人別の増加
4 兵庫勤番所の治安維持
5 大坂町奉行所-兵庫勤番所体制下での治安維持
6 造船のまち兵庫-近代への展望-
第二節 和田岬周辺部のまちなみの形成
1 神戸の産業発展の萌芽
兵庫津のその後
明治初期の和田岬
産業発展の概略
官営兵庫造船所
新川運河
川崎造船所
山陽鉄道和田岬支線
石油倉庫・和田倉庫株式会社
火薬庫の移転
鐘淵紡績株式会社兵庫工場
兵庫運河
湊川の付替
三菱神戸造船所
和田神社の移転
川崎兵庫分工場
三菱電機株式会社
神戸市電の敷設
大正期の発展の影響
2 企業進出と都市整備事業
和田岬周辺部の市街化
市街地整備事業
都市計画
和田岬周辺部での事業
三菱工場敷地西側の道路敷設
和田岬周辺部の新道開削事業
東尻池村での新道開削事業
鐘紡の道路拡幅事業
3 くらしの変化
三菱の福利厚生施設の建設
鐘紡の社宅街の形成
地主の土地経営と長屋街の形成
保育
小学校
公衆浴場
和田岬周辺部の街並みの特徴
空襲
第三節 有馬温泉の発展と課題
1 はじめに
有馬温泉とは
有馬温泉「一年のはじめ」-入初式
2 明治・大正時代の観光と有馬温泉
新しい観光の芽生えと有馬の行政
「鉄砲水」(炭酸水)と炭酸温浴場
共同浴場(本温泉)等温泉施設の変遷と「六甲山鳴動」
外国人と保養地(杉本ホテルなど)
有馬保勝会
明治・大正時代の有馬への道
「温泉番付」と保養地としての有馬の発展
有馬鉄道(後、国鉄有馬線、昭和十八年廃止)
吉田初三郎の「絵図」に見る有馬の繁栄
3 有馬温泉の昭和時代(戦前)
昭和時代のはじまり
交通網の整備、神有電鉄の運転と自動車運送事業
戦時下の有馬温泉
文人に愛された有馬温泉(戦前)
4 有馬温泉の昭和時代(戦後)
戦後の神戸市と有馬温泉の状況
有馬温泉観光協会設立と有馬
六甲摩耶地区の観光開発と有馬温泉
高度成長期から低成長へ
有馬温泉観光協会の活動
有馬町マスタープラン
バブル経済の到来と有馬温泉
文人に愛された有馬温泉(戦後)
5 有馬温泉の平成期(阪神・淡路大震災以降)
震災と有馬温泉
震災復興への「官・民の取親み」
有馬温泉・下呂温泉・草津温泉提携締結など
「健康づくりプログラム」と「有馬温泉ゆけむり大学」
新・有馬マスタープラン(有馬温泉まちづくり基本計画)
交通網の整備-高速道路網の充実
ビジット・ジャパン・キャンペーンと外国人観光客の増加
現在の有馬温泉の取組み
6 有馬温泉の主なイベント
有馬大茶会
沙羅の花と一絃琴鑑賞会
有馬涼風川座敷
7 有馬温泉散歩(平成後期)
神戸電鉄「有馬温泉駅」~「金の湯」
「温泉寺」~「銀の湯」
「炭酸泉源公園」~「鼓ヶ滝」~「金の湯」
「湯本坂」~「有馬温泉駅」
有馬温泉・泉源めぐり
8 有馬温泉の課題と展望
有馬温泉の課題-住民の立場から
有馬温泉の課題-温泉観光地経営の立場から
有馬温泉の課題-泉源管理の立場から
おわりに-有馬温泉の展望
第四節 六甲山の開発
1 アーサー・グルームの時代(一八九五年~一九二〇年頃)
「あさが来た」と「べっぴんさん」
茶屋と郵便局
山上の駐在所
天然氷とスケート場
六甲山のスキー場
2 企業による開発(一九一〇年~一九四〇年頃)
明治から大正にかけての企業の進出
アクセス整備
別荘分譲の本格化とホテル、カンツリーハウス、高山植物園
3 六甲山上の苦難~そこからの復興(一九五〇年前後まで)
水害と第二次世界大戦
阪急、阪神、六甲越有馬鉄道の共同経営
六甲山小学校
4 六甲山自治会の発足(昭和二十九年)と自然公園法(昭和三十一年)
自治会の発足
国立公園編入による開発の制限
戦後の別荘分譲
5 高度成長期(一九五四年~一九七三年頃)からバブル時代(一九八六年~一九九一年頃)
十国展望台、人工スキー場、六甲有馬ロープウェー
上水道整備
山上道路整備とモータリゼーション
ボウリング場、六甲山牧場、フィールドアスレチック、ジンギスカン
ポートピア博覧会と六甲山
バブル景気と六甲山上
6 バブル崩壊と阪神・淡路大震災(平成七年<一九九五>)
オルゴールミュージアム
7 阪神・淡路大震災からの復興
六甲ガーデンテラス
六甲摩耶観光推進協議会
8 新しい六甲山開発の時代へ
山歩きブーム
山上の三大夜景スポット
近代化産業遺産
六甲ミーツアート
新たな山林の管理
通信環境の改善
放置された建築物や老朽化した案内看板の再整備
第五節 水上生活
1 はじめに
2 はしけ生活
3 「水上児童ホーム」の設立
4 実践の内容
5 実践についての自己評価
6 実践に対する社会的な波紋の広がり
塩谷寿雄『河童の園』
演劇『河童の園』七景
丸川栄子『海の子の家』
陳舜臣『神戸 わがふるさと』
7 おわりに
第六節 第二次世界大戦前の地域を支える団体・組織
1 神戸における都市社会の成立
市制施行以前の地域社会
学区の誕生
市制下の学区と小学校費
衛生組合
2 都市化の進展と住民団体・組織
学区廃止問題
衛生組合の事業
青年団の成立
方面委員制度
協同組合の発足
在郷軍人会
3 昭和初期の住民団体・組織
衛生組合から町会へ
昭和初期の青年団運動
救護法による窮民救護
生活協同組合運動の発展
4 戦時期の住民団体・組織
火防組合の設置
神戸市銃後奉公会
町内会の発足
神戸市青少年団の結成と女子挺身隊
第七節 阪神・淡路大震災と地域コミュニティ
1 地域コミュニティとまちづくり
震災前の地域コミュニティ
町内会
神戸市婦人団体協議会
ふれあいのまちづくり協議会
まちづくり協議会
震災後の地域コミュニティ
まちづくり協議会
防災福祉コミュニティ
神戸市婦人団体協議会
まちづくりの事例紹介
真野地区(長田区)
野田北部地区(長田区)
六甲道駅北地区(灘区)
2 ボランティア・NPOと地域コミュニティ
震災前のボランティアの状況
震災ボランティア
神戸市役所のボランティア対応
震災ボランティアからの展開
地域で活動するボランティア・NPOの事例紹介
コミュニティ放送局FMわぃわぃ(長田区)
認定NPO法人コミュニティ・サポートセンター神戸(CS神戸)(東灘区)
3 市民を中心とした鎮魂と震災経験の継承
鎮魂と震災経験の継承活動の事例紹介
NPO法人「阪神淡路大震災一・一七希望の灯り」(HANDS)
神戸ルミナリエ「しあわせ運べるように」

第三章 くらしの変化と余暇
第一節 衣生活とファッション文化の歴史
1 洋装化の歴史-明治の開港以来
紳士服の発展と神戸洋服
上流夫人の洋服と庶民の和服
子供服と制服の変化
2 洋裁教育と服飾店の発展-第二次世界大戦前後の時代
神戸における洋裁学校の始まり
戦時中の衣服-国民服と婦人標準服、もんぺ
戦後における洋裁学校の再開と服飾店の発展
3 神戸のファッション文化の発展-二〇世紀後半より
デザイナーの活躍と欧米ファッションの受容-終戦から一九五〇年代にかけて
ファッション雑誌の発展と「ニュートラ」の流行-一九六〇年代から七〇年代
神戸の衣生活とファッション文化の発展
第二節 食生活の変化
1 開港と西洋文化の許容そして西洋料理の定着
開港と食
食肉処理場の設置
肉食の奨励
牛鍋とすき焼き
牛肉の消費量
文明開化後の西洋料理
『豪商神兵 湊の魁』から見る洋風化
2 開港後の食生活と新しく生まれた食
新聞にみる外国人の生活(『神戸又新日報』から)
新聞の家庭欄に見る食生活の変化
公設食堂の設立
3 戦中・戦後の食生活
食糧難の時代
食糧の国家統制と戦時の食生活
戦後復興と食生活の回復・改善
学校給食の開始と体格向上(学校給食に見る食生活の変遷)
4 現代の食生活
食料供給の年次推移
食生活改善
食物摂取の年次推移と体格(国民栄養調査、厚生省)
飽食の時代(昭和四十五~五十四年)と日本型食生活の見直し
5 神戸の食生活の変遷
日常食と行事食
神戸の食生活の特徴
第三節 スポーツのメッカ
1 乗馬
開港地・神戸の乗馬ブーム
神戸乗馬倶楽部の設立と当初の活動
学生馬術の育成
高校馬術と昭和・平成期の神戸乗馬倶楽部
2 日本初のゴルフ場~六甲山の開祖グルーム~
ロンドンから神戸へ
山荘「一〇一」と日本初のゴルフ場
初のゴルフクラブ誕生
キャディは小学生
神戸・阪神間はゴルフの先進地
3 ジェントルマンが創ったスポーツクラブ~KR&ACと創設者シム~
スコットランドから
日本初、総合型スポーツクラブ
スポーツと演劇のメッカ
ボランティア活動
居留地の返還
阪神・淡路大震災
4 ボート・レガッタ~大賑わいの敏馬浜~
ボートレースの始まり
インターポート・マッチ(港都対抗スポーツ大会)
日本人のレガッタ
神戸高商の校内大会
5 「考古学の父」六甲山へ初登頂~大阪造幣局のガウランド~
6 市民に息づく六甲登山や毎日登山~ドーントとワーレン~
三日に一度
厳寒の六甲登山
スケートとスキー
シーズン制
「神戸っ子」も活躍
欧米人が道案内
『INAKA』
六甲山からアルプスへ
「毎日登山」
7 六甲全山縦走~神戸ならではの大企画~
前史
全山縦走始まる
全国的な大会へ
8 神戸が伝えたラグビー精神~神戸のエブラハムと京都の香山~
神戸初のラグビー
京都と神戸のラグビー
「ミスター・ラグビー」
ラグビーのメッカ「東遊園地」
日本のラグビー精神
日本国籍取得
9 サッカー(フットボール)~御影師範と神戸一中の活躍~
日本初のサッカーとKR&AC
御影師範と神戸一中
神戸勢全国大会で活躍
サッカー王国復活
日本初の女子サッカー
10 建築家ヴォーリズとバスケットボール~隠れたその貢献~
バスケットボールの誕生
ヴォーリズと近江八幡
バスケット・コート
大正デモクラシー
スポーツの大衆化
11 バレーボール~神戸に日本協会を置く~
バレーボールと神戸
女子バレーボールの隆盛
神戸に日本協会
「日本のバレーを世界のバレーに」
第四節 布引・諏訪山遊園等(遊園史)
1 布引遊園地
布引の滝周辺の歴史
布引遊園地の開発経緯
わが国の近代公園制度制定に関与
布引遊園地施設の内容
茶屋と歌碑
布引遊園地のその後と雄滝茶屋
川崎本邸・徳光院
六英堂・川崎正蔵銅像
布引温泉
布引ハーブ園・布引カントリークラブゴルフ場
2 諏訪山遊園地
諏訪山温泉
諏訪山遊園地
金星台、諏訪山動物園
第五節 神戸で育まれた文化
1 池長孟と南蛮美術-港都の華-
兵庫の大コレクター池長孟
養父・池長通の影響
牧野富太郎のパトロンとして
池長と牧野-まじわらない道
植物標本の返還
紅塵荘の建築からコレクション収集へ
熱狂的なコレクション収集
豪華図録『邦彩蛮華大宝鑑』
美術館開館への準備
池長美術館の開館
育英商業学校長を退職
神戸市への委譲
再生-市立神戸美術館として
『南蛮美術総目録』刊行を最後に
神戸市立南蛮美術館へ改称
美術館閉館から神戸市文書館へ
神戸市立博物館への統合
2 小磯良平と神戸市立小磯記念美術館
(1) 国際港都・神戸に生まれる
異国情緒に満ちた環境
詩人・竹中郁との出会い
基礎を築いた中学時代
(2) 東京美術学校在学中(大正十一年~昭和二年)
華やかな顔ぶれの同級生仲間
藤島武二との師弟関係
岸上良平から小磯良平に
(3) フランス滞在期(昭和三年~昭和五年)
憧れのパリへ
古典主義習得への決意
(4) 帰国後の充実期(昭和五年~昭和十二年)
帝展騒動と新制作派協会の結成
アカデミスムを貫いた独自性
(5) 日中戦争、太平洋戦争期(昭和十二年~昭和二十年)
歴史画制作に取り組む決意
戦争画制作への苦悩と苛立ち
(6) 戦後の出発(昭和二十年~昭和二十七年)
愛おしい家族の肖像画
「女性像」の画家への新たな模索
(7) 東京藝術大学教授時代(昭和二十八年~昭和四十六年)
日本洋画界への愛情
理知的で実験的な試み
具象絵画への回帰
(8) 晩年の展開(昭和四十六年~昭和六十三年)
西洋絵画の正統を日本の洋画に
昭和を代表する洋画家として
(9) 神戸市立小磯記念美術館の開館とその後の歩み
遺族からの小磯作品の寄贈と記念美術館の開館
開館後の歩み
3 関西学院と神戸の近代化
原田の森キャンパスの誕生と変遷
神戸におけるモダニズムの形成
ミステリーの系譜
焼け残った礼拝堂

第四章 ミナト神戸の宗教とコミュニティー
第一節 総論臼神戸の宗教とコミュニティー
1 「ミナト神戸」の軌跡と外国人コミュニティー
「ミナト神戸」の開港と居留地の形成
神戸市の発足と変遷
神戸の外国人コミュニティー
2 「ミナト神戸」開港以前の宗教とコミュニティー
神社
仏教
3 「ミナト神戸」開港以降の宗教とコミュニティー:キリスト教の成立と展開
カトリック教会、正教会、聖公会
プロテスタント教会
4 「ミナト神戸」開港以降の宗教とコミュニティー
中国人コミュニティー
インド人コミュニティー
ユダヤ人コミュニティー
神戸モスク
5 宗教とコミュニティーの関係
宗教とコミュニティーの関係
地域社会における宗教の役割
第二節 ミナト神戸以前
1 ミナト神戸の神道とコミュニティー
(1) 神戸の神道の背景と全体像
神社数と神道の存在感
神道の略史と神社本庁、金光教
日本文化に繋がるその他の神道
神戸の神社と祭神
(2) 「国際宗教都市」神戸の神社
開港と西洋文明の流入
北野天満神社と外国人コミュニティー
(3) 神戸の祭りと神道
「みなとの祭」から「神戸まつり」へ
神事としての「みなとの祭」と神戸のまつり
(4) 地域に生きる神道-阪神・淡路大震災と神社の取り組み
生田神社の取り組み
湊川神社の取り組み
長田神社の取り組み
金光教の取り組み
天理教の取り組み
2 ミナト神戸の仏教とコミュニティー
(1) 仏教信仰の略史と神戸
寺院数と仏教の存在感
平安時代までの仏教略史と神戸の寺院
神戸の寺院と平安時代以降の仏教の歩み
(2) 神戸の開港と仏教への影響
仏教の公的役割の変化
キリスト教宣教の仏教への影響
仏教の新しい動きと神戸の排耶運動
(3) 近代仏教を象徴するモダン寺
仏教の近代化
本願寺神戸別院(モダン寺)の略史
モダン寺の原初
焼失からモダン寺への変身
広義のモダン寺
生活に密着する神戸の十三仏信仰
十三仏信仰とは
十王信仰と十三仏信仰の成立
「十三仏めぐり」の歴史
(5) 神戸の「十三仏めぐり」の実際
十三仏・菩薩と十三の寺院
転法輪寺・天上寺・如意寺(第一番~第三番)
太山寺・性海寺・大龍寺(第四番~第六番)
石峯寺・能福寺・念佛寺(第七番~第九番)
多聞寺・須磨寺・無動寺・鏑射寺(第十番~第十三番)
第三節 神戸の宗教とコミュニティー
1 神戸のキリスト教とコミュニティー
(1) 神戸のカトリック教会、正教会、聖公会
カトリック教会のパリ外国宣教会
ハリストス正教会
聖公会の英国海外福音伝道会
(2) NCC系のプロテスタント教会
アメリカン・ボード
米国南メソヂスト監督教会
米国の北部バプテスト教会と南部バプテスト教会
在日大韓基督教会と神戸中華教会
(3) 福音派系のプロテスタント教会
米国南長老教会の宣教
ノルウェールーテル伝道会
バックストンと日本伝道隊
(4) 地域社会に仕える働き
キリスト教NGOの働き
賀川豊彦の働き
神戸の冬を支える会・外国人救援ネット
2 神戸のユダヤ教とコミュニティー
(1) ユダヤ教の特色について
ユダヤ教の基本的信条
通過儀礼
シナゴーグと安息日祝祭日
(2) 神戸のユダヤ人の歴史:開港から一九三〇年代
一八六〇年代のユダヤ人
一九〇〇~一九一〇年代の神戸のユダヤ人
一九二〇年代の神戸のユダヤ人
一九三〇年代の神戸のユダヤ人
(3) 神戸のユダヤ人の歴史:難民滞在から戦後
杉原千畝とユダヤ人救命ビザ
神戸のシナゴーグを中心とした対応
シナゴーグの焼失と再建
阪神・淡路大震災以降
(4) 神戸にシナゴーグが存在する意義
反ユダヤ主義とドイツのキリスト教界の取り組み
世界のキリスト教界(WCC)のユダヤ教徒との対話と共生の取り組み
神戸のシナゴーグの存在意義
3 神戸に暮らすインド人の宗教
(1) 神戸におけるインド人コミュニティーの歴史
開国から大正期まで
昭和初期から終戦まで
戦後から昭和六十年頃まで
昭和末期から現在まで
(2) 神戸のインド人コミュニティーの特徴
三つのエスニック・グループ
共通する性格と相互の関係
(3) 神戸におけるインド系の宗教施設とその信仰
ジャイナ教寺院
ジャイナ教の信仰
「アヒンサー」の教え
ヒンドゥー教寺院
ヒンドゥー教の信仰
スィク教寺院とその活動
スィク教の信仰
4 神戸のムスリム・コミュニティーとその信仰
(1) 戦前の日本ムスリム史と神戸ムスリムモスク
日歪おけるムスリムの増加
昭和初期までの国内ムスリム史
神戸ムスリムとモスクの建立
神戸モスクの完成
神戸モスクでの活動の開始
(2) 第二次世界大戦以降の神戸モスク
戦中・戦後
現在に至るムスリム人口の推移
阪神・淡路大震災と在神ムスリム
震災以後のムスリム社会
神戸モスクの諸活動
(3) イスラームの信仰と実践
イスラームとは
ムハンマドと聖典クルアーン
信仰と六信五行
(4) 神戸のムスリムの暮らしと信仰
ムスリムの二大祭り
食物規程とハラール
結婚と結婚式
葬式と墓地
5 神戸の華僑コミュニティにおける宗教と文化
関帝廟
諏訪神社と大龍寺
神戸基督教改革宗長老会
神戸中華同文学校

第五章 風俗
第一節 遊廓史
1 明治前期の福原遊廓
(1) 福原遊廓の開設
兵庫津の遊所
福原遊廓の開設
「遊女町之図」
福原遊廓の空間構造
南京茶屋
ラシャメン
中国人と福原遊女
つるをめぐる争論
外国人妾と身請け
開業当初の福原遊廓
福原遊廓の移転
新福原遊廓
『新福原細見之図』
遊女数
(2) 芸娼妓解放令と福原遊廓
芸娼妓解放令
「本人望」
遊女貸座敷規則・娼妓芸妓規則
芸娼妓解放令後の福原遊廓
明治六年法令と芸娼妓解放令
再び集娼へ
(3) 新川遊廓
新川遊廓の設置
新川遊廓の移転
娼妓数・出身地
2 明治後期から大正期の遊廓
(1) 統計書にみる遊廓
貸座敷数・娼妓数
娼妓の出身地
外国人遊客
遊客の消費金額
接客数
(2) 自由廃業運動
自由廃業訴訟
長谷川楼抱娼妓の廃娼顛末
救世軍
娼妓の待遇改善
(3) 大正期の新川遊廓
兵庫署による新川遊廓調査
身売りの理由
本籍地・年齢・前職・教育経験
前借金・娼妓の収支計算
3 昭和期の遊廓
(1) 昭和期の福原遊廓
『福原遊廓沿革誌』
遊興料
娼妓の廃業
娼妓の属性
娼妓の教育経験
娼妓の生活と希望
(2) 聞き書きのなかの福原娼妓
田淵スマ
幼少期
身売り
福原遊廓へ住替え
通信教育で学ぶ

年季明け
(3) 日中戦争期以降の福原遊廓
「慰安所」の設置と福原遊廓
「慰安婦」の移送
「慰安所」の経営と福原遊廓
アジア太平洋戦争期の福原遊廓
赤線
第二節 繁華街の形成
1 開港後の神戸における市街地形成
2 市内のにぎわいの場の形成
寺社境内を中心としたにぎわい
湊川神社周辺のにぎわい
湊川新開地の形成
3 商店街の誕生
商店街のにぎわいと「元ブラ」の誕生
市内商店街の立地
商店街の「現代化」
資料「地域の伝統行事」

〔巻末付録〕
執筆者一覧
編集協力者
写真一覧
参考文献目録
写真一覧
口絵写真
1 六甲山開祖の碑(明治45年)(神戸市文書館)
2 ルミナリエ(平成30年)(神戸ルミナリエ組織委員会提供)
3 神戸有馬電鉄沿線名所交通図(昭和3年吉田初三郎神戸電鉄株式会社蔵)
4 ファミカバンをもった女生徒たち(松蔭女子学院提供)
5 大日本婦人束髪図解(図版提供:ポーラ文化研究所)
6 『INAKA』(表紙)(神戸市文書館)
7 諏訪山動物園(昭和初期)
8 アカデミー・バー壁画(神戸ゆかりの美術館蔵)
9 生田神社(神田健次蔵)
10 浄土真宗本願寺派本願寺神戸別院(神田健次蔵)
11 神戸栄光教会(神田健次蔵)
12 バグワン・マハビールスワミ・ジェイン寺院(神戸市文書館)
13 関西ユダヤ教団シナゴーク(神田健次蔵)
14 神戸ムスリムモスク(村瀬義史蔵)
15 関帝廟(神田健次蔵)

写真
〔第一章 第二節〕
写真1 「文久年間兵庫及神戸之絵図」(神戸市文書館)
写真2 みなとの祭 懐古行列(神戸市文書館)
〔第二章 第一節〕
写真1 西海筋海路図屏風(大阪湾部分)(堺市博物館蔵)
写真2 摂津国名所港津図屏風(兵庫津部分)(堺市博物館蔵)
写真3 西国名所之内 兵庫磯乃町(慶応元年)(神戸市立博物館蔵)
写真4 摂州八部郡福原庄兵庫津絵図(元禄9年)(個人蔵・神戸市立博物館寄託)
写真5 湊町惣門(『神戸覧古』のうち)(神戸市立中央図書館蔵)
写真6 兵庫津絵図(明和6年)(個人蔵・神戸市立博物館寄託)
写真7 兵庫津絵図(北浜から岡方北部)(文化11年)(神戸市立博物館蔵)
写真8 兵庫津絵図(北浜から岡方北部)(嘉永3年)(個人蔵・神戸市立博物館寄託)
写真9-(1) 兵庫津絵図(兵庫市街部分)(寛政9年)(個人蔵・神戸市立博物館寄託)
写真9-(2) 佐比江新地付近(個人蔵・神戸市立博物館寄託)
写真10 島上町浜先普請絵図(個人蔵・神戸市立博物館寄託)
写真11-(1) 兵庫津絵図(兵庫市街部分)(安政6年頃)(神戸市立博物館蔵)
写真11-(2) 兵庫勤番所と西隣の箱館産物会所(神戸市立博物館蔵)
写真11-(3) 湊町外町から佐比江新地付近(神戸市立博物館蔵)
写真12 御條目留帳(個人蔵・神戸市立博物館寄託)
写真13 当津御公料二相成、絵図・水帳被仰付候節間数絵図(個人蔵・神戸市立博物館寄託)
写真14 宮前町水帳(天保9年)(個人蔵・神戸市立博物館寄託)
写真15 宮前町水帳絵図(天保9年)(個人蔵・神戸市立博物館寄託)
写真16 兵庫佐比江(『摂津名所図会』のうち、神戸市立博物館蔵)
写真17-(1) 佐比江新地毎月家持借屋人別改判形帳(神戸市立博物館蔵)
写真17-(2) 佐野屋吉兵衛家における同家人の動向(毎月家持借屋人別改判形帳(東))(神戸市立博物館蔵)
写真18 兵庫津地子方絵図(神戸市立博物館蔵)
写真19 和田岬石堡塔外冑壁之図(神戸市指定文化財『和田岬 湊川砲台(台場)関係資料』のうち、神戸市立博物館蔵)
写真20 兵庫港口(『摂津阪西名所写真帳』のうち、神戸市立博物館蔵)
〔第二章 第二節〕
写真1 和楽園(左端)と和田岬砲台(その右)(『神戸市水道略誌』)
写真2 私立三菱職工学校(『三菱重工神戸造船所百年史』三菱重工業株式会社蔵)
写真3 鐘紡社宅(宇野利右衛門編『社宅及び其附屬設備:鐘紡兵庫支店』国際日本文化研究センター提供)
写真4 鐘紡幼稚園(『鐘渕紡績株式會社兵庫支店給葉晋』国際日本文化研究センター提供)
写真5 娯楽堂(『鐘渕紡績株式會社兵庫支店給葉書』国際日本文化研究センター提供)
〔第二章 第三節〕
写真1 入初式(中尾清蔵)
写真2 炭酸湧出場(『図録有馬の名宝』神戸市立博物館蔵)
写真3 本温泉(『図録有馬の名宝』神戸市立博物館蔵)
写真4 高等温泉(神戸市文書館)
写真5 鼓ヶ滝とモラエス(『図録有馬の名宝』神戸市立博物館蔵)
写真6 大日本温泉一覧(『図録有馬の名宝』神戸市立博物館蔵)
写真7 有馬鉄道(国鉄有馬線)有馬駅(『図録有馬の名宝』神戸市立博物館蔵)
写真8 天神泉源(昭和24年)(中尾清蔵)
写真9 太閤の湯殿館(中尾清蔵)
写真10 「有馬千軒」再生事業(中尾清蔵)
写真11 有馬大茶会
写真12 沙羅の花と一弦琴鑑賞会(中尾清蔵)
写真13 「すずめ石」と「はまぐり石」(中尾清蔵)
写真14 有馬涼風川座敷(中尾清蔵)
写真15 有馬温泉・湯らりめぐりマップ
写真16 有馬川親水公園(中尾清蔵)
写真17 「茶人・太閤」座像(中尾清蔵)
写真18 ねね立像と『有馬六景』説明板(中尾清蔵)
写真19 金の湯(中尾清蔵)
写真20 温泉寺(中尾清蔵)
写真21 銀の湯(中尾清蔵)
写真22 「祝聖文」の壁書(中尾清蔵)
写真23 人形筆・西田筆店(中尾清蔵)
写真24 有明一号・二号泉(中尾清蔵)
写真25 「有明一号・二号泉」配湯槽(中尾清蔵)
〔第二章 第四節〕
写真1 阪神電鉄による六甲山回遊道路完成の碑(阪神電気鉄道蔵)
写真2 昭和13年阪神大水害による六甲ケーブル下駅の被害の様子(上が被災前、下が被災後)(六甲山観光株式会社提供)
写真3 紅雲台販売時のパンフレットより(阪急電鉄蔵)
写真4 十国展望台の変遷(六甲山観光株式会社提供)
〔第二章 第五節〕
写真1 神戸市水上児童寮(神戸市文書館)
写真2 神戸市沿岸海面艀碇繋分布図(『昭和16年版神戸市水上児童ホーム概況』神戸市立中央図書館蔵)
写真3 神戸港(昭和39年)
写真4 水上生活者生活状況調査(昭和11年)(『方面委員記念帖』)
写真5 ホーム平面図(『昭和16年版神戸市水上児童ホーム概況』神戸市立中央図普館蔵)
写真6 「神戸市水上児童ホーム概況(昭和13年版)』表紙(神戸市文書館)
写真7 水上児童寮運動会(神戸市文晋館)
写真8 昭和天皇による視察(昭和31年)(神戸市文書館)
〔第二章 第六節〕
写真1 大日本青年団(神戸市文書館)
写真2 葺合方面委員会(『方面委員記念帖』)
写真3 神戸消費組合(『愛と協同の志コープこうべ70年史』生活協同組合コープこうべ蔵)
写真4 帝国在郷軍人会会歌の歌詞カード(昭和11年)(鷲尾喜代子蔵)
写真5 女子勤労挺身隊の入所(昭和19年)(『川崎重工業株式会社社史(昭和34年12月25日発行)』川崎重工業株式会社蔵)
〔第二章 第七節〕
写真1 『住民参加の論理と心理(神戸市板宿地区の事例)(表紙)』(神戸市都市計画局・板宿地区都市計画協議会編)
写真2 地元組織によりまとめられた「将来像の提案」図(『住民参加によるまちづくりの手引き』)
写真3 六甲風の郷公園と風の家(神戸市文書館)
写真4 FMわいわい(当時の仮設)
〔第三章第一節〕
写真1 明治元年兵庫県知事時代(山口県光市伊藤公資料館蔵)
写真2 兵庫市兵隊
写真3 スキップウォース・ハンモンド商会(『日本絵入商人録』市立博物館蔵)
写真4 舶来仕立職(『日本実業史博物館コレクション』『諸工職業競』国文学研究史料館蔵)
写真5 フロック・コート(昭和初期)(神戸ファッション美術館蔵)
写真6 伊藤博文と子女(山口県光市伊藤公資料館蔵)
写真7 明治15年神戸英和女学校第1回卒業生と教師たち(神戸女学院蔵)
写真8 明治10年代末の神戸商業学校卒業生及び職員(『兵庫県立第一神戸商業学校六十年史』兵庫県立神戸商業高等学校蔵)
写真9 明治22年神戸商業学校卒業生(『歴程110周年記念誌』兵庫県立神戸商業高等学校蔵)
写真10 明治40年第一神戸中学校卒業生(『六十周年記念帖』兵庫県立神戸高等学校蔵)
写真11 明治42年雲中尋常高等小学校卒業記念写真
写真12 永田良介商店の玄関前で記念撮影(永田良介商店蔵)
写真13 昭和10年大丸百貨店(神戸市文書館)
写真14 創業ごろの市バス女子車掌(昭和5年頃)
写真15 神戸阪急ビル内エスカレーターガール(阪急電鉄蔵)
写真16 田中千代と薫(『50周年・田中千代学園』)
写真17 洋裁研究所第1回入学式(「50周年・田中千代学園』)
写真18 洋裁研究所第1回秋組授業風景(『50周年・田中千代学園』)
写真19 昭和17年3月21日『神戸市民時報』
写真20 昭和17年4月1日『神戸市民時報』
写真21 昭和18年5月15日『神戸市民時報』
写真22 再開された垂水区の校舎(『福冨学園50年史』)
写真23 ニューきもの(市松柄)1950年(田中千代ファッションカレッジ蔵)
写真24 大阪・クラブ関西での発表会(『50周年・田中千代学園』)
写真25 田中千代ファッションショーの記事(『神戸新聞(昭和33年10月31日)』)
写真26 欽松会館ホールでのファッションショー(『福冨学園50年史』)
写真27 アイビールック(神戸ファッション美術館蔵)
写真28 ニュートラ(神戸ファッション美術館蔵)
写真29 神戸ファッション美術館(神戸ファッション美術館蔵)
〔第三章第二節〕
写真1 日の丸弁当(神戸市文書館)
写真2 いかなごの釘煮(田中紀子蔵)
〔第三章第三節〕
写真1 生田の森。左側に競馬場(神戸市立博物館蔵)
写真2 A.H.グルーム(神戸市文書館)
写真3 18ホール完成、101別荘(神戸市文書館)
写真4 KR&ACのクラブハウス(1927年建築)(大谷勇提供)
写真5 シム顕彰碑(神戸市文書館)
写真6 居留地返還式が行われた居留地行事局(明治32年)(神戸市文書館)
写真7 ボートハウス(KR&AC蔵)
写真8 H.E.ドーント(『INAKA』)
写真9 J.P.ワーレン(『INAKA』)
写真10 スケート(昭和11年頃)(阪急電鉄蔵)
写真11 毎日登山の碑(神戸アーカイブ写真館蔵)
写真12 第1回六甲全山縦走大会(神港ジャーナル社蔵)
写真13 インターポートマッチ(神戸市文書館)
写真14 一中と二中の試合(神戸市文書館)
写真15 HIOGO NEWS(明治4年2月11日)
写真16 神戸一中(大正2年)(兵庫県立神戸高等学校蔵)
写真17 YMCA会館(神戸市文書館)
〔第三章 第四節〕
写真1 本朝名所摂州布引之滝(初代広重、神戸市立博物館蔵)
写真2 布引雌滝(明治初期)(神戸市立博物館蔵)
写真3 布引遊園(明治前半)(横浜開港資料館蔵)
写真4 近代公園設置の太政官布告(明治6年)(国立公文書館デジタルアーカイブス)
写真5 摂州神戸布引滝より海岸を見る図(明治7年)(神戸市立博物館蔵)
写真6 布引雌滝(明治後期)(神戸市文書館)
写真7 門樋楼(『むかしの六甲・有馬絵葉書で巡る天上のリゾート』石戸信也蔵)
写真8 歌碑の配置図新神戸駅北側旧布引遊園地の範囲(『歌碑のみちマップ』)
写真9 雄滝茶屋(大正期)(山口公子蔵)
写真10 「布引去来軒」と刻まれた擬木(小代薫蔵)
写真11 川崎邸本館(川崎重工業株式会社提供)
写真12 徳光院内の川崎正蔵の墓(川崎重工業株式会社提供)
写真13 川崎正蔵の銅像(手前)と男爵川崎芳太郎の銅像(奥)(『むかしの六甲・有馬絵葉書で巡る天上のリゾート』石戸信也蔵)
写真14 六英堂(『神戸観光要覧』(昭和10年)神戸市文書館)
写真15 温泉の表示がある地図(『神戸市街新地図(部分)』(昭和3年))
写真16 布引山炭酸温泉場之図(神戸市文書館)
写真17 布引の瀧への登り口にある水道橋(明治30年代)((一財)神戸市水道サービス公社提供)
写真18 神戸諏訪山(神戸市立中央図書館蔵)
写真19 諏訪山温泉(『神戸写真帳』神戸市立博物館蔵)
写真20 諏訪山温泉 常盤楼(『豪商神兵湊の魁』)
写真21 諏訪山温泉、蓮池(『神戸写真帳』神戸市立博物館蔵)
写真22 神戸諏訪山遊園地金星台(三鉛タキコ提供)
写真23 諏訪山遊園地(大正初期)
写真24 諏訪山動物園(昭和3年)(『レファート写真コレクション』)
写真25 金星台 観測記念碑(『神戸区有財産沿革史』)
写真26 諏訪山動物園(昭和初期)
写真27 神戸市立動物園(『神戸のハイカラ建築』石戸信也蔵)
〔第三章 第五節1〕
写真1-1 狩野内膳筆「南蛮屏風」(右隻)(神戸市立博物館蔵)
写真1-2 狩野内膳筆「南蛮屏風」(左隻)(神戸市立博物館蔵)
写真2 聖フランシスコ・ザヴィエル像(神戸市立博物館蔵)
写真3 「篤志家は法科大学生」(『大阪朝日新聞 大正6年1月3日』)(神戸市立博物館蔵)
写真4 池長植物研究所前の池長孟(個人蔵)
写真5 池長美術館の前で、池長孟(左)と牧野富太郎(神戸市立博物館蔵)
写真6 池長孟作「神戸市略図」『植物館開館記念絵葉書』(大正7年)(神戸市立博物館蔵)
写真7 長崎版画「魯西亜船図」(神戸市立博物館蔵)
写真8 紅塵荘外観(個人蔵)
写真9 紅塵荘一階玄関ホール(個人蔵)
写真10 旧紅塵荘のステンドグラス(神戸市立博物館蔵)
写真11 紅塵荘入口(個人蔵)
写真12 神戸大丸長崎絵展覧会(神戸市立博物館蔵)
写真13 荒木如元筆「瀕海都城図」(神戸市立博物館蔵)
写真14 狩野宗秀筆「都の南蛮寺図」(神戸市立博物館蔵)
写真15 『邦彩蛮華大宝鑑』(神戸市立博物館蔵)
写真16 泰西王侯騎馬図(神戸市立博物館蔵)
写真17 司馬江漢筆「相州鎌倉七里浜図」(神戸市立博物館蔵)
写真18 「池長美術館全景」『池長美術館絵葉書』(昭和15年)(神戸市立博物館蔵)
写真19 「池長美術館一階陳列室」『池長美術館絵葉書』(昭和15年)(神戸市立博物館蔵)
写真20 池長美術館開館記念展ボスター(昭和15年)(神戸市立博物館蔵)
写真21 池長美術館開館式(昭和15年3月30日)(神戸市立博物館蔵)
写真22 「同盟写真ニュース」(昭和15年3月31日)(神戸市立博物館蔵)
写真23 小磯良平「池長美術館長像」(昭和19年)(神戸市立博物館蔵)
写真24 池長孟、最後の写真(昭和30年)(神戸市立博物館蔵)
写真25 二代長谷川貞信画「摂州神戸海岸繁栄之図」(明治4年)(神戸市立博物館蔵)
写真26 『南蛮美術総目録』(神戸市立博物館蔵)
写真27 神戸市文書館
写真28 横浜正金銀行神戸支店の一階営業室(横浜正金銀行神戸支店新築落成記念絵葉書のうち、神戸市立博物館蔵)
写真29 神戸市立博物館(神戸市立博物館蔵)
〔第三章 第五節2〕
写真1 岸上家左から二人目の母に抱かれているのが良平 明治36年(1903)(神戸市立小磯記念美術館蔵)
写真2 岸上家のクリスマス・イヴ左端、良平大正7年(1918)(神戸市立小磯記念美術館蔵)
写真3 《自画像》大正15年(1926)小磯良平(神戸市立小磯記念美術館蔵)
写真4 《T嬢の像》大正15年(1926)小磯良平(兵庫県立美術館蔵)
写真5 《彼の休息》昭和2年(1927)小磯良平(東京藝術大学蔵)
写真6 パリのアトリエでの小磯良平 昭和4年(1929)(神戸市立小磯記念美術館蔵)
写真7 《肩掛けの女》昭和4年(1929)小磯良平(東京国立近代美術館蔵Photo:MOMAT/DNPartcom)
写真8 《ブルターニュ、ソーゾン港》昭和3年(1928)小磯良平(神戸市立小磯記念美術館蔵)
写真9 山本通の小磯アトリエ(神戸市立小磯記念美術館蔵)
写真10 《裁縫女》昭和7年(1932)小磯良平(東京藝術大学蔵)
写真11 《黒い帽子》(所在不明)昭和11年(1936)小磯良平
写真12 藤島武二(中央)を囲む新制作派協会創立メンバーら左端、小磯良平(神戸市立小磯記念美術館蔵)
写真13 《練習場の踊子達》昭和13年(1938)小磯良平(東京国立近代美術館蔵Photo:MOMAT/DNPartcom)
写真14 《兵馬》(所在不明)昭和14年(1939)小磯良平
写真15 《娘子関を征く》昭和15年(1940)小磯良平(東京国立近代美術館(無期限貸与作品)Photo:MOMAT/DNPartcom撮影:(C)大谷一郎)
写真16 《斉唱》昭和16年(1941)小磯良平(兵庫県立美術館蔵)
写真17 《カリジャティ会見図》昭和17年(1942)小磯良平(東京国立近代美術館(無期限貸与作品)Photo:MOMAT/DNPartcom)
写真18 《二人の少女》昭和21年(1946)小磯良平(神戸市立小磯記念美術館蔵)
写真19 小磯記念美術館に移築・復元されたアトリエ(神戸市立小磯記念美術館蔵)
写真20 《二人裸婦》昭和24年(1949)小磯良平(神戸市立小磯記念美術館蔵)
写真21 《働く人びと》を制作中の小磯良平 昭和28年(1953)(神戸市立小磯記念美術館蔵)
写真22 《リュートのある静物》昭和41年(1966)小磯良平(神戸市立小磯記念美術館蔵)
写真23 《「古都」第9回》(川端康成・著)昭和36年(1961)小磯良平(神戸市立小磯記念美術館蔵)
写真24 《絵画》昭和49年(1974)小磯良平(迎賓館蔵<この絵画は一般公開>)
写真25 《音楽》昭和49年(1974)小磯良平(迎賓館蔵<この絵画は一般公開>)
写真26 《集い》昭和52年(1977)小磯良平(日本赤十字社蔵)
写真27 《御影の風景》昭和61年(1986)小磯良平(神戸市立小磯記念美術館蔵)
写真28 神戸市立小磯記念美術館外観(神戸市立小磯記念美術館蔵)
写真29 《踊り子》昭和15年(1940)頃 小磯良平(神戸市立小磯記念美術館蔵)
写真30 《洋和服の二人》昭和8-9年(1933-34)頃 小磯良平(神戸市立小磯記念美術館蔵)
写真31 小磯アトリエ内(神戸市立小磯記念美術館蔵)
〔第三章 第五節3〕
写真1 中央講堂(関西学院大学学院史編纂室蔵)
写真2 原田の森の関西学院(神戸海洋博物館蔵)
写真3 関西学院時代の竹中郁(神戸文学館蔵)
写真4 横溝正史の生誕地碑(神戸市文書館)
写真5 被災した関西学院跡地(神戸市文書館)
〔第四章 第一節〕
写真1 居留地海岸通(明治中期)(神戸海洋博物館蔵)
写真2 生田神社(神田健次蔵)
写真3 モダン寺(神田健次蔵)
写真4 たかとり教会(神田健次蔵)
写真5 旧ユニオン教会(神田健次蔵)
写真6 原田の森時代の関西学院(関西学院大学学院史編纂室蔵)
写真7 関帝廟(神田健次蔵)
写真8 ジャイナ教寺院(神田健次蔵)
写真9 関西ユダヤ教の会堂(神田健次蔵)
写真10 神戸モスク(神田健次蔵)
写真11 北野ピースセレモニー(神田健次蔵)
写真12 神戸外国人墓地(神田健次蔵)
〔第四章 第二節1〕
写真1 湊川神社(神戸市文書館)
写真2 楠木正成戦没地(神戸市文書館)
写真3 北野天満神社(神戸市文書館)
写真4 生田神社 拝殿倒壊(生田神社蔵)
写真5 長田神社の避難所(長田神社蔵)
写真6 長田神社境内食糧配給(長田神社蔵)
〔第四章 第二節2〕
写真1 モダン寺(神田健次蔵)
写真2 昭和初期の本願寺神戸別院(モダン寺)(浄土真宗本願寺派本願寺神戸別院蔵)
写真3 昭和14年(1939)本願寺派別格別院善福寺(浄土真宗本願寺派本願寺神戸別院蔵)
写真4 モダン寺の中心にある御内陣(浄土真宗本願寺派本願寺神戸別院蔵)
写真5 十三仏霊場三番札所 如意寺(神戸市文書館)
写真6 十三仏霊場六番札所 大龍寺(神戸アーカイブ写真館蔵)
写真7 十三仏霊場八番札所 能福寺(神戸市文書館)
写真8 十三仏霊場十一番札所 須磨寺(神戸市文書館)
〔第四章 第三節1〕
写真1 カトリック神戸中央教会の礼拝堂(神田健次蔵)
写真2 神戸のハリストス正教会(神田健次蔵)
写真3 日本聖公会神戸昇天教会(神田健次蔵)
写真4 日本基督教団の神戸教会(神田健次蔵)
写真5 日本基督教団の神戸栄光教会(神田健次蔵)
写真6 神戸ルーテル神学校(神田健次蔵)
写真7 新開地の湊川伝道館(神田健次蔵)
写真8 神戸YMCA(第4期会館)(神田健次蔵)
写真9 新川時代の賀川豊彦(賀川記念館蔵)
〔第四章 第三節2〕
写真1 神戸ユダヤ人協会中庭(斉藤真人提供)
写真2 ユダヤ人の難民(田淵銀芳《流氓ユダヤ》兵庫県立美術館蔵)
写真3 ユダヤ人の難民(田淵銀芳《流氓ユダヤ》兵庫県立美術館蔵)
写真4 神戸のシナゴーク(神田健次蔵)
写真5 シナゴークの礼拝堂(神田健次蔵)
写真6 北野国際まつり(神田健次蔵)
〔第四章 第三節3〕
写真1 バグワン・マハビールスワミ・ジェイン寺院(村瀬義史蔵)
写真2 家族で参拝するジャイナ教徒(村瀬義史蔵)
写真3 ジャイナ寺院内の礼拝所(村瀬義史蔵)
写真4 ジャイナ教の教えを示すシンボル「スワスティカ」(村瀬義史蔵)
写真5 インド人社会協会(ISS)内のヒンドゥー教寺院(村瀬義史蔵)
写真6 インド料理店内(北野町)にあるガネーシャ神の祭壇(村瀬義史蔵)
写真7 神戸グル・ナーナク・ダルバール(村瀬義史蔵)
写真8 神戸スイク寺院の『グル・グラント・サーヒブ』が置かれた高座(村瀬義史蔵)
〔第四章 第三節4〕
写真1 神戸ムスリムモスク(村瀬義史蔵)
写真2 『神戸ムスリムモスク報告1935-6』(表紙)(神戸ムスリムモスク蔵)
写真3 神戸モスク(正面からドームを望む)(神戸市文書館)
写真4 ボチア(左)とフェロズディン(『神戸ムスリムモスク報告1935-6』神戸ムスリムモスク蔵)
写真5 神戸モスク別館の入り口(神戸市文書館)
写真6 東側から見た神戸モスク(村瀬義史蔵)
写真7 神戸モスクの礼拝所(村瀬義史蔵)
写真8 断食月の日没後の食事(神戸ムスリムモスク蔵)
〔第四章 第三節5〕
写真1 神戸関帝廟(神戸市文書館)
写真2 神戸諏訪神社の拝殿(神戸市文書館)
写真3 神戸再度山大龍寺(徐亦猛蔵)
写真4 神戸基督教改革宗長老会(神戸市文書館)
写真5 神戸中華同文学校(神戸市文書館)
〔第五章 第一節〕
写真1 佐比江新地(『摂津名所図会』)
写真2 遊女町之図(神戸市立中央図書館蔵)
写真3 『新福原細見之図』中表紙(神戸市立中央図書館蔵)
写真4 「乍恐奉歎願候口上」新兵衛が外務局に提出した歎願書(『神戸大学開港文書』)(神戸大学附属図書館蔵)
写真5 『もしほ草』表紙(神戸市立中央図書館蔵)
写真6 神戸新福原布引滝之図(長谷川小信)(神戸市立中央図書館蔵)
写真7 神戸新福原廓之図(長谷川小信)(神戸市立中央図書館蔵)
写真8 『新福原細見之図』表紙(神戸市立中央図書館蔵)
写真9 揚代金値段附合印(『新福原細見之図』、神戸市立中央図書館蔵)
写真10 遊廓町割再現図(『新福原細見之図』、神戸市立中央図書館蔵)
写真11 松浦楼(明治31年)(神戸市文書館)
写真12 新川遊廓付近(『和英詳密神戸市全図』(部分)明治24年、神戸市立中央図書館蔵)
写真13 新川遊廓調査・詳細(『神戸又新日報』大正12年3月1日)
〔第五章 第二節〕
写真1 摂州兵庫 湊川神社之図(兵庫県立歴史博物館蔵)