戦争をいかに語り継ぐか
序章 「戦後」が終わる前に
二つの天皇の声
終わらない戦後
「あの戦争」は、なぜ像を結ばないのか
「戦争」を抱え込んだ「知識人」
既に知る者から、未だ知らざる者へ
大衆の「ことば」に目を凝らす
第一章 戦争を「語る言葉」のもどかしさ-戦後六十年以降のテレビ番組から
一 戦争番組の大量生産を検証する
交わらない「戦争」への眼差し
「ヒロシマ」に盛り込まれたもの
被爆をめぐる多様な立ち位置
語り手と受け手の非対称性
番組を超える文脈
二〇〇五年-「テレビ戦争史」の転機
「sengo62」の目論見と壁
そして十年が経った
二 「語り、伝えること」の限界
戦後七十年の二百番組
バラク・オバマと天皇の退位表明
「語り手なき時代」の到来
メディアと我々の共同性
アーカイブ化する「証言」
三 「語り部」の戦後-谷口稜曄の場合、近藤一の場合
「証言者」と「語り部」
『ナガサキの郵便配達』
『赤い背中』-二〇〇五年八月九日
谷口稜曄の身体と言葉
近藤一の二つの戦場
木霊する「なぜ」の問い
消えていく証言
第二章 「戦争を知らない子供たち」について考える
一 一九七〇年代とコミュニケーションの「断絶」
「なぜ」と「だから」の間
コミュニケーション成立の条件
NHKドキュメンタリーの系譜
『ある人生』の終わり
『七〇年代われらの世界』
『戦争を知らない子供たち』
伝統的規範から決別
半自伝的戦争マンガ
『光る風』から『宇宙戦艦ヤマト』へ
二 「戦争」と「子どもたち」の関係のリアル
「子どもたち」の多様性
戦争と出会う瞬間
記憶と規範意識
忘れ去られる子どもたち
「ブラックホール」と「駅の子」
南沙織と紫の「終戦」
子どもたちのアイデンティティ
三 「無垢」と「無知」-「子どもたち」とは何ものか
教育の空白
平和教育と物語:サダコの場合
広島と沖縄の「子ども」
言葉とイメージの隙間
「一フィート運動」の収束
式典にはなぜ子どもの言葉が必要なのか
すずさんと二人の子ども
第三章 「空白」を埋める-映像で出会いなおす「あの戦争」
一 資料の不在を疑う
「敗者は映像を持たない」
原爆映像の行方
小型映画の誕生
当事者の視覚を記録する
従軍カメラマンが写したもの
二 銃後の生活-小型映画と戦時体制
九・五ミリの日常性
防空思想のポジとネガ
奉仕活動の笑顔
小型映画で重なる日常
そして満州へ
義勇軍の「善意」と「希望」
七十五年前の我々の姿を見る
三 映像の断片とコンテクスト
「一フィート映像」とは何か
「住民」への眼差し
「編集」の欲望とジレンマ
『ドキュメント沖縄戦』の制作
共同体の崩壊
絵が映像を補うとき
第四章 語り継ぐ条件-対話への階梯
一 タイムマシンか、リテラシーか
「戦争の全体像」をめぐる困難
被爆再現人形問題
実物展示に期待したもの
「語り手なき時代」の現実
資料館の思想-ヒロシマとオキナワ
「記念」と「祈念」-経験の位置関係
二 戦争の本質に迫る言葉
死を語る言葉の不在
「書く-読む」「語る-聞く」
その後の大隈、証言とアーカイブ
綾瀬はるかの十五年
「平和教育」と対話
経験に言葉を添える
三 「死」と向き合う方法
他者をいかにして認識するか
加害の凡庸性
総力戦を受け入れる素地
想像の共同体
島クトゥバで語る戦世
映画『ひろしま』の再発見
対立の際を崩す
終章 「戦後」の、その先を生きる
「身体」と「死」の距離
「ずれ」を見出す
誰が手を下しているのか
最後の不在の声
完全なる終戦へ
参照文献
参照テレビ番組
あとがき