いわての鉄道百年
幻の鉄道
「岩山」に汽車走る
東北本線御堂・一戸関東回りに移転
東北本線大更・浄法寺経由の西回り案も複線化が先行し消える
一荒線と胆江線予定線で終わった
湖底に消えた北上線岩沢・陸中川尻間
大間線が太平洋戦争の勃発により工事中止する
津軽半島縦貫が予定線に入る
日本の鉄道の夜明け
盛岡城の着工から完成まで
日本人が初めて見る汽車
盛岡藩の降伏と盛岡城の解体 民間への払い下げが行われる
鉄道建設を推進した人々
南部藩ゆかりの人が日本の鉄道の夜明けにかかわる
明治二年という年のトピック
鉄道の建設資金は英人起業家から借金
鉄道建設の資金、技術、記念式典すべてがイギリス主役
鉄道頭に井上勝任命される
新橋、横浜間測量開始
鉄道建設反対者とこれの対応
高島嘉右衛門の青森・鹿児島間鉄道建設による時簡短縮の夢
新しいものへの反対・旧派の硬直した声
新橋・横浜間営業開始
太陽暦の採用と地租改正行われる
鉄道の構内営業が始まる
釜石鉄道の準備が進められる
西南戦争の開始
西南の役、幕を閉じる
大阪ステーションに工技生養成所設置
外国人技術者の雇用がピーク時
わが国の二番目の鉄道、京都・神戸間開業
釜石鉄道の工事完成、旅客荷物輸送を開始
釜石鉄道が二年七ヶ月で廃線となる
製鉄所再開と馬車鉄道の建設
日本人だけでやった鉄道工事
近江商人の鉄道利用計画
世界の標準時間を定める会議が開かれた
アメリカ製、弁慶号の登場
鉄路、北に延びる
日本鉄道会社の発足
わが国最初の私設鉄道
日本鉄道会社による東北本線の完成
上野駅が開業し、東北・北海道の玄関口となる
サービス満点の山陽鉄道
日清戦争開始と大本営の移設
赤帽が流行し、二十世紀はじまる
九州鉄道会社の発足とドイツ人技師の招聘
国鉄が中心となって観光事業を起こす
鉄道官制の移りかわり
鉄路いよいよ東北へ
東北本線
日本鉄道会社に東京・青森間の鉄道建設が認可される
仙台・盛岡間の工事
へきすう地での鉄道建設と幼稚な測量技術など
異色の鉄道技師
盛岡駅の付近は葦の密生する湿地帯であった
盛岡駅の建設位置が再三変更された
盛岡駅の開業式が盛大に行われた
盛岡まで開通した頃の鉄道事業
鉄道の開通までは北上川の水運が大動脈であった
開運橋の開通にまつわる話
商売の邪魔になると鉄道建設に反対した江刺の人々
田園の中に建てられた日詰駅
盛岡・青森間の鉄道建設
鳥越トンネルが最大の難関であった
二戸郡福岡村の鉄道建設反対と”もんじゃ様”
駅名改称が行われる 福岡→北福岡→二戸→川口→岩手川口
東北本線、青森駅まで開業する
事業熱が鉄道事業に点火される(岩手県内の支線網の建設)
北上線
政治家の票田につながる
柵瀬代議士(一関市出身)が横黒線決定に活躍する
第一次世界大戦の影響で横手線の工事が大幅に遅れる
削岩機が英国から到着、トンネルの難工事 黒沢尻・横手間開通する
黒沢尻・横手間開通と後藤祐明知事の祝辞
大船渡線
なべつる線
政権交替でくるくる変わる路線計画
なべつる線、政党の鉄道利用の好個の見本
一ノ関・盛間全通
花輪線
秋田鉄道会社により大館・花輪間の鉄道建設が進む
尾去沢と八戸の交流で別ルート案が出る
鹿角金山は南部藩の所有
好摩・大館間の工事開始
山田線
盛岡・宮古間の実測調査される
盛岡・宮古間の着工について衆議院、貴族院を通過する
山ザル論争、原敬の有名な議会答弁で山田線の幕があいた
大正十八年度完成として着工した山田線
盛岡・上米内間着工
一夜に一千人の工事建設文化村が出現
隧道工事で犠牲者が多く出る 建碑式は慰霊祭を兼ねて行われた
宮古までの開通式盛大に行われる
山田線全通式が釜石、鈴子公園で行われる
アイオン、カザリン台風により路盤流失し不通になる
田沢湖線
盛岡・大曲間の鉄道建設が決定
榊田清兵衛の夢は日本海沿岸と太平洋沿岸を結ぶこと
橋場線と生保内線が開通
財政緊縮と政治抗争で建設が中止された
田沢湖線全通し、花輪線より一〇五キロ 盛岡・秋田間短縮
八戸線
尻内・八戸間の建設ルートわかれる
八戸線、久慈まで着工する
資源開発をめざす、八戸線全通する
釜石線
岩手軽便鉄道会社が創設される
岩手軽便鉄道会社の敷設の申請が免許を受ける
初代社長金田一勝定の情熱も仙人峠を越すことができず、あと数キロの手前で断念
宮沢賢治”銀河鉄道の夜”と釜石線
軽便鉄道を営業しながら、もう一本のレールを敷いてゲージを拡幅させた
第二次大戦になり釜石東線開通後工事中止する
釜石線全通する
岩泉線
小鳥谷駅から葛巻経由の鉄道として予定線になる
押角トンネル、開通前の監査で落第点つけられる
浅内、岩泉間開通する 小本線は岩泉線と改称された
久慈線・盛線
「三陸縦貫鉄道」建設の請願が国会で採択される
久慈線・盛線が建設線に編入された
鉄道新線審議会々長に土下座してお願いした老女
国鉄諮問委員会の答申が出される 八戸線の一部、小本線、気仙沼線が廃止するというもの
奥羽線の建設
東北線のルートを山形・秋田経由優先の主張が出る
大湊・大畑線
大湊軍港を予測した鉄道の建設
下北半島九ヵ町村の陳情請願も大不況等により着工できず
大間線
太平洋戦争勃発によって昭和十七年工事中止する
津軽線
当初、津軽半島縦貫線、今は津軽海峡線として脚光あびる
気仙沼線
三陸縦貫鉄道の一部として着手
東北本線複線化、電化
単線では世界一の列車密度であった
仙台、盛岡間電化工事着手
東北本線に特急列車が初登場
東北新幹線
全国新幹鉄道網構想を国鉄が発表
待望の東北新幹線起工
東北新幹線開業