郡山の空襲
- サブタイトル
- その記録と証言
- 編著者名
- 郡山の空襲-その記録と証言編纂委員会 編集者
- 出版者
- 合化労連保土谷化学労働組合郡山支部
- 出版年月
- 1985年(昭和60年)4月
- 大きさ(縦×横)cm
- 21×
- ページ
- 155p
- ISBN
- NDC(分類)
- 916
- 請求記号
- 916/Ko79
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 工場平面図あり
- 昭和館デジタルアーカイブ
第一部 なぜ郡山が爆撃されたのか
一、日本の空襲 五カ月余で五〇万人の戦災死
二、郡山空襲の位置づけ
1.県内で最大、郡山の空襲
2.空襲の3つの時期と二つの方法
3.県内空襲の分析
4.平市への「捨て弾」による都市焼夷攻撃
5.郡山の空襲
三、最大の犠牲者をだした四月十二日の空襲
1.保土谷化学中心に五〇〇ポンドGP爆弾の集中攻撃
2.爆撃の惨状
3.戦略爆撃目標は四エチル鉛の生産工場
4.あいまいな情報で精密爆撃
四、戦略爆撃目標となった保土谷化学と「軍都」郡山
1.四エチル鉛の研究から本格的工場生産の成功へ-保土谷化学郡山工場とは
四エチル鉛の中毒(一見勇)
2.「軍都」郡山市
「戦略爆撃調査団」の調査に立合う(佐藤一弥)
第二部 四月十二日、そのとき私は
四エチル鉛さえ作らなかったらと・・・(一見勇)
いまも目に浮かぶ惨状(井上正男)
幸い無傷、五晩泊り込んで執務(薄井一郎)
地獄絵(大河原房一)
一歩の差で、助かった私(片岡繁雄)
非情で残酷でも、事実は消せない(木村春雄)
言葉で尽せない刹那の恐怖(佐藤一弥)
救護活動に参加(宍戸シノ)
戦争の傷跡は死ぬまで消えない(高沢正五郎)
瓦礫と化した研究所(中山清寿)
素足で阿武隈川に逃げる(過足ハツヨ)
在郷軍人として体験した爆撃とその前後(渡辺清二)
役に立った避難法(小池三郎)
残骸のなかを遺体片ずけ(小松覚瑞)
前途有望な青年学生一二名、寮母一名を失う(大橋鉄太郎)
五名の同級生が犠牲に(田中久男)
一瞬にして同僚の首が吹っ飛ぶ(橋本次男)
土にふるい残った生地から身許を確認(村越昭男)
出張中に保土谷が・・・本宮の自宅も直撃される(吉村昺)
この日たまたま風邪で休んでいて助かった(渡辺伝)
目の前で農家が跡形もなく(泉澤謙司)
飛行機の腹から爆弾が(大和田フジ)
十分前の移動がなければ同じ運命に(松谷照子)
別の防空壕に移った直後・・・・・・(矢島佐起子)
空襲を生きのびて(矢内さと子)
あの日の出来事が未だ鮮明に・・・(吉田紀子)
小学校高等科二年、勤労学徒として被爆(吉成由夫)
気がついたら顔半分血だらけ(泉田忠雄)
徴用工として被爆(伊東孫一)
穴から穴へと身を隠し逃れる(大越俊恵)
おにぎりをたべ、助かったと実感(椚山多津雄)
爆風でやられたRT室(片山等)
最もひどかった研究所で奇跡的に助(佐々木良夫)
四エチル鉛製造秘話(関根幸市)
爆風をかいくぐって被害状況を調査(丹治茂志)
今でも夢に見る四月十二日(渡辺紀伊子)
郡山空襲の想い出(小林清昭)
空襲の一日(桜井勲)
保土谷全滅のニュースで工場に駆けつける(武井ハツエ)
羽曽部校長先生を偲ぶ(名倉久)
色彩やかな煙がムクムクと(長水浩繁)
実習にでかける矢先、保土谷が爆撃(野口栄一)
凄絶だった横塚本村(本多美好)
裏の田圃に死体が沢山あってびっくり仰天(松本タキ)
長屋は吹っ飛び、タンスと布団だけに(相良秀子)
戦災死亡者名簿
編纂を終えて
国立国会図書館デジタルコレクション
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